矢作川神社巡り紀行 西尾市

天竹社(西尾市天竹町池田)・日本で唯一綿の神を祀る

2018年4月23日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

 

神社情報

神社名:天竹社
鎮座地:西尾市天竹町池田五十三番地
御祭神:天照大御神、新波佗ノ神
旧社格:村社
創 建:天保八年(1837年)
境内社:稲荷社
例大祭:十月二十四日
御朱印:ー
H P:ー

参拝日:2017年12月6日

御由緒

社伝に、延暦十八年(799年)この地に崑崙人漂着し綿の種子を伝える。我綿花栽培の初りで崑崙は天竺と同じで地名を天竹とした。その徳を偲び新波陀神を尊び、天保八年(1837年)二月十日、天竹社を祀る。明治十六年五月二十四日据置公許となる。大正三年十一月六日、村社神明社を合祀し村社に昇格した。昭和四十六年十一月、拝殿を改築し渡殿を新設する。同五十九年十月社務所を改築し、同六十年九月資料館を新築した。

愛知県神社庁 発刊
「愛知県神社名鑑」より


此地固鎮守として神明社あり。尚外に綿神と称する無格社あり。明治十六年官の充許を得て此綿神を天竹社となす。大正三年十一月二十四日村社神明社を天竹社に合併して村社となす、新波陀神については第十六章古蹟崑崙人漂着の地に詳し。宝物、綿壺、例祭十月二十四日、境内三百四十五坪。境外田一反畑一畝四歩

幡豆郡福地村 発刊
「愛知県幡豆郡福地村誌」より

参拝記

日本に綿が最初に伝わった地として棉祖神(めんそしん)が祀られている神社になりまる。棉祖神を別名で真波陀神と呼びます。絹製品の事を波多(はた)と呼び、絹に次いで伝わったという事で新波多(あらはた)が新波陀に代わっていったと推測されます。

この辺りの事は、平安期に作られた「日本後記」に記載されています。

延暦十八年(西暦799年)の秋、「参河國」に小船が漂着し、そこには袈裟に似た布をまとった一人の青年が乗っていた。年は20歳くらい、身長は5尺5分、耳が3寸ほどあった。言葉が通じず、どこの国の人か分からなかったが、唐人によると、その人は「崑崙人」とのことだった。後にその人は言葉を習い、自分は「天竺人」であると自称した。この「天竺人」は常に一弦の琴を弾き、その歌声は哀しげだった。その人は草の実に似た物を持っており、それは綿の種だと言った。「天竺人」は川原寺に住むことになり、後に近江国の国分寺に移り住んだ。

川原寺には天竺人が描かれた絵があったそうのですが、いつの時代にかそれが現在天竹寺の隣にある「地蔵堂」に移され、棉祖神として信仰対象となっていたそうで、天保八年(1837年)にこの地蔵堂内に天竹社を創建したのが始まりとされています。

天竹社のすぐ隣にあるお堂が地蔵堂になります。元々は、この地蔵堂の中の社だったのが、明治時代の神仏分離令により明治十六年に地蔵堂から分離し天竹社と改称。

御堂の中は拝見していないのですが、もしかしたら川原寺から移された天竺人の描かれた絵が掲げられているのかも?

今では、日本で唯一の綿の神として全国の綿業界の崇敬を集めている神社だということです。

境内入口

境内前面に瑞垣があり、石造物も集中しているのですが、木々が少ないせいか圧迫感のない入口かなとおもいます。

社号標

建立年月は調べ忘れましたが、比較的新しめな社号標です。

鳥居

昭和四十一年建立の神明鳥居です。貫の中央部分がくぼんでいますね。もしかしたら扁額が掲げられていたのかも。

手水舎・水盤

四本柱タイプの銅葺の手水舎になります。なかなかの重厚感のある手水舎です。

狛犬

 

大正十五年三月生まれの子乗り、玉乗りの狛犬一対。

社殿

入母屋造、瓦葺、平入、木造の高覧を設けた廻縁のある拝殿になります。

この天竹社の拝殿なんですが、1945年の三河地震で社殿が倒壊し、戦後という事と資金不足も重なり、仮本殿のままだったそうなのですが、昭和四十六年(1971年)、由緒書きでも出ていますが、拝殿を造営します。この拝殿の造営工事にはひとつのブームが密接に関わっています。

それが・・

「紫の綿布団ブーム」

自分の生まれる前の出来事ですので、自分はまったく知らないのですが、いまから47年前に綿布団業界を一変させるブームがあったそうなのです。

なんでも、60年に一度の辛亥の年に紫の綿布団を手に入れると長生きするという言い伝えがあるそうで、さらに全国唯一の綿の神「天竹社」の守り札を添えれば効果倍増という事なのか、全国からお札を求める布団業界の人が後を絶えなかったんだとか。秋の例大祭の時には、鎌谷駅に臨時特急が止まったとか・・・。(そんな鎌谷駅もすでに廃駅)

たった一年の短いブームなんですが、たった一年で拝殿を建て替える(それだけでなく様々な造営工事が行われたとおもいます。)資金ができるだけの賑わいってすごすぎじゃないですか?

今から13年後・・・同じようなブームが起きるとは・・・・とても思えないのですが、伊勢神宮、出雲大社の式年遷宮の年の参拝者の増加とか、御朱印ブームで神社を参拝する方が増えているとか、「ブームよ再び」になる下地は多少あるかもしれませんね。

本殿は、神明造となっています。が屋根の上に千木と鰹木は飾られていません。

境内社

社殿向かって左手に鎮座する稲荷社です。

懸魚・鬼瓦

鰭付きの蕪懸魚になります。なかなか鰭のデザインが独特です。

参拝を終えて

全国の綿問屋や布団業界からの石造物の寄進があったり、寄付があったりと全国的にも稀有な神社だと思いますが・・・いかんせん通常は神職不在の神社なので情報発信力はほぼ皆無に等しく、マイナーな神社の域を脱することができてないですね。

日本で唯一なんですから、もう少しうまく情報発信を行えればいいのになあと思っています。

近隣の神社


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”西尾市天竹町池田五十三番地”

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