参拝記
由緒書きには、桓武天皇の皇女孟子内親王がこの辺りの荒廃した田畑を与えられて鎮守の神として創建したのがこの神明社になるとされています。しかし、以前紹介した「野宮神社」の由緒書きには、清和天皇(850年-881年)の悠紀斎田の地の祭祀として第十一皇女孟子内親王にこの辺りの土地を与えたとされ、さらに西尾市史には「元慶二年(878年)三河国幡豆郡の荒廃田百町歩を孟子内親王の一身田として与えた」と記されています。
さて、孟子内親王は桓武天皇の皇女にはその名はなく、清和天皇の皇女に名前が残されています。清和天皇の皇女としたら、生誕年不明ー901年を生きた方になります。
この辺りは、清和天皇の悠紀斎田で指定された土地になりますし、皇室ゆかりの土地という事で祭員として使わされたのは清和天皇の皇女の方が可能性が高いかなと思いますね。そうなると、創建年月も変わってくるのかな?
境内入口
南向きの社殿に東入りの境内になっています。
非常に独特な入口の雰囲気を醸し出しています。
社号標
建立年月日を調べ忘れましたが、地区名が彫られた真新しい社号標です。
鳥居
これまた建立年月を調べ忘れましたが、神明鳥居が出迎え。
境内入口の独特な雰囲気は、この鳥居の柱周辺の置き石が醸し出していると思います。
こういった置石で車止めの効果もありますが、歩行者には邪魔にならないという中々他にはない置石ですね。
手水舎・水盤
四本柱タイプの木造、銅葺の手水舎になります。
屋根の造形など見るとかなり簡素な造りかな?と思います。
狛犬
御大典記念の昭和三年生まれの狛犬一対です。
遥拝所
伊勢神宮の遥拝所になります。
三河地方はお伊勢信仰が根強いのでこういった遥拝所が設置されている神社が点在していますが、ほかの地域はどうなんでしょうね。
社殿
入母屋造の瓦葺、平入、木造の高覧の設けられた廻縁のある拝殿になります。
木組の斗供と木彫りの彫刻が組み合わされた独特の雰囲気がいい感じです。
ただ、正面からの写真を見てもらっても、斗供のある他の神社の社殿と比べると、腰高のイメージがなく、入母屋造の拝殿としてはかなりバランスが良いかなと思います。
ここの本殿は流造の本殿が鎮座しています。
これまた神明造の本殿が鎮座しているとの情報もありますが、さすがにこれは覆殿ではないので、情報が間違っているのかな。
社殿の造りは、拝殿-幣殿-露天型の祭場-本殿となっています。
境内社
社殿向かって左手に鎮座する稲荷社になります。
鳥居の先に進んでいくと、大小二つの祠に稲荷社の本殿がそれぞれ鎮座しています。
由緒書きでは、境内社に八剱社を合祀したとありましたが、この稲荷社の中に合祀されているのかわかりませんでした。
懸魚・鬼瓦
鰭付きの蕪懸魚になります。
神明社らしく、菊の御紋が神紋のようです。
参拝を終えて
野宮神社に続いて、清和天皇に通じる神社になります。偶然なんでしょうが、清和天皇から派生した清和源氏の流れの足利家がこの辺りを一大拠点にしていたのは歴史の面白さですね。
神明社となると大半が天照大御神を祀っているのですが、ここでは豊宇気昆売神と伊勢神宮外宮の祭神を祀っています。
近隣の神社








