三河海岸大師八十八ヶ所 西尾市

岩垣山 真相院(西尾市東幡豆町大西) 三河海岸大師六番札所

2018年7月23日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名:岩垣山 真相院
鎮座地:西尾市東幡豆町大西二十番地
本 尊:阿弥陀如来
宗 派:浄土宗西山深草派
創 建:正保年中
H P:-
御朱印:-
札 所:三河海岸大師 六番札所

沿革・由緒

承応三年(1654年)に示寂した相誉伝心和尚が開基であるとされています。

詳しい沿革、由緒は不明ながら、真相院が関係する「はずの民話」が残っています。

境内に、「はずの民話」の案内板が掲示されています。


観海さんと盆踊り

今から百年ほど前のことです。
永良村(西尾市)から、五才くらいのいたずらっ子が、もっこに乗せられて形原の真如寺へ連れてこられました。子だくさんの農家から、口減らしのためお寺へ小僧として奉公に出されたのでした。
やがてこの男の子が成長し、洲崎の真相院に新しい住職としてやって来ました。
「今度のおっさん、えらく若えが、満足なおつとめができるかのう」
「どう見ても、おっさんらしくねえもんなあ」
村の人たちは、たよりないおしょうさんのことを心配しては、うわさしていました。 いたずらっ子だった観海さんは、おしょうになっても遊び好きが直らず、村の若者を寺に集めては、飲めや歌えの毎日でした。
困った村人は、寺の世話方をしている善五郎さんの所へ相談に行きました。
「夜は若いもんとさわぎまくり、朝はいつまでもねておって、おつとめにおくれたことも二度や三度じゃあねえ。これじゃあ先が思いやられてのう」
善五郎さんも見かねていたので、さっそくお寺に行きました。
「のう、観海さん。遊ぶもいい。さわぐもいい。だが、おっさんのつとめだけは、しっかりやらにゃあいかん。村の者も心配しとるで」
善五郎さんのやさしくさとす言葉を、観海さんはだまって聞いていました。

そのころ、洲崎の村では、船付と呼ばれる岩場から、何人もの人が落ちて大けがをしたり、死んでしまうという災いが続きました。
「同じ場所で、こう何人も災難にあうのは、何かのたたりじゃあねえか」
「どうだえ。おっさんにご祈とうしてもらっちゃあ」
村人は連れ立って、真相院に行きました。
ところが、観海さんの姿はなく、夜になっても帰って来ませんでした。
腹を立てた村人は、善五郎さんの家にやって来ました。
「もう、かんべんできねえ。あんなおっさんじゃあ何の役にも立たん。新しいおっさんに来てもらったらどうだえ」
「そうともよ。おっさんはほかにいくらでもおいでるだ」
かんかんにおこった村人に、善五郎さんは頭を下げてたのみました。
「わしが話してみる。もういっぺんだけ目をつぶってくれんか」
その夜おそく、善五郎さんは、寺へと急ぎました。あいにく月がかくれて、辺りは真っ暗でした。昨日まで続いた長雨のせいで足元が悪かったために、善五郎さんは、崖から足をすべらせてしまいました。
村人たちは、寺に行ったはずの善五郎さんが、いつまでたっても帰ってこないのであちこち探し回りました。
明け方になって、冷たくなった善五郎さんが見つかり、村じゅう大さわぎになりました。遊びから帰ってこのことを聞いた観海さんは、それが自分のせいであったと知って、寺のおくにかくれておいおいと泣きました。
その日から、観海さんの遊ぶ姿を見かけなくなりました。
村境の多度山にこもって二十一日間のつらい修行を始めたのです。昼も夜も一心に唱える念仏や打ち鳴らす鐘の音は、村人の心を強く打ちました。

修行を終えた観海さんは、まるで別人のようになって寺に帰って来ました。村の若者に仏の心を教えました。お盆にはなくなった人たちへの供養として、新仏のある家を回って、夜どおし歌い踊るのでした。
「善五郎さんも、これでやっと成仏できるというもんじゃ」
「よかった。よかった」
若者たちの輪に入って踊っている観海さんを、村人は目を細めて見ていました。

*もっこ ……… なわをあみのように編んで、四すみにつなをつけ、土などを運ぶ道具
*口減らし……… 家計が苦しいので、奉公に出すなどして、養う家族の人数を減らす事


この地区の盆踊りは現在でも続いているそうですよ。

参拝記

国道247号線から名鉄蒲郡線"こどもの国駅"方面に向かい、名鉄戦をアンダーパスしてそのまま北上していくと、見えてくるのが今回紹介する真相院になります。

大師霊場のはずなのですが、この寺院に掲げられているの幟は、

四天王の一尊である"毘沙門天"です。
この毘沙門天、四天王の一角を守りし神なんですが、単独でも信仰されているという武神でもあります。有名なのは"上杉謙信"ですかねぇ~。

この真相院には山門がなく、参道である石段を上った所に、寺号標が建っています。

境内入口脇には御堂があり、役行者像が鎮座しています。
ここの役行者像のお顔は優しい顔をしています。

本堂は、入母屋造になっています。
本堂の軒下に、梵鐘が吊られていますね。

本堂前から三河湾方面を望みます。
少々電線が邪魔ですが、なかなか風光明媚な景色じゃないでしょうか。

この真相院のすぐ北側にある山全体は"愛知こどもの国"としてかなり大規模な公園として整備されています。本物のSLも走っていたり、キャンプも出来たりと子供と一日遊ぶには最適な公園かも。

 

 

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