西尾市

稲荷社(西尾市長縄町)

2018年5月4日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

長縄城の鎮守社として勧請創建されたと伝わる神社になります。もとは清昭神社が鎮座していた様ですが明治三年に稲荷社を勧請して主祭神としたようです。

神社情報

神社名稲荷社
鎮座地西尾市長縄町鍵島九番地(Googlemap)
例大祭十月二十六日
創 建不詳
御祭神宇迦之御魂神
旧社格無格社
神名帳

境内社

境内社秋葉社(御祭神:火之加具土命)
御鍬社(御祭神:不明)

文化財

国 宝
国指定
県指定
市指定
町指定
村指定

参拝情報

御朱印
URL
駐車場〇(公民館駐車場有)
参拝日2018年2月18日

御由緒

 創建由緒は不詳。
 稲荷社は大河内氏が築いたと伝わる「長縄城」の鎮守社として清昭神社が建立されたのが始まりという。その後、長縄城が廃城とされるとこの地域の産土神となり、明治三年に稲荷社を山城国より勧請し主祭神として祀り、明治五年に据置公許となった。

長縄城址

吉良氏家臣で後に紀州徳川家の家臣として存続した長縄大河内氏の居城

清昭神社とは?

 愛知県幡豆郡福地村誌には稲荷社の由緒について下記の通り記しています。

 古来清昭神社として存在したるものなり。其後明治三年四月山城国より稲荷社を勧請して現今に至る。境内九十坪、創立慶安年中、例祭十月十八日、末社一、御鍬社

愛知県幡豆郡福地村誌

 福地村誌では創建は慶安年中(1648-52年)だとしています。そうなると創建は江戸時代という事になってしまいます。その頃には長縄城は廃城となっていると思ったのですが・・・。
 この福地村誌に対して、愛知県神社名鑑では、大河内小見守の城内(長縄城)の鎮守神として勧請された。と記していますが、創建年については不詳としており長縄城が何時まであったのかがカギを握っているようです。

清昭神社がどういった物なのかはGoogle先生で調べても全くヒットしなかったのでよくわからないのですが、想像するに神社として祀られているが祭神が何なのかよくわかっていない神社の事なのではないかと。神仏習合時代から神仏分離の時代へと急激に舵を切った明治政府によって、それまで仏像を御神体としていた神社では仏像を御神体と使えなくなり変更する必要でた出てきたりしたそうです。仏像を御神体としているわけですから、仏様の名前は解っても、神様の名前が分からない・・・。そんな神社の事じゃないのかなと思うのですが。ただ、情報がまったくないので、知っている方が見えたら教えてください。

 社伝に大河内小見守の城内の鎮守の神として創建されたという。明治五年十月、据置公許となる。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」

大河内小見とは

 愛知県神社名鑑での由緒のなかででている「大河内小見」について少し見ていく事にしたいと思います。この「大河内小見」について愛知県幡豆郡福地村誌にその記述も載っていましたので紹介していきたいと思います。

大河内小見

寺津大河内の同族なり。累代長縄に居住す。基高に至り、吉良義昭に仕える。通称は善左衛門。出雲守という。基高又小見兵道の別名あり。永禄四年九月、藤波畷の戦いに於いて、本多広孝等と戦い、富永伴五郎忠元等と共に戦死す。享年四十六。法応寺に葬る。兵道塚是なり。又曰く、小見は基高には非ず、其の子大河内善兵衛正綱なりと。

幡豆郡福地村誌より

 「大河内小見」=大河内基高であると福地村誌では書かれています。そして基高は永禄四年(1561年)に起きた「藤波畷の戦い/紹介記事」において戦死したとなっていますが、大河内基高は慶長十七年(1613年)まで生きていたいう説もあります。この場合享年九十八才。基高の息子である正綱は吉良家滅亡後はしばらくして徳川家康に仕え、最後は紀州徳川藩の家老となっている武将です。

 この「大河内小見」という名前は、長縄大河内氏が関わっている場所の由緒などを調べていると、ほぼ登場してくる名前だったりします。最初は長縄大河内氏のだれか個人の名前なのかと考えていたのですが、ちょこちょこと調べていく内に、長縄大河内氏の歴代当主が付けていたものなんじゃないのかと思うようになってきました。こうやって考えると、今まで疑問に思っていたことがすっと理解できるような気がするんです。

 何言ってんだこいつ?とこの記事を読んだだけでは思ってしまうと思いますが、是非「長縄大河内氏」が関わっているその他の場所の記事を読んでみてください。

兵道塚・徳玄塚

藤波畷の戦いと呼ばれる東条城を巡る戦いで戦死した大河内小見と徳玄の碑

松平清康公仮葬地碑

徳川家康の祖父「松平清康」が仮埋葬されたとされる場所

御祭神

  • 宇迦之御魂神

御朱印帳の保管に

 数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。

 ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?

