神社紹介
神社名 | 白山神社 |
鎮座地 | 愛知県知多郡武豊町富貴字郷北一〇一番地 |
御祭神 | 菊理媛命、伊弉冉尊、大己貴神 |
旧社格 | 無格社 |
創 建 | 不詳 |
神名帳 | - |
境内社 | 山ノ神社、秋葉社、天満宮、多賀社 |
例祭日 | 不明 |
御朱印 | - |
H P | - |
参拝日:2018年9月26日
御由緒
創建については不明であるが、円観寺文書には慶長十二年(1607年)白山社の棟札が記されている。「寛文村々覚書」には清応院境内となっていて、古くは市場にあったが、「張州雑志」や「尾張徇行記」では円観寺境内となっており、漢文以降享保の頃までの間に現在地へ移されたものと思われる。同文書によると移転後の白山社は円観寺が別当寺となり、住職が社僧となっていたようで、文化四年(1807年)2月には、白山三所権現社が大破したので、これまで板葺屋根であったものを杉桧皮葺に替え、三社一つ屋根にしたいと寺社奉行に願い出ている。
「武豊町史」より
知多四国霊場を行く
知多四国霊場二十五番札所「法輪山 円観寺」の東隣に鎮座する神社であり、由緒にある通り江戸時代までは円観寺によって管理されていた様で、円観寺の住職によって神事が行われていたようですね。
白山神社の西側(ストリートビューの画面では左側)の石垣の上に塀が設けられている場所が二十五番札所の円観寺になります。円観寺の記事でも紹介していますが、この円観寺と白山神社が建っている場所が富貴城址になるそうです。富貴城については、円観寺の中に案内看板が設置されているだけで、石柱などは存在していませんね。
参拝記
境内を望むと、社殿が建っている場所が周囲と比べて高くなっているのが分かりますね。富貴城址を取り上げているブログなどを拝見させて頂くと、本丸の跡地に鎮座しているようで、社殿の後方には土塁などの遺構が残っているそうです。また、白山神社北側には「外堀」という地名も残っており、この場所から北側を流れる"北川"、"新川"も利用した北面に向けて防御を厚くした城跡なんだと想像できます。
境内入口
扁額が設けられていない台輪のある明神鳥居が建っています。
鳥居前には、白山社のクロガネモチと彫られた石柱碑となにやらそのクロガネモチの事が書かれた案内看板が据えられています。
愛知県天然記念物「白山社のクロガネモチ」
昭和四十三年に建てられている愛知県の天然記念物に指定されているクロガネモチを表す石柱の様です。
そのクロガネモチの事が説明されている案内板の様です。
そして、境内には・・・
こんな感じの案内石板まで設けられています。
・・・・が、
肝心のクロガネモチが見当たりません・・・・。
見落としたか?と思って何度か境内を廻ってみたのですが、案内板に貼られている様な巨木が・・・ないんです。
写真をよく見ると、三枚目の案内板のすぐ後ろにそびえ建っていた様なのですが・・・・瑞垣の一部は残っているのですが・・・。想像するに、立ち枯れしてしまい、倒木の恐れもある為切り倒されたんでしょうね・・・。
追記
※2018年2月9日付で白山社のクロガネモチは立ち枯れの為に天然記念物指定が解除が愛知県庁より発表されています。
手水舎
瓦葺木造四本柱タイプの手水舎になります。
ここ白山神社の手水舎は境内から見ると鳥居の外側に据えられている社殿配置になっています。
水盤に彫られている五七桐が神紋なんですかね。
狛犬
大正十四年生まれの狛犬一対になります。
社殿
寄棟造瓦葺平入の拝殿になります。
神社の拝殿は普段は閉まっていますが、例祭などの祭事の時には壁も取り外せるようになっていて、開放されるように作られていますね。ただ、近年造営された拝殿は耐震基準などもあって、前面すべての壁が取り外せるようになっている所は見かけなくなってしまいましたね。
境内社
社殿右側(向かって左側)に鎮座する境内社になります。
右から山乃神社、秋葉社、天満社多賀社合殿となり、一番左に移っているコンクリート製の祠は古札入れだと思うのですが・・・。
参拝を終えて
社殿右側に「富貴橋」と彫られている石造物が据えられていました。
石段が続いているように見えるのですが、登った先になにかある訳でもなく、どういった意図で据えられているんでしょうか。
どうやら。境内より一段高くなっている場所は富貴城の土塁跡と言われています。
次の目的地は
知多四国霊場二十五番札所「法輪山 円観寺」と「白山神社」の参拝を終えて、次は、南知多町の大井に建っている知多四国霊場三十番札所「宝珠山 医王寺」を目指していきます。