神社情報
神社名:若一神社
鎮座地:西尾市一色町赤羽下郷一一四番地
御祭神:若一王子、伊邪那美命、速玉之男命、事解之男命
旧社格:神饌幣帛料供進指定村社
創 建:不詳
境内社:御鍬社、若宮八幡社、秋葉社、八剱社、社宮司社、熊野社、稲荷社、天満社
例大祭:十月十六日
御朱印:-
H P:-
参拝日:2017年12月13日
御由緒
創建は明らかではない。明治五年十月十二日に村社に列格し、同四十年神饌幣帛料供進指定をうけた。同四十三年六月二十日、字上郷の八剱社、熊野社と字西乾地の社口社、秋葉社、八幡社の五社を境内社御鍬社に合祀した。
愛知県神社庁 発刊
「愛知県神社名鑑」より
神社名鑑には祭神は伊邪那美命のみの記載となっていますが、境内にある造営記念碑には、祭神は若一王子、伊邪那美命、速玉之男命、事解之男命となっています。祭神から見ても、非常に熊野三山に縁のある神社であると思います。
参拝記
国道247号線沿いにあるパチンコ屋の駐車場に沿う形で少し入ったところに鎮座するのがこの若一神社になります。近くには高須病院があります。
Googlemapストリートビューで雰囲気を感じて見て下さい。
境内入口
奥には二の鳥居があり、そこまでは参道の様にまっすぐに伸びています。
すぐ隣に民家があり、鳥居の下をそのまま車が通っている様ですね。
社号標
玉垣の脇に設置された旧社格がコンクリートで埋められている社号標になります。
大正七年製になり、少々風化具合が気になります。
もう一つ社号標。平成十四年の造営工事の際設けられた物です。
社号標の横には禁止事項の掲示板も復興されてますが・・・。
車馬乗り入れ禁止と言いつつ・・・せめて鳥居を迂回する車道を設けてほしいですね。
一の鳥居
扁額が取り付けられた両部鳥居がお出迎え。よく見ると、貫部分に神紋が彫られています。
二の鳥居
二の鳥居も両部鳥居になっています。
二基鳥居を設けている神社で、両基とも両部鳥居となっている神社は非常に少ないのでは。
手水舎・水盤
少し戻って、一の鳥居と二の鳥居の間に設置された手水舎になります。
木造、瓦葺の四本柱タイプの手水舎です。
狛犬
大正十二年生まれの子乗り、玉乗りの狛犬一対。
倒壊防止の枠が設けられていますが、これが正月参拝者対策なのか、常設なのか・・・。紅白のにテーピングされたポールなので、なんとなくめでたい気分になりますね。
二の鳥居当たりから、石畳の参道が社殿まで伸びています。
灯篭に設けれたポールを見ると、仮設の倒壊防止のポールだとおもうですが。
社殿
平成十四年の造営工事で再建された社殿になります。
千鳥破風付入母屋造、瓦葺、平入の拝殿になり、向拝部分が設けられています。
流造の本殿と幣殿、拝殿が一体となった社殿様式になっています。
旧本殿は一間社流造になっていて、西尾市の有形文化財に指定されています。
現在では、社殿脇の倉庫にて保管されているそうです。
境内社
社殿むかって左手に鎮座する御鍬社、稲荷社、若宮八幡宮、秋葉社、熊野社、天満社、八剱社、十一面観音大菩薩、社宮司社の九社相殿です。
昭和十二年生まれの子乗り、玉乗りの狛犬一対も相殿前に鎮座しています。
相殿までには、力石と呼ばれる力比べに用いられた石が置かれています。
抱きかかえるように持ち上げているそうで、一番重い物で320kgほどあるそうです。
懸魚・鬼瓦
鰭無しの猪の目懸魚になります。
参拝を終えて
この若一神社から北に300mほど行ったところに、赤羽根城があり、この辺りを赤曾根村と称していたそうです。徳川家康の三河平定の際、家康に対抗する吉良家に属していて、西条城(西尾城)を酒井正親が攻め落とした祭、炎上落城したと言われています。
酒井家の家門が片喰を主に「丸に剣片喰」などを使用しており、この神社の神紋と同じ物をになっています。もしかしたら、西尾城主時代の酒井氏がこの神社に何等かの関わりがあったのかもしれませんね。