参拝記

 西尾市熱池町の「八幡社/紹介記事」から田畑を挟んで西側にある集落のあたりが長縄町で、その集落の中に鎮座する神社が今回参拝する「稲荷社」になります。参拝した時はこういった集落によくありがちな神社だなと別に何とも思っていなかったのですが、記事を書こうと色々調べていく内に由緒でも述べたように「長縄城」の境内に祀られていた神社だという事を知りました。

 別に城郭に祀られていた鎮守社は珍しいものではないのですが、稲荷社から100mほど離れた場所に「松平清康公仮葬地」という石碑を見かけ、更にその由緒を調べていく内に、何か急激に意識してしまう様になった神社になります。

境内入口

南入りの境内に南向きの社殿になります。
境内と地続きで公民館が建っているので、実際の境内より広く感じます。

鳥居

昭和五十年建立の明神鳥居になります。

手水舎・水盤

隣地との境界ギリギリに置かれている水盤になります。

狛狐

平成三年生まれの狐一対。
狛犬もそうですが、新しくなればなるほど、前足を何かに乗せている確率が高くなっていく感じがします。あまりしっかり見てなかったのですが、この稲荷社の狐も何かに足を載せています。

社殿

入母屋造、瓦葺、平入、高覧のある廻縁の設けられた拝殿になります。
非常にコンパクトな拝殿なんですが、天井高が高く取れれているせいか、そこまで小さくは見えませんね。

資料では流造の本殿が鎮座しているそうなのですが、近年造営工事が行われているので、この本殿が鎮座している部分が本殿なのか覆殿なのかは外からでは判断できないですね。

境内社

社殿向かって右手に鎮座している秋葉社になります。
平成三年の造営工事で常夜燈も作り直されたようです。

懸魚・鬼瓦

鰭のない蕪懸魚になります。やはり、コンクリート製の懸魚より木製の懸魚のが味わいがあって自分的には好きですね。

参拝を終えて

境内から鳥居越しに南方を望みます。丁度注連縄で隠れてしまっていますが、100mほどの距離に先述した観音寺が鎮座しています。

岡崎からかなり離れた稲荷社を参拝することで松平清康に関係する史跡に出会えるとは思っていませんでした。さらにこの場所が城跡なんていうことも・・・。
これを切っ掛けに、また清康関連や大河内家関連の史蹟などを訪問して紹介していきたいと思います。

清康の埋葬地と言われている場所から稲荷社を望みます。

歴史探訪Vol.1

 元々のサイト名「神社を巡る生活って」という神社を巡って紹介していくサイトから寺院や城址さらに史蹟などを巡っていく事になってサイト名を「あいちを巡る生活って」と変更する切っ掛けとなった企画。

 西尾市内の神社を巡っていく中で出会った「松平清康公仮葬地之碑」。西尾市で松平清康所縁の史跡があるとは知らなかったので何となく妙味が湧いてきて調べ始めたのがのが運の尽き?。その史跡を調べていく中で出てきた関係地も巡っていく中でどんどん歴史が繋がっていく感じが溜まらなくて、気付けばそういった関係地を巡っていく事になってしまいました。そんな歴史を追っていく企画を「歴史探訪」として繋がりを紹介していきます。

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大河内氏の本城"寺津城"と寺津の界隈を散策する。

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2022/6/4

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2018年2月、まだまだ極寒の冬空の元、バイクで向かう先は、旧幡豆郡福地村長縄に鎮座する"稲荷社"である。この日は、長縄町から針曽根町を抜け、一色町の常夜燈を巡る予定だったのだ。この時は、稲荷社を参拝し、境内に据えられた常夜燈も写真を撮った上で、次なる神社へと向かっており、別段何かを感じることはなかった訳です。 その後、稲荷社の参拝記をアップする為に、愛知県神社名鑑や福地村誌を調べていると・・・なにやら稲荷社は寺津城を中心にこの地を納めていた大河内氏の庶流で長縄大河内氏が治めていた長縄城址に鎮座しており、 ...

名所旧跡など

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 松平元康と吉良義昭が東条城下で戦った「藤波畷の戦い」において戦死したとする二人の武将の供養塚が西尾市長縄町にある「観音寺」の境内にひっそりと据えられています。元々は東条城北側の駮馬山の山中に据えられていた塚ですが駮馬山の開発によって観音寺に移設されたんだとか。なぜ観音寺に移設されたのかと云うと・・・・。

西尾市 西条吉良観音三十四ヶ所

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鎮座地を神社で確認

神社名稲荷社
鎮座地愛知県西尾市長縄町鍵島九番地
最寄駅名古屋鉄道 西尾線「福地駅」徒歩15分

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

幡豆郡神社誌作成プロジェクト

矢作川神社巡り紀行

https://jinja.dr-leather.com/yahagigawakikou/

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