神社情報
神社名:熊野神社
鎮座地:西尾市刈宿町後畑五十七番地
御祭神:伊邪那美命、速玉之男神、事解之男神、天照大御神、豊宇気昆売神
旧社格:神饌幣帛料供進指定村社
創 建:長徳年間(995年-998年)
境内社:秋葉社、猿田彦神社、御鍬社、津島社、天照大御神、天満宮、庚申社
例大祭:十月十二日
御朱印:-
H P:ー
参拝日:2018年5月15日
御由緒
社伝に長徳年間(995-8年)、源経基の孫遠江守源満国が違勅の罪によって、この地に配流、刈宿村に住み本社を創建する。と。家来の加藤仙二郎行信、倉内左衛門大輔貞道の子孫たち、この地に住みつき鎮守の神として祀る。明治五年十月十二日、村社に列し、昭和十六年十月二十四日、神饌幣帛料供進指定をうけた。明治四十二年三月二十八日、字高畑の大塚神明社と字東長の神明宮を本社に合祀した。
愛知県神社庁 発刊
「愛知県神社名鑑」より
参拝記
由緒で出てくる源満国なんですが、源氏の始祖である「源経基」の五男"源満快"の息子であり、満国の子孫は信濃国に住み着き、村上氏や片桐氏などの信濃出身の氏族に繋がっていく"源満快流"の二代目になります。
勅命に背いた為、長徳年間にこの三河国刈宿の地に流罪となったそうです。そして、亡き母を弔う為に"常福寺"を建立したと伝わっています。
そして、この地に滞在していた時に、熊野大社から勧請し、屋敷に本殿を構えたんだと想像します。
その常福寺から西に100mほど進んだ場所に鎮座しているのが今回紹介する熊野神社になります。
境内入口
正面側に境内社の鳥居も含めて3基の鳥居が並ぶ特徴的な境内入口になります。
こちらが、境内入口になります。
こんな感じで、境内からまっすぐ脇に幟立石が据えられた参道がのびています。
社号標
大正十年建立の社号標になります。
鳥居
大正十五年建立の扁額、台和のある明神鳥居がお出迎え。
並んで建っている境内社の鳥居も並べてみました。
上は、秋葉社の鳥居ですね。脇には常夜燈も置かれています。
下は、境内入口の鳥居なのか、奥に見える庚申の鳥居なんでしょうか。
共に昭和六十一年の建立になります。
手水舎・水盤
水盤が置かれているのですが、写真を撮り忘れていました。
狛犬
明治四十年生まれの狛犬一対です。精悍な顔つきが印象的です。
社殿
瓦葺入母屋造、の木造平入の社殿になります。
見てもらうとわかりますが、拝殿の前面を最近改修工事が行われた様です。
流造の本殿が鎮座しているようで、この瓦葺の建物は覆殿になります。
境内社
社殿向かって右手にある境内社になります。
左から猿田彦神社、御鍬社、津島社、天照大御神の四社の合殿となっていて、さらに写真では見切れてしまっていますが、天満宮が鎮座しています。
合殿と天満宮の間には庚申と昭和28年にこの地を襲った台風13号の記念樹が植えられています。西尾市から旧一色町、吉良町周辺を回っていると、台風13号の記念碑を街角などで見かけます。それだけ大きな被害をもたらした台風なんですね。
懸魚・鬼瓦
鰭付きの猪の目懸魚になります。
参拝を終えて
征露紀念の幟立石。
神社を参拝していると、御大典記念に次いで目にするのが日露戦争関連で作られた石造物たちですね。日清戦争と違い、わかりやすい勝利をもたらした訳ではないんですが、ロシアという西洋の強国に勝ったというのはすごいインパクトだったんではないでしょうか。このインパクトに慢心してしまい第二次世界大戦であれだけ無謀だ戦いに突き進んでしまったと思うので、日露戦争に勝ってよかったのかどうか不明な部分だったりますが・・・。