(旧)三河新四国八十八ヶ所 三河新四国八十八ヶ所 三河海岸大師八十八ヶ所 三河白寿観音霊場 三河観音三十三ヶ所 西尾市

性海山 宝樹院 妙善寺(西尾市東幡豆町) 三河海岸大師九番札所

2018年8月31日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名 性海山 宝樹院 妙善寺
所在地 愛知県西尾市東幡豆町森66
御本尊 阿弥陀如来
宗 派 浄土宗西山深草派
創 建 天平年間
札 所 三河海岸大師 九番札所
(旧)三河新四国 七番札所
三河新四国 六十五・六十六番札所
三河観音 二十番札所
三河白寿観音 四番札所
三河三封寺 中風除け
御朱印
H P

参拝日:2018年8月11日
再訪:2019年5月22日

性海山 宝樹院 妙善寺公式ホームページのご紹介

https://www.hazu-kannon.net/

三河新四国霊場札所一覧

沿革・由緒

元天台宗。天文年中に利春僧都が西林寺として再興。その後寛政年間に梅翁恵秀上人が妙善寺と改称。

「幡豆町誌」より

妙善寺のホームページには「天平年間に行基菩薩による開基」とあります。天平年間といえば、聖武天皇が奈良東大寺の大仏建立した時代ですね。そして行基は大仏建立の総責任者の様な立場だったと言われていますが。

当時の日本では大仏の建立事業は一大国家プロジェクトだったようですね。ただこの大仏建立が財政を破綻させてしまい、平城京には浮浪者、餓死者が後を絶たなかったんだとか・・・。まだ当時の日本の経済基盤では全国に国分寺、国分尼寺を建立し、さらに大仏を作るのはちょっと背伸びしすぎたんでしょうかね。

三河新四国霊場を行く

三河海岸大師八番札所高松山 養寿院」、(旧)三河新四国霊場六番札所神田山覚性院三河新四国霊場六十三,六十四番札所中尾山千手院」の参拝を終え、三河海岸大師九番札所(旧)三河新四国七番札所三河新四国霊場六十五,六十六番札所性海山妙善寺」を参拝します。

この妙善寺は境内にかぼちゃがたくさん奉納されていて、別称「かぼちゃ寺」と呼ばれています。なぜにかぼちゃ寺と呼ばれるのか・・・こんな昔話が伝えられています。

東幡豆の妙善寺が、むかし西林寺と呼ばれていたころのことです。
寺のおしょうさんは、利春僧都という、とても位の高い人でした。どんな時でも、どんな人の相談にも、いつも笑顔で答える温かい人でした。
夏も終わりに近いある夜のこと、不思議な事が起こりました。
おしょうさんがうとうとした時、まくら元に、観音さまが現れました。
「利春よ、おまえにさずけたい福徳がある。明日の朝、浜に出てみるがよい」
おしょうさんは、おどろいて目を覚ましました。
(はて、福徳とはいったい何の事じゃろう)
おしょうさんは、観音さまのお告げが気がかりで、夜の明けきらぬうちに、寺の前の浜に出てみました。
すると、ぶつくさ言っている漁師の源助に出会いました。
「源助じゃないか。何をしとる」
「あ、おっさん。おらあ、こんなもんにけつまずいただ。こりゃあ何だえ」
「ほんに、見たこともないもんだ。何じゃろう」
木の実とも野菜ともつかない丸い形をした物が、たくさん岸に打ち上げられていました。
沖の方を見ると、同じような物が、ぷかぷかういています。
「源助、じつは、ゆうべ観音さまのお告げがあってな。『福徳をさずけるから、浜に出てみよ』と、おっしゃったのじゃ」
「おっさん、そいつぁ、この丸いもんのことじゃねえかえ」
のぼる朝日を背に、二人が話をしている間にも、次つぎと流されて来ました。
「中からすげえお宝が出てくるかもしれねえ。はよ、割ってみておくれ」
「待て待て、これが福徳ならば、まずは、観音さまにお供えしてからじゃ」
二人はとりあえず、寺まで運ぶことにしました。

「観音さま、これをいったいどうしろとおっしゃるのでしょうか。お教えください」 おしょうさんは、手を合わせて観音さまに問いかけましたが、何の答えもありません。
源助は一刻も早く、割ってみたくてたまりません。
「おっさん、はよ、はよ」
「何じゃ、子どもみたいに。そうせかすでない」
おしょうさんは、おそるおそる包丁を入れてみました。
すると、きれいな黄色の実が現れ、種がいっぱい入っていました。
「なあんだ、お宝じゃあねえのか。おらあ帰るわ」
源助はがっかりして、家に帰って行きました。
「それにしても、瓜によう似とる。だとすると、食べられるにちがいないが……」
おしょうさんは、一日じゅう考えこんだ末、思いきってその実をにて食べてみました。
すると、どうでしょう。とても甘くて、今まで食べたことのないおいしさでした。
あくる朝、やはり気になる様子で、源助は寺にやって来ました。
「おっさん、あの丸いもんはどうしたえ」
「にて食べてみたがな、あんなうまいものは初めてじゃよ。源助、おまえも食べてみろ」
おしょうさんにすすめられ、源助は、おそるおそる一口食べてみると、甘味が口の中に広がり、たまらないおいしさでした。
源助からこの話を聞いた村人は、我先にと、寺に集まって来ました。
「ほんに、こりゃあうめえ」
「甘くて、ほっぺたが落ちそうだ」
おしょうさんは、楽しみの少ない村人のために、月に一回、少しずつふるまうことにしました。
(この実を食べてから顔の色つやがよくなって、生き生きとしてきた。これぞ、お告げの福徳じゃ)
おしょうさんはそう思い、大切にとっておいた種をまき、たくさん育てました。

