豊田市

熊野神社(愛知県豊田市幸町)

2020年5月2日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

神社紹介

神社名熊野神社
鎮座地愛知県豊田市幸町隣松寺四十四番地
御祭神素戔嗚尊
旧社格村社
創 建至徳元年(1384年)
神名帳
境内社
例祭日十月十三日
御朱印
H P

参拝日:2018年12月19日

御由緒

 「稲荷山隣松寺/紹介記事」の鎮守社として至徳元年(1384年)に紀州熊野三山より勧請し、隣松寺の境内の一角に鎮座されています。江戸時代までは鎮守社として隣松寺が奉斎してきましたが、明治時代になり神仏分離令により隣松寺の境内の一部を熊野神社に分け、隣松寺村の氏神として隣松寺とは別れる事になります。
 明治五年に村社に列格しています。
 以前の社殿は永禄年間(1558-69年)の建立とされ、地元の史料を見ると「松平広忠」の寄進とされていますが、その頃には広忠は没していますし、永禄五年(1562年)三河一向一揆の際、上野城攻略の為徳川家康が隣松寺に本陣を置いている観点からも、熊野神社の社殿を寄進したのは徳川家康ではないかと思われます。

 社伝には、至徳甲子元年(1384年)三月、紀州熊野大神を氏神として勧請し、五穀豊穣村内安全を祈願する。明治五年十月十四日村社に列格した。明治二十七年社殿を焼失、同二十九年再建する。大正六年、社務所を新築。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より

歴史探訪

 前回紹介した「稲荷山隣松寺」から東側に鎮座している「熊野神社」になります。熊野神社から更に小道を挟んで東側には、「押鴨松平家墓所」があり、「鴛鴨松平家」、徳川家康四男松平忠吉の養母になる「於美津の方」、徳川四天王榊原康正の祖父「榊原清長」・父「榊原長政」の墓石が置かれています。
 字名が隣松寺である事から、この辺り一帯は隣松寺の寺域であったことがわかります。そして、ここ熊野神社も江戸時代までは熊野大権現として祀られ、隣松寺の住職により祭祀を執り行われていたようです。

熊野神社別当
押鴨松平家

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参拝記

 隣松寺の門前を東西に走る市道を東に進み、「幸町隣松寺」交差点を左折し、県道230号線を北上していくと、左手に今回参拝する「熊野神社」が見えてきます。熊野神社の脇をそのまま北上していくと、今度は右手に「押鴨松平家墓所」が見えてきて、さらに北上すると東名高速と第二東名・伊勢湾岸自動車道との豊田JCの下を走り抜けて豊田市末野原方面に行く事ができます。

境内入口

 旧社格である「村社」と彫られた部分が埋められた大正四年建立の社号標になります。

 昭和四十四年建立の扁額のない明神鳥居になります。

狛犬

 大正十三年生まれの子乗り玉乗りの狛犬一対になります。

社殿

 切妻造瓦葺平入の拝殿になります。拝殿、幣殿、本殿が一体となった社殿で、本殿部分は覆殿となっています。春日造の本殿が鎮座しているようです。

懸魚

 最近、あまり懸魚を紹介していませんでした。ここ熊野神社の懸魚は鰭付きの蕪懸魚になります。六曜は花弁型の丸い形になっていますね。

こんなものが

 熊野神社の一角に防火水槽が埋められているようで、そのマンホールがはしご車の絵が描かれた物でした。かなり色あせていますが、元々はカラフルなマンホールだったんでしょうね。

地図で鎮座地を確認

神社名熊野神社
鎮座地愛知県豊田市幸町隣松寺四十四番地
最寄駅上郷地域バス(にこにこバス)隣松寺バス停徒歩4分

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