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海平山 瑞用寺(西尾市巨海町) 三河海岸大師五十七番札所

2018年5月22日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

国道247号線の巨海町交差点角に鎮座し、その東側には"郷社"八剱神社が鎮座している瑞用寺になります前回紹介した福生院から西に200mほど進むと瑞用寺が見えてきます。

寺院情報

寺院名: 海平山 瑞用寺
鎮座地:愛知県西尾市巨海町宮岸35番地
本 尊:阿弥陀如来
宗 派:浄土宗西山深草派
創 建:永禄二年(1559年)
H P:浄土宗西山深草派「総本山誓願寺」瑞用寺紹介ページ
札 所:三河海岸弘法 五十七番札所
札 所:吉良西国 十一番札所
札 所:西条吉良三十四観音 四番札所
札 所:(旧)三河新四国 第二十八番札所

由緒

創始は永禄2年(1559)開山賢翁善海和尚(永禄7年(1564)寂)海辺近郷の念仏道場として建立されたることは、現存する過去帳及び記録等により推測されるも、開基後数代を経て祝融氏(火災)の災するところなり、文書記録堂宇と共に烏有に帰したるため明らかではないが、16世利空存益上人(延宝年中(1673~1680))及び22世題翁義探上人(宝暦年中(1751~1763))代に再興せり。 昭和20年(1945)1月13日三河大地震により、庫裡・玄関および昭和13年(1938)29代摂空観律上人建築なる総門・水屋・八間長屋等、本堂と書院を残し諸堂宇すべて倒壊す。 歓喜院誠空妙心大姉(摂空室)その難に遭う。 昭和22年(1947)農地解放により寺領田畑三町二反五畝余を小作者に解放す。 昭和23年(1948)総門・庫裡・玄関再建、昭和33年(1958)30世聖空梵鐘再鋳、昭和53年(1978)庫裡再建諸堂完備現在の規模を成すに至る。

浄土宗西山深草派「総本山誓願寺」
妙光寺紹介ページより

参拝記

巨海町に鎮座する福生院、瑞用寺、常福寺、願成寺の弘法さんを回ると四国八十八ヶ所を踏破(御遍路)できるそうで、順番はなんか違っている感じがしますが、瑞用寺では四十番~六十五番までを納経していこうと思います。(納経といっても、実家は真宗なんで般若心境を唱えられないので、合掌して拝むだけですが・・・)

こちらが四国八十八ヶ所の弘法様とそれぞれの寺院の分霊となる本尊様ですかね。

山門を挟んで

こちらが西国三十三観音の分霊でしょうか。それぞれ紀伊国〇〇寺とか書かれています。

薬医門の両端に十一面観音と地蔵が鎮座する小屋が設けられている山門になります。

この山門の前には

なぜか内側に寺院名がむいてる寺社標があります。掲示板を設置したことで見えなくなって内側に向き直させたのかな。

山門をくぐると

本殿前に二階建てになっている一間一戸鐘楼門がお出迎え。
この配置は以前紹介した"養国寺"と同じですね。


養国寺:北向観世音菩薩堂


ここの鐘楼門も参道の途中に位置していて、これを門と呼んでいいのか・・。

ここの鐘楼門には、しゃちほこが鎮座しています。
お城以外でしゃちほこってほとんど見ないですけどねえ。

こんなところで出会うとは。

本堂は最近建て替えられたみたいで、新しい香りがしてきます。
瑞用寺を調べると、古い本殿の写真もちらほらと出てくるので、確認してみてください。

大貫部分に山号の海平山と書かれた化粧瓦が施されています。

なぜか隣に鎮座する八剱神社ではなく、瑞用寺に鎮座する天満宮。
寺院の鎮守の神として寺院で祀られてるのは天満宮か稲荷社が多い気がしますね。

平成五年に再建された宝篋印塔になります。
三界萬霊塔として造られているそうなのですが、いまいちどういったものなのか・・・

最後に、独特な書体で瑞用寺と彫られた水盤を。 この寺の文字・・・いいね。


瑞用寺の参拝を終えて、国道247号線に戻ってきたので、巨海町の交差点から南方面に向かい常福寺に向かいます。四国霊場巡りもそうですが、この常福寺には有名なあれが鎮座しています。一色町から国道247号線を北上していくといやがおうにも目に入るあれですよ、あれ。

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