神社情報
神社名:八剱神社
鎮座地:西尾市巨海町宮岸四十番地
御祭神:熱田皇太神
旧社格:郷社
創 建:大同二亥年
境内社:津島社、熊野社、御鍬社、鹿嶋社、八幡社、秋葉社、琴平社、神明社
例大祭:十月九日
御朱印:-
H P:ー
参拝日:2018年5月11日
御由緒
社伝に、大同二亥年(807年)尾張国熱田宮より勧請し鎮守の神として祀ると社蔵の棟札に記るす。永生五年(1508年)領主秀圀は本殿を再建し永禄三年領主平元政、社殿を造営す。天正十三年(1585年)榊原六郎左衛門領主となり社殿を再建し、慶長十五年(1610年)松平右衛門あつく崇敬し徳川将軍朱印十七石を寄進、明治に到る。明治五年十月十二日、村社に列格し、同四十年十月二十六日、神饌幣帛料供進指定をうける。同四十四年八月一日、同字の秋葉社、琴平社、神明社を境内社の八幡社に合祀した。昭和十七年十月一日、郷社に昇格する。
愛知県神社庁 発刊
「愛知県神社名鑑」より
参拝記
由緒書きに、天正十三年に社殿を再建したという"榊原六郎左衛門"という人が出てきます。この左衛門さん、調べてみると、関ヶ原の合戦後尾張の国を家康が直轄するようになり、今の半田市の成岩というところに陣屋を構え、そこに派遣されたのが"榊原六郎左衛門"。時期的な事から、たぶん同一人物の可能性が高く、巨海周辺の代官から家康の関東移封後この地を離れますが、また成岩に戻ってきただと思います。榊原一党は徳川四天王に名を連ねる榊原康正を筆頭に家康譜代として、代官とか旗本として繋がっています。
ただ、近い将来、榊原六郎左衛門繋がりで成岩陣屋跡にも訪れていきたいと思います。
八剱神社の西側には浄土宗西山深草派の瑞用寺が境内を接して建っています。もしかしたら、明治時代以前の神仏習合時代は同一的な存在だったのかもしれませんね。
境内入口
国道247号線巨海町の交差点を東方に進み、寺津小学校からの道路と交わる交差点の所に八剱神社は鎮座しています。さらに、巨海保育園の敷地ともつながっていて、もしかしたら境内の一部を保育園の敷地に供出しているかもしれません。
社号標
昭和十七年に建立された旧社格である郷社と彫られた社号標になります。
裏側?の入口(巨海保育園すぐ横)には村社時代の社号標が建っています。
こちらの社号標は明治四十五年製になります。昔は八剱宮と称していたんですね。
鳥居
昭和五十五年の造営工事の際立て直された鳥居になります。
手水舎・水盤
四本柱タイプの木造瓦葺の手水舎です。
祓処
祓所の外側にさらに瑞垣を設けた祓所です。
神楽殿
元々の神楽殿の大きさから外側に廻縁を設けた感じになっている神楽殿になります。
狛犬
生年月日が不明な狛犬一対になります。これくらいのデザインの狛犬のがバランスが取れている気がするんですけどねえ。
社殿
入母屋造、唐破風の向拝を設けた、廻縁のある木造平入の社殿になります。
向拝を設けると、一気に拝殿の重厚感が増しますね。
流造の本殿になります。白くなっている部分を改装して幣殿か渡殿とつなげたんだと思います。
境内社
社殿向かって左手にある境内社になります。
正面には仮宮が鎮座し、その隣に御鍬社と神明社が鎮座しています。
社殿向かって右に鎮座する琴平社、津島社、若宮社、鹿嶋社の合祀社になります。
由緒書きには若宮社はでてこないのですが、もしかしたら八幡社の事なのでしょうか。さらに熊野社の名前も出てきません・・・。これは、境内の由緒書きには熊野社と津島社は合殿だったと記載されているので、もしかしたら津島社に熊野社が合祀されたかもしれませんね。
境内入口近くに鎮座する秋葉社になります。
この八剱神社には秋葉山常夜燈が三基据えられています。どうもそれぞれ巨海町の各地に置かれていた物が八剱神社集められたんだと思われます。この常夜燈は別記事にして紹介していきます。
懸魚・鬼瓦
鰭付きの三花懸魚になります。社殿に設けられた木製三花懸魚は今回初登場ですかね。
非常に珍しい懸魚の一つだと思われます。
参拝を終えて
隣町である寺津町と同じく、非常に町内には寺院が多く鎮座しており、そのうち四寺院では四国霊場の札所にも指定されていたりします。碧海台地の南端に位置しており、古くからの集落でもあり、歴史のある街ですね。