神社紹介
神社名 | 熱田社 |
鎮座地 | 愛知県名古屋市港区宝神町敷地七五九番地 |
御祭神 | 天照大御神、 倭武命 、須佐之男命 宮簀媛命、建稲種命、秋葉三尺坊大権現 |
旧社格 | 無格社 |
創 建 | 文化十四年(1817) |
神名帳 | - |
境内社 | - |
例祭日 | 十月八日 |
御朱印 | - |
H P | - |
参拝日:2019年12月25日
御由緒
「熱田社」、名古屋二十一大師十二番札所「宝生山辨天寺/紹介記事」が建つ場所は、文化十四年(1817年)に「熱田神宮寺」が干拓開発した「神宮寺新田」になります。
江戸時代には、熱田神宮にも「神宮寺」が存在していました。「木津山神宮寺大薬師」といい、本尊に弘法大師とも言われる「薬師如来像」を奉安していました。また、弘法大師作の不動明王を奉安した不動堂を護る「不動院」、同じく弘法大師作の愛染明王を奉安した愛染堂を護る「愛染院」があったといいます。本社が木津山神宮寺、塔頭または末社といった感じで不動院、愛染院が存在していたのでしょうか。ちなみに、大薬師のことを「医王寺」とも呼んでいたとか。
尾張藩としても、熱田神宮、熱田神宮寺の存在は大きかったようで、「熱田神宮寺」の名前で干拓の申請を行うと許可が出やすかったそうで、「神宮寺新田」はそういったいきさつで熱田神宮寺が尾張藩に開発申請を行った為、神宮寺のその名が付けられたそうです。
そんな「神宮寺新田」の鎮守社として創建されたのが「熱田社」になります。境内にある由緒書きによると文化十四年の開創以来、嘉永五年(1852年)、明治十年、明治二十三年、大正二年、昭和八年、昭和三十八年と造営工事が行われているそうです。さらに平成二年の造営工事で鉄筋コンクリート造りの社殿を再建しています。
現在では、住宅地として開発され、良いか悪いかはともかく渋滞で有名な「十一屋交差点」などがある国道23号線が東西に走っている「神宮寺新田」ですが、今から100年ほど前の明治時代後期の神宮寺新田は・・・
まさに、庄内川堤防脇の周囲に何もない田園風景が広がる場所に熱田神社が鎮座しているのが分かりますね。干拓地などの鎮守社は、どうも今夏感じの田んぼが広がる場所にポツンと鎮座している事が多いような気がします。なんで干拓が終わって、入植者の方達が住む集落の中に鎮守社を設けなかったんでしょうか。
天保十五年(1844年)に書かれた「尾張誌」には、神宮寺新田に「八剱ノ社弁才天水天宮相殿社」ありと書かれています。熱田神宮寺であり、熱田神宮別宮「八剱社」の境内にあったという「愛染院」から勧請を受けて御霊を祀ったのが「八剱社」と称していたと思います。(江戸時代において、熱田神宮の勧請は「愛染院」が担っていたのではないかと思いうのですが。)神仏分離で愛染院が廃寺となった為、愛染院より勧請を受け「八剱社」と称していた神社が「熱田社」へと改称していったのではないかと思います。大正十二年に発刊された「愛知郡誌」には既に「熱田社」に改称されています。
八剱社、八剱神社が他にもあるじゃないかと思われるかもしれませんが、こちらは愛染院が開創する前に勧請を受けた神社ではないかと思っているのですがどうですかねえ。
あと、同時に記載されている「弁才天、水天宮」なんですが、境内の由緒書きにも、愛知県神社名鑑にも記載されていませんが、合祀したわけではなく、相殿となると境内社として見る事もあり、そうなると由緒には名前が出てこないことなるのですが、まあ、そんなことはよくあります。現在の熱田社の本殿の造りが分からないので何とも言えませんが、三間社になっていれば、中央に熱田社の祭神を祀り、その両脇の部分に弁才天、水天宮が祀られているはずです。
当熱田社は、文化十四年九月新田開発と同時に熱田神宮より御分神を勧請し、以来村内産神と奉稱一同尊敬し崇拝してきました。明治十二年七月九日無格社に据置公許されました。嘉永五年、明治十年、明治二十三年、大正二年、昭和八年、昭和三十八年の六回の御遷座が行われ現在にいたりました。東海地震、三河地震、大東亜戦争の大空襲、伊勢湾台風の災害、戦災には殆ど被害を免れてきました、本社殿等の破損、老朽化がひどくなり氏子一同何回となく審議を重ね、ここに総意を以て鉄筋コンクリート建築の本社殿の御造営と境内整備を行うに至りました。
境内由緒書きより
名古屋二十一大師霊場を行く-寄り道遍-
十二番札所「宝生山辨天寺/紹介記事」の参拝者駐車場の目の前に鎮座している神社が「熱田社」になります。今回この参拝記事を書くまで知らなかったのですが、熱田神宮、熱田神宮寺に所縁のある場所になるんですね。地図を見ていると「神宮寺」という地名があって、江戸時代後期まで海だった場所に神宮寺があるとは思えないし、なんなんだろうなあ。と思っていたのですが、ここ熱田社の由緒を調べているうちに、そうなんだ!と納得した次第です。
江戸幕府にも忖度がきくんですね。
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参拝記
辨天寺の正面にある参拝者駐車場からも境内を見ることができます。ちょっと駐車場に車を停めさせて頂いたまま、熱田社を参拝していこうと思います。
社号標、境内入口
熱田神社とかかれた社号標と神社入口になります。
社号標が置かれた場所から真っ直ぐ抜ける砂利道に沿うように境内があり、中間部分に鳥居が据えられた境内入口あります。この砂利道を真っ直ぐ抜けると「辨天寺」に正面に出る事ができます。
鳥居
神明鳥居の石鳥居が据えられています。
手水舎・水盤
木像銅葺支柱が設けられた二本柱タイプの手水舎になります。全体のバランスが絶妙な手水舎ではないかと思います。
狛犬
昭和八年生まれの子乗り玉乗りの狛犬一対になります。
社殿
十二月二十五日という年末に参拝しているので、境内は正月初詣の準備が進んでいる様で、社殿の奥に進めないようにブルーシートが壁がおこされていました。この壁に何の意味があるのかは・・・まったくわかりませんが。
社殿は、切妻造瓦葺妻入りの拝殿に一段高くなった本殿と渡殿が一体となった社殿になっています。現代の解釈の下造営された近代尾張型社殿とでもいえる様式ですね。
鎮座地を地図で確認
神社名 | 熱田社 |
鎮座地 | 愛知県名古屋市港区宝神町敷地七五九 |
最寄駅 | 名古屋市営バス 「弁天浦バス停」徒歩6分 名古屋市営バス 「多加良浦バス停」徒歩5分 |
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