豊川市

篠束神社(愛知県豊川市)

2018年10月12日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

神社情報

社 名:篠束神社
鎮座地:愛知県豊川市篠束町西宮二十八番地
御祭神:大国主命、建速須佐之男命
旧社格:郷社
創 建:不詳だが、長徳元年(995年)以前から鎮座していたという。
境内社:蘇民神社、八幡社、三峯社、稲荷神社、学神社、秋葉神社、青麻神社
例祭日:四月第三日曜日
御朱印:-
H P:-

参拝日:平成30年10月10日

御由緒

三河国内神名帳二十二社ノ内従四位下篠束明神座宝飯郡トアリ大国主大神ハ往昔ヨリ祭リ来リ創立不詳建速須佐之男命ハ長徳元年乙未六月十五日創立合セ祀レリ延元年中篠塚伊賀守篠塚ニ居住シ城社ノ乾方ノ居城ヲ築き其節本殿廊閣鐘樓瑞垣築地ヲ修造シ神領八丁余ヲ寄進築地東西廿七間南北廿二間築地外東西二町余南北壹町半余舊記アリタル処永禄元年兵火ニテ社頭悉く消失同二年真木次長左衛門造営社号ハ牛頭天王ト称し奉リタル処明治二年神号改正牛頭天王号廃止ニ付篠束神社ト復称ス天正十七年十二月徳川家康禁制札并ニ慶長八年八月廿日社領拾石御朱印寫ハ爰ニ畧ス

(͡當社境内八幡神社ハ同村字大堀ニ鎮座アリタルヲ明治六年移設し末社ノ列ニ加ラレタレニ口碑ニ當村字西宮ニ御山塚ト称スル地ニ往昔鎮座アリタルモノナラント云同地ヨリ古キ瓦ノ破損セシモノヲ堀出シテ毎年二月八月十五日古例ニヨリ祭禮ス国内神名帳ニ絹束天神坐八名郡トアル絹束天神ハコノ八幡神社ニハアラサルト云ヘリ)

「三河国宝飯郡誌」より


当社は鎌倉時代に編集された「三河国内神明名帳」に「神明二十二庶 従四位下篠束明神 坐宝飫郡」とあって、篠束明神と称していた時代があった。祭神の大国主命は随分以前から祀られていたが、創始縁起については明らかでない。
建速須佐之男命は一条天皇の長徳元年(995年)に合祀せられたと伝えられている。建速須佐之男命の合祀せられた理由として、当時この地方に疫病が大流行して多くの人が続々と死に、人々はその恐怖に襲われていた。そこで建速須佐之男命を勧請してお祀りしたところ忽ち悪病が治まったという。また。この勧請の折、神坂で一行がしばらく休憩していた時、松の大木に数多くの白鷺が飛んできて松の緑も見えなくなり吉祥とされた。それいらこの松の大木を「鷺栄の松」といい、神坂を鷺坂というようになったと伝えられている。
延元年中(1336~40年)篠束伊賀守が当社の乾(北西)の方向に城を築いた折に、本殿、楼閣、鐘楼、瑞垣、築地などを修造し、神領八町余りを寄進したとつたえられている。ところが、永禄年間(1558~70年)に兵火にあい灰燼に帰したので、翌年従来よりは小さいが、新たな社殿を造営し牛頭天王と社号を称えた。明治二年神号改めの折に天王号を廃し、篠束神社と改称した。
江戸時代には家康の禁制札を下付されたり、社領十石の朱印を受けていた。

境内由緒書板より

参拝記

JR東海の飯田線の小坂井駅と牛久保駅の間の沿線沿いに鎮座しているのが今回紹介する篠束神社になります。

平成30年8月、記録的な猛暑の中、御縁があり一月間苦楽を共にした方々のゆかりの神社の順次回っていこうと思い、今回、第二弾として豊川市篠束町に鎮座している篠束神社を参拝をさせて頂きました。

境内入口

篠束神社の境内入口は、瑞垣の切れ間に注連縄柱が設けられています。鳥居はその後方、境内のちょっと奥まった場所に据えられていますね。

そういえば、愛知県で注連縄柱に注連縄が張られている神社は初めて・・かも?

