矢作川神社巡り紀行 西尾市

八幡社(愛知県西尾市小島町)

2017年10月22日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

神社情報

神社名:八幡社
鎮座地:西尾市小島町山内三十八番地
御祭神:譽田別尊、天照大御神、天津児屋根命、菊理比咩命、伊邪那美命、淤加美命
御祭神:宇迦之御魂神、火産霊神、奥津日子神、奥津此売神、建御名方命
旧社格:神饌幣帛料供進指定村社
神名帳:三河国内神明帳 正五位下 小島天神 坐 碧海郡
創 建:不明
境内社:
境外社:竜宮社 祭神:淤加美命
例大祭:十月二十日
H P:ー

参拝日:2009年5月9日
参拝日:2017年10月10日

御由緒

「三河国内神名帳」に正五位小島天神碧海郡に座す、社領三十余石あり、郡中有数の神社で創立の古き社なり。と「三河二葉の松」に小嶋村八幡社、社領三十石、神主石原半左ヱ門あり、往吉は碧海郡に属したが、矢作川水路変更により幡豆郡に属した。文禄二年(1593)二月十五日領主高部鉾之介、墨印三十石を寄進す。慶長六丑年(1601)五月二十四日先規により伊那備前守三十石を寄進する。慶安元年(1648)十月二十四日、徳川家光、朱印地とする。明治五年十月十二日、村社に列する。同四十年十月二十六日、神饌幣帛料供進指定社となる。
同四十二年三月二十日、字茶畑の白山社と字山ノ内の淤加美社と城山の稲荷社と字大迫間の大郷社と字向山の諏訪社の五社を本社に合祀した。

愛知県神社庁 発刊
「愛知県神社名鑑」より


村社 八幡社
祭 神
譽田別尊、天照大御神、天津児屋根命、奥津日子神、奥津此売神、火産霊神、淤加美命、宇迦之御魂神
鎮 座
 大字小島字山内三十八番地
由 緒
創立年代不詳、明治五年十月村社に列す。神明社春日神社合殿、明治四十二年十二月合併許可につき合殿削除。
村社白山神社(大字米野字茶畑1番地に鎮座)永禄三年九月の歓請なりという。明治四十二年三月合併。
無格社淤加美社(大字小島字山内二番地に鎮座)明治四十二年三月合併。淤加美神社は往昔西尾藩主の歓請に依って祠を建立す。藩主代々の崇敬厚く年々の例祭に代参を派したるも廃藩後絶ゆという。
無格社大郷社(小島町字大迫間五十三番地に鎮座)幕府朱印高四石七斗を寄す。明治四十二年三月合併。
無格社稲荷社(小島町字向山五十八番地に鎮座)明治四十二年三月合併。
三河国内神名帳、正五位下小島天神。坐碧海軍小島村生土神、水昌八幡宮、社領三十石、例祭八月十五日、今八幡神明春日三神合座殿、社山上に在り。神主石原氏、二葉松幡豆郡八幡並荒神社(小島村)社領三十四石五斗新家千足云同村天神山に云處に天神社ありしが中此廃絶したりを今又小社あり。

三和町 編
「美和町史」より

 

参拝記

神社周辺情報

アイシンエーアイ社本社工場の前を通る愛知県道479号線沿い鎮座するのがこの八幡社。社業地の中を横断する形で県道が新設されたため、県道からでは境内入口が見えません。

県道から左手の森に八幡社が鎮座し、道路を挟んで反対側の森も八幡社の境内地だったそうです。
アイシンエーアイの工場がある場所が昔、尾島城(小島城)の跡地だったそうですし、この辺りの中心地だったのかもしれませんね。

参道

県道から旧道側に回むと参道が見えてきます。
山全体が境内になっている神社になり、100mほど参道が田んぼの中を貫いて続いています。
参道自体もしっかりと舗装されています。

立石&幟ポールの奥には、境内に向かう階段が続きます。
参道右手の垣根は東禅寺の垣根になります。

社号標

旧社格が縁取りされていますね。大正14年製
そして、社号が八幡神社と彫られています。

実は、この八幡社、境内が広い為、もう一ヶ所参道が設けられています。
そちらにも社号標が置かれています。

開けた田んぼのからいきなり森の中の社号標。
こちらのが古く明治41年製になります。

この辺りの社名の変遷は、神社通しの合併と関係があるんですかね。

鳥居

どっしりとした感じの一の鳥居になります。
扁額にも八幡神社と彫られていますね。

参道をすすみ、階段を登っていくと現れるのが二の鳥居になります。

鳥居越しに社殿を望みます。

もう一方の参道にある鳥居も紹介します。

こちらの参道にある鳥居は、高さがあまりない為が、威圧的な感じはしませんね。

手水舎・水盤

なぜか隅に置かれている水盤と井戸が置かれた手水舎になります。
水盤の向きと位置がどう見てもおかしい感じがするんですけどねえ。

祓所

ここの祓所には榊が植えられていないんですが、かなりしっかしとした造りになってますね。

狛犬

子載り玉載りの狛犬一対。生まれは調べ忘れてました・・・。

社殿

改めて社殿を望みます。
入母屋造、瓦葺、平入、縁側が設けられた拝殿となります。
隅部からまっすぐ水受けに落ちている真鍮製の雨どいがアクセントになってますね。

本殿は分かりにくいですが、銅葺流造りの本殿が鎮座しています。

神楽殿

かなり老朽化が深刻な神楽殿になります。
この神楽殿を用いて舞の奉納も行われなくなっているそうです。
KEEP OUT の黄色いテープが痛々しいですね。

境内社

社務所裏側にある諏訪社跡地の石碑。
平成7年に本殿に合祀されたそうです。
上記の三和町史には諏訪社の祭神:建御名方命が記載されていなかったという事は、合併と書かれていますが、合祀ではなく、境内社として存続していたという事でしょうか。しかし、神社名鑑には本殿の祭神として建御名方命が記載されていますし・・・。どうなんでしょうかね。

境内社の天神社になります。

境外社

竜宮社については、別記事でご紹介します。

懸魚・鬼瓦

懸魚部分の木材が新しくなっているので、修繕されているようです。
鰭付きの蕪懸魚なんですが、非常に特徴的なデザインになっていますね。

参拝を終えて

神名帳に記載されているほどの古社の為、歴史の香りがする神社だと思います。

祭神が多いので、整理すると・・・
元々は
八幡社(祭神:譽田別尊)
神明社(祭神:天照大御神)
春日大社(祭神:天津児屋根命)
の合殿があり、合祀することで八幡社に。
明治四十二年の神社合祀令で合併したであろう5社
白山社(祭神:菊理比咩命・伊邪那美命)
淤加美社(祭神:淤加美命)
稲荷社(祭神:宇迦之御魂神)
大郷社(祭神:火産霊神、奥津日子神、奥津此売神)
諏訪社(祭神:建御名方命)
この5社が合祀された事で、祭神が一気に増える形になっています。

境内に立つ由緒書きには、大郷社ではなく荒神社と記載されています。

近隣の神社

地図で所在地を確認

”西尾市小島町山内三十八番”

矢作川神社巡り紀行

矢作川沿いに鎮座する神社を参拝、紹介をしております。興味がありましたら、順次更新しておりますので、のぞいてみてください。

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