城跡巡り

蒲形陣屋(蒲郡市本町) 西郡松平氏陣屋

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城郭詳細

城 名:蒲形陣屋
所在地:愛知県蒲郡市本町十二番地
築城年:慶長十七年(1612年)
築城主:松平清昌
城形式:平城
遺 構:土塁
規 模:ー

訪問日:2018年10月29日

沿革・詳細

吉田藩主だった松平家清が嗣子なく没した為、除封となってしまったが、今までの功績、また家清の母が久松俊勝の娘であり、家康の異父妹にある事もあり、家清の弟である清昌に新たに三河国宝飯郡内の西ノ郡と呼ばれる地域五千石を与え、竹谷松平氏の家督を継ぐ事を許されました。(清昌からは西郡松平氏と呼ばれる事もあります。)

松平清昌は、鵜殿氏が治めていた下ノ郷城の南東に陣屋を築き、交代寄合として西郡松平氏は明治維新までこの地を納めています。

従前は、蒲形陣屋と下ノ郷城は同一敷地であると思われており、下ノ郷城を改築したのが蒲形陣屋であると思われていたのですが、平成十八年の市道敷設に伴う発掘調査において、出土した物から蒲形陣屋と下ノ郷城とは別の敷地だったと結論付けられ、下ノ郷城址であるとして受けていた蒲郡市の文化財指定も解除されています。

訪問記

愛知県立蒲郡高校の南側の住宅地の中に木々が茂っている場所があり、その木々の中に小さい社が鎮座しており、そこが蒲形陣屋跡になります。

蒲郡高校南側の路地にはいると正面に木々が茂っている所がわかると思います。


写真に移っている道路が平成18年に敷設された市道になり、元々この市道部分に土塁が続いていたそうなのですが、道路工事に伴って土塁が破却されてしまっています。ただ、ここから南面側の敷地にはまだ土塁が残っています。

まだまだしっかりとした土塁跡が残っています。切り通しに見える場所が門址(虎口跡)なんでしょうかね?

陣屋跡には、小さな社が三社建っています。

詳細不明な石造りの社。
なんとなくですが、石造りの社というだけで秋葉社を想像してしまいますね。

松寿大神が祀られている社。
松寿大神と書かれてはいましたが、詳細は不明です。

こちらが稲荷社になります。
元々陣屋で祀られていた稲荷社なんでしょうかね?

蒲形陣屋 大手門(移設復元)

蒲郡市博物館には、蒲形陣屋の大手門であったと伝えられる高麗造りと言われる門が復元移設されています。明治維新後、豊川市(旧宝飯郡御津町)に移築されていましたが、老朽化によりこの場所に平成三年に復元の上移築されています。

裏側に回ると、高麗造りと言われる独特の門構えを見ることができます。


陣屋の遺構はあまり残っていないので、復元とはいえこうやってである機会があるのはうれしいですね。

 

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