社号標

旧社格が彫られた大正九年製の社号標になります。
神社名の下側に四角い窪みのある社号標を今まで参拝してきた神社でちょこちょこ見ていたのですが、なにか填められていたのか、削っているのか不明だったのですが、この篠束神社の社号標を見て、その疑問も解けた気がします。

戦前は国家神道の名の下、神社は国営でしたので、管理者を明確にするために、宮司名を社号標に掲げていたっぽいですねえ。填めてあるだけなので、新しい宮司が赴任してきてもすぐに填めなおせますからね。

鳥居

扁額のない明治四十五年製の明神鳥居がお出迎え。
勝手ながら、鳥居の近くに植樹されているっぽいですが、将来木が大きくなった時、根が張ってきて鳥居を倒してしまわないか心配です・・・。

手水舎・水盤

木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。水を汲みだしていた井戸と水盤がセットになっていますね。

狛犬

生年不明な狛犬一対になります。狛犬の装飾などからお年を召している感じですが・・・。

社殿

平成十二年に造営された木造瓦葺切妻平入の拝殿になります。さらに言えば、向拝が設けられていたり、高覧のある廻縁も設けられている拝殿になります。

平成になってから造営された社殿で低床タイプのバリアフリー化じゃないかとおもっていたら・・・

車いす用のスロープが設けられていました。車いすに対応させるために、廻縁が木製ではなく、石造になっているのも大きな注目点ですね。これなら高床式の社殿でもバリアフリー化は可能ですが・・・低床化社殿に比べて建築面積は広くなりますね。

境内社

社殿向かって右手に鎮座している蘇民神社です。社は入母屋造平入で向拝が設けられていますね。

祭神は蘇民将来とされています。


建速須佐之男命(武塔天神)が、諸国を巡回した折、日が暮れたので将来という兄弟に宿を乞うたところ、裕福な弟の巨旦将来には断られたが、兄の蘇民将来はきわめて貧しいにもかかわらず、快く泊め粟の飯を炊いてもてなした。建速須佐之男命はこれを喜び、お礼に「われは建速須佐之男命なり、後の世に疫病あらば、汝、蘇民将来の子孫と言って茅の輪を腰に着ければ疫病から救われる。」と告げて立ち去った。その後、疫病が流行したが、蘇民将来の一家は救われたと伝えられる。
この故事から、蘇民将来は疫病除けの守護神となり、後には疫病除けの護符を指すようになった。

境内由緒書より

蘇民将来とは?


日本各地に伝わる説話、およびそれを起源とする民間信仰になります。
現在でも、「蘇民将来」と記された護符は災厄を払い、疫病を除いて、福を招く神として信仰されており、建速須佐之男命、大国主命を主とする国津神を祀っている神社で護符を授与されているそうです。


篠束神社の境内社である蘇民神社でも毎年一月十一日の前の日曜日に蘇民将来の神造を木版刷りした護符を氏子の家庭に配布されているそうです。「神がお渡りになる」と呼び、護符を神棚に祀っているそうです。

六月の大祓の時に茅の輪潜りを行っている神社は多いと思いますが、この神事も蘇民将来の故事からできたんだとか。そう思うと、蘇民将来の信仰は知らず知らずのうちに身近に存在しているのかもしれませんね。

蘇民将来ついて詳しくは・・・

http://museum.umic.jp/somin/index.html


社殿向かって左手に鎮座するのが八幡社です、入母屋造平入の社ですね。

この八幡社の向かって左手に石塔が七基鎮座しているそうです。風化による劣化が激しく、詳細は不明だそうです。

境内社の相殿で、奥から三峯社、学神社、豊川大明神礼拝所、秋葉神社、青麻神社になります。

宝飯郡誌を見ていると、篠束神社には境内社が十五社あると書かれているのですが、八幡社横にある石塔と合わせると数があうのですが、石塔も境内社として扱っているんですかね。

懸魚・鬼瓦

鰭付きの二重懸魚になります。かなり少数派の懸魚になるので、一見の価値ありです。

参拝を終えて

蘇民将来の神像の護符・・・欲しいですね。

岡崎周辺では大国主を主祭神としている神社には今のところ出会っていないのですが、砥鹿神社の祭神も大国主命だったりするので、豊川市周辺には大国主信仰があったんでしょうか?

地図で鎮座地を確認

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

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南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

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