神社情報
神社名:江原神明社
鎮座地:西尾市江原町宮後七十四番地
御祭神:天照大御神、豊受姫神
旧社格:神饌幣帛料供進指定村社
神名帳:三河国内神名帳 正五位下 江原天神 坐 碧海郡
創 建:天治元年(1124年)九月四日
境内社:鍬四神社、天神社、市杵嶋社、八幡社、大国社
例大祭:十一月三日
H P:-
参拝日:2010年8月30日
参拝日:2017年10月11日
御由緒
天治元年(1124年)九月四日の創建で「国内神名帳」に正五位江原天神碧海郡とあるが、矢作川の水路変更により当郡(幡豆郡)に入る。この地は伊勢神宮の神領地で伊勢の両宮を祀り、江原天神という。歴代の領主社領を寄進、徳川家光朱印を寄せ維新まで続いた。明治五年郷社に列したが、翌六年村社に列し、同四十年十月二十六日、神饌幣帛料供進指定を受けた。同四十二年一月十六日、字宮後の金嶽社と字屋敷の若宮八幡社、社宮司社、志貴社を合祀して境内社鍬四神社と号した。
昭和二十年一月十三日、三河地震により社殿悉く倒壊したが氏子の熱意により復興した。
愛知県神社庁 発刊
「愛知県神社名鑑」より
祭 神:天照大御神、豊受姫命
鎮座地:西尾市江原町宮後六十九番地
由 緒:
天治元年九月の創建なりと傅ふ。明治五年郷社となり同六年村社に列す。三河国内神名帳に正五位上原天神碧海郡江原に鎮座すと載す。御朱印社領四石一斗餘。
境内神社:
鍬四神社
祭 神:
伊佐波登美命、玉柱屋姫命、高皇産霊神・神皇産霊神、大雀命、木花佐久夜日売命
由 緒:設立年代不詳
御鍬社昔より現在の舊御鍬部六大字の里民崇敬し、今尚は毎年の例祭に六大字の代表者参列す。明治四十一年十月二日無格社金ヶ嶽社、同若宮八幡社、同社宮司社、同志貴社を合併し、明治四十二年十二月社號を鍬四神社と改称す。
厳島社
祭 神:市杵嶋姫命
三和町 編
「三和町史」より
参拝記
神社周辺情報
今では、県道43号線のバイパス的な道路「衣浦線」が開通した為、ほぼ抜け道みたいな路線になってしまいましたが、バイパスが開通する前は岡崎から西尾、一色方面に行くには通る路線だった現在では市道沿いに鎮座井しています。
この神社の周辺は田園風景広がり、集落が点在する農村風景が広がっています。
参道
境内入口から鳥居を超えてまっすぐ社殿まで参道が伸びてますね。
社号標
江原天神 式内 神明社と彫られた社号標
「延喜式」神名帳には記載されていないので、式内社ではないんですが・・・。
鳥居
鳥居越しに社殿を望みます。
神明鳥居と呼ばれるタイプだそうです。
手水舎・水盤
銅葺の四本柱タイプの手水舎です。水盤も天然石をくりぬいた形になっています。
祓所
鳥居を潜り、手水舎と相対する様に置かれている祓所になります。
狛犬
大正十年生まれの狛犬一対。子乗りというか、子供が乗られないように踏ん張っている様に見えますね。
神楽殿
近代的すぎて何となく味気ない神楽殿になります。
屋根は入母屋造の瓦葺になっていますが、全体の造りがプレハブ感に満ち溢れてますね。
シャッタが開けられて舞を舞っている風景を見ると、雰囲気が違って見えるとは思うんですが・・・。
社殿
三河地震に続いて、伊勢湾台風に襲われ、社殿が倒壊し、仮設同様の建物で普及したままだった為、昭和63年から再建造営工事を行い、平成元年十月に竣工したそうです。
社殿は、拝殿、幣殿、覆殿が一体型になったコンクリート造りの神明風造の社殿になります。
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本殿(覆殿)も神明造で再建されています。
境内社
左から鍬四神社、大国社、八幡社、天神社・市杵嶋社合殿になります。
由緒には鍬四神社と市杵嶋社(厳島社)は記載されていますが、大国社、八幡社、天神社については、いつ頃から境内で祀られているのかは不明です。
懸魚・鬼瓦
神明風造りの為鬼瓦、懸魚がない為、甍覆と鞭掛、千木を見て頂きます。
千木にも切り方があって、男神と女神では切り方が変わるそうです。
参拝を終えて
矢作川の流れが大きく変わり、灌漑や治水、干拓が行われている為、想像がつきにくいですが、その昔は入江がこの辺りまであったそうで、伊勢神宮から船を使用して人や物資に行き来があったそうです。その為なのか由緒書きにもあるようにこの当たりは伊勢神宮神領地になっていたんだと思います。
現代の感覚で地図を見ていたらわからない事が多々あるんですよね。田園風景を見つつ、この辺り海だったのか?と思いつつ神社を後にしました。