三河海岸大師八十八ヶ所 東条吉良観音三十三ヶ所 西尾市

観音寺(西尾市吉良町津平) 三河海岸大師 八十七番札所

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名:観音寺
鎮座地:愛知県西尾市吉良町津平
本 尊:不明
宗 派:臨済宗 妙心寺派
創 建:永享年間
H P:-
札 所:三河海岸大師 八十七番札所
札 所:東条吉良三十三観音 二十四番札所

沿革・由緒

幡豆郡横須賀村誌には、観音寺の由緒について下記の通り記載がされています。

大矢田蔵人、伊奈勘解由、後白河方法を供奉して津之平に到るという。永享年中蜜乗の宗師一宇を建て、能興寺という。後徳岩律師天竺渡来の十一面観音を護持し来たり堂を修理して安置す。天文年間方外禅師、護国禅師を請して開山とし始めて禅刹となる。天和三年園水和尚茲に隠居し大士三十三の木像を彫刻す。寛永七年妙心寺直末となる。是をもって領主松平正久堂宇を修造し補陀洛山観音寺と称し累代祖先の霊牌を安置す。

とあります。

この中で、ポイントとなるのが、天文年間に開山した祭に呼んだ禅師なんですが、護国禅師とあります。さらに調べると、正式は宝珠護国禅師とするそうです。この宝珠護国禅師は、今川義元の軍師とも云われ、徳川家康の教育係にもなった"大原雪斎"の諡号になります。

諡号とはなんぞや?

貴人や高徳の人に、死後おくる名前、おくりなの事を言います。

吉良氏の本城である東条城近くの小さな御堂を今川氏の軍師である大原雪斎が開山させ寺院化することができたのは、その頃には吉良氏は今川家の傘下に加わった為だと思います。そして、大原雪斎は臨済宗の妙心寺の住持に就任しており、臨済宗妙心寺派の寺院を今川氏勢力圏に次々と建立、中興しています。東条城の目の前にも臨済宗の寺院を建立することで今川氏の影響力を高めていく狙いがあったんだと思います。

あと、山号と寺名を決めたとされる松平正久は、大河内松平宗家の三代目で、1703年大多喜藩に国替えされた際、この東条の地も大多喜藩の藩領となり、小牧陣屋を建てた人になります。

思いがけず、歴史上の有名人が登場してきましたね。

参拝記

歴史を感じる由緒が残っていたんですが・・・・

残念ながら廃寺のようです。この御堂の中も確認したんですが、本尊などはほかの寺院に移設されたようで空っぽでした。

片隅には、石造物や宝篋印塔が固められています。
その中のひとつに

西国三十三観音の石碑が。これが東条吉良観音なのか吉良西国観音なんか・・・はたまた別の観音霊場なのか・・・わからないですね。

歴代住職の墓石もそのまま残っていました。


この観音寺には西尾市の天然記念物の指定されてる"江戸彼岸桜"があります。
西尾市のホームページには、

観音寺8世住職の墨僊(ぼくせん)が巡教の際に持ち帰り植えたものと伝えられる。背の高い樹から枝垂る花が優美である。

とあります。

境内跡地に一本だけ非常に雄大な桜の木があります。

廃寺に残った桜の木というのは寂しい感じがしますが、花が咲くころは非常にきれいなんでしょうね。


おまけ

観音寺の庫裏だったんだろう建物にこんな物が残っていました。

宅配牛乳の受け箱ですね。

しかもこの木箱は非常に古く、今から50年以上前の受け箱になります。
昔と言っても、雪印食中毒事件が起きた時ですから、丁度2000年以前は、まだまだ食品の安全基準が緩くて、写真のような牛乳受け箱が現役で使われていました。その後、牛乳、乳製品の温度管理が厳しくなり、宅配牛乳の受け箱も保冷箱に替わっていきました。今では、牛乳の受け箱に保冷剤を使って品温が10度以下を極力保つように牛乳販売店の皆様は努力していますね。

自分が小学校や中学校の頃、給食で出てくる牛乳は"ぬるい"が定番でした。今では給食に出てくる牛乳は"冷たい"ですからね。この差は大きいですよ。

そんな私は、この受け箱に書かれている"中部牛乳"を製造していた会社の元社員・・・。ついつい懐かしくて写真を載せてみました。

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