ずっと後でわかったことですが、そのおいしい実は「かぼちゃ」でした。

参拝記

名古屋鉄道蒲郡線「東幡豆駅」から海岸沿いにでてちょっと東に進むと、まさに海岸線から妙善寺の山門が見えてきます。なかなか、山門で振り返ると海が広がっている寺院ってなかなか無いですよね。

境内入口

海岸線から妙善寺に向かうと、石段の参道の先に山門が見えてきます。
山門横に置いてある「しゃもじ」型にハズ観音と書かれた看板が非常に目を引きます。

先ほども述べましたが、山門の前で海側を振り返ってみます。
ちょっと松の枝が邪魔していますが、三河湾が広がっています。

自分の記憶が確かなら、松の枝に見切れて見えにくいですが、沖合に前島、沖島と呼ばれる島があります。この両島がまだ"うさぎ島、さるが島"と呼ばれ、その名の通りうさぎや猿が放し飼いの観光島だった頃、この妙善寺周辺から定期船が出ていたはずなんですが・・。自分が幼少金の頃一度船に乗って島に遊びに行った記憶があります。

山門

袖壁が設けられた四脚門の山門になります。

山門の貫のとこ所に絡まって、左右それぞれに松の所に伸びていくこの赤い数珠の様なものは一体何なのでしょうか。

十王堂

山門から左手を見ると、御堂が建っています。
その中を拝見させて頂くと、十王と共に弘法大師像も奉安されています。

そしてこの堂の壁には・・

三河海岸弘法大師第九番奥之院手引霊場」と題名が書かれた扁額掲げられていました。
この御堂が九番札「妙善寺」の奥の院という事なんでしょうか。この額を読んでいると三河海岸大師霊場は明治十八年に開創されたみたいですね。途中出てて来る「地頭松平〇馬守」が弘法大師像を奉納したとあるのですが、この地頭とは一体誰なんでしょうか。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

手水舎・水盤

木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。
ちょっと植木に隠れてしまっていますが、手水舎の造りが水盤がギリギリ治まる感じで作られている為、非常にコンパクトになっています。

清掃されて、清水が満たされていた水盤に水を灌ぐ龍です。

常香炉

山門を潜ると、本堂との間に常香炉が据えられています。
参拝者が多い時期には、線香の煙と香りがこの辺りを彩っていると思いますが、参拝した日は35℃を余裕で超える酷暑日で、こんな暑い日に参拝しているのは自分だけ・・・

白寿観音

本堂前には白三河白寿観音霊場巡りの札所になっている白寿観音像が奉安されています。

三十三観音堂

西国観音霊場の写し観音が据えられています。
結構境内の中でも中々目が行きにくい場所に据えられているので、もしかしたら写し西国観音像が奉安されていることに気付いていない方もいらっしゃるかもしれませんね。

役行者像

役行者像が奉安されているのですが、像周辺には置かれた何やら白い貝殻の様な物が何なんでしょうか。

本堂

寄棟造瓦葺平入の向拝の設けられた本堂になります。
屋根が反っておらず真っ直ぐの大屋根なので、この角度で屋根を見上げると中々迫力があります。

そして大貫部分には

山号の化粧瓦が埋められていて、尾部分が欠けてしまったしゃちほこが据えられていました。

本堂に掲げられた山号標。

そして、それぞれ霊場の札所を示す案内板。

中央には本尊である「阿弥陀如来像」が奉安されています。
本尊を向かって右側には

山門横に「ハズ観音」と掲げられた看板がありましたが、こちらに「ハズ十一面聖観世音菩薩」が奉安されています。その脇に弘法大師像が奉安されています。

こちらが三河新四国霊場の札所になるようですね。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

本尊むかって左側には

「勢至菩薩」が奉安されています。
あまり聞きなれない「勢至菩薩」なんですが、Google先生&Wikipediaで調べると・・・

阿弥陀三尊の右脇侍と言われています。火途・血途・刀途の三途、迷いと戦いの世界の苦しみから知恵を持って救い、その亡者を仏道に引き入れ、正しい行いをさせる菩薩とされる。

出典~Wikipedia~

御朱印

参拝を終えて


そして、本堂前には"幸せのかぼちゃ"

毎年、冬至の日に"かぼちゃしるこ"が振舞われていますね。結構地元のTVで地元ニュースで取り上げられて見る機会があるかもですね。

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やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。
やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。

所在地を地図で確認

寺院名 性海山 宝樹院 妙善寺
所在地 愛知県西尾市東幡豆町森66
最寄駅 名古屋鉄道蒲郡線「東幡豆駅」徒歩3分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

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少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

次の目的地は?

三河海岸大師霊場を遍路されている方は、十番札所性海山 宝樹院」を目指します。

(旧)三河新四国霊場を遍路されている方は、八番札所中尾山千手院」を目指します。

三河新四国霊場を遍路されている方は、六十七,六十八番札所薬王山太山寺」を目指します。

 

-(旧)三河新四国八十八ヶ所, 三河新四国八十八ヶ所, 三河海岸大師八十八ヶ所, 三河白寿観音霊場, 三河観音三十三ヶ所, 西尾市