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緒川城(知多郡東浦町)

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城郭詳細

城 名:緒川城
所在地:愛知県知多郡東浦町緒川字古城
築城年:文明年間(1469~1486年)
築城主:水野貞守
城形式:丘城
遺 構:土塁
規 模:ー

訪問日:2018年5月16日

沿革・詳細

初代緒川城主水野貞守が文明年間(1469~1486年)に築城して以来,約130年間水野氏の居城でした。慶長十一年(1606年)、最後の緒川城主水野分長が三河国新城一万石に移封となり、緒川城は廃城となりました。
緒川城は、海岸沿いの平地を裾野にもつ低い山の中腹に築かれ、城下町と一帯となった平山城でした。城跡の周囲は三方が山地形で、東側は急な崖になっています。緒川城に関する史料として、江戸時代初期に描かれた「緒川村古城絵図」(名古屋市蓬左文庫所蔵)があります。絵図には,土塁(土を積み上げて築いた城壁)と堀に囲まれた大小の曲輪(郭)が描かれています。中央から南の一段と大きい曲輪が城の中核をなす主曲輪で、東西83m・南北95mほどの方形状である。北の曲輪群は家臣の屋敷地で、その一画は、分長の時代に居城とされ、「高藪城」と呼ばれてました。
今この地域は住宅地になっており、土塁の一部が残るのみとなっていいます。

現地案内板より


尾張の織田氏、三河の今川氏・松平氏の間で巧みに時流を読み存在感を示していたのが、刈谷、緒川を治めていた水野氏になります。そして、この緒川城で生まれたとされるのが徳川家康の実母である”於大の方”になります。

この当時の水野氏は松平氏を通じて今川方に与する姿勢を見せており、松平広忠に於大の方を嫁がせて関係を強化していました。しかし、その後、於大の方の父である水野忠政が亡くなり、水野信元が家督を継ぐと、今までの方針から一転し、織田家に与する事になります。松平広忠としても反今川氏となった水野氏出身の於大の方とは今川氏との関係から考えても離縁するしかなく、於大の方は水野氏の領地に戻ることになります。

訪問記

東浦町役場から350mほど住宅地の中を進んだ先にあるのが緒川城址になります。
車で訪問される際は、役場の駐車場に車を止めて徒歩で向かうのがいいと思います。(周囲は道も狭く、駐車スペースは皆無です。)


現地の案内板になります。
現在の城跡からはまったく想像できませんが、曲輪の感じからかなり大きな城だったことがわかりますね。

境川を挟んで三河国側には刈谷城があり、緒川城と合わせて、尾張、三河の国境を支配していた事がわかります。

こちがら、現存する土塁跡になります。
土塁が壊されて、平坦な住宅地になっている場所から見ると、かなり高く盛られた土塁であることがわかります。戦国期を生き延びて、江戸幕府初期まで存続していた緒川城なので、城郭としてもかなり整備されていたんだと想像してしまいます。

緒川城址南側に建つ、伝通院於大出生地の石碑になります。

時代の波に翻弄された於大の方に関連する史蹟が、東浦町、刈谷市に点在していますので、こちらも紹介していきたいと思いますので、ご期待ください。

 

投稿者プロフィール

成瀬晃ドクターレザーおかざき 店主
愛知県岡崎市で「かばん・くつ✚革の病院ドクターレザーおかざき」を営んでいる成瀬と申します。
史跡、神社などを巡った事をなどをつぶやきつつ、お店のブログではつぶやけないような事も書いていこうかと思っています。

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