神社情報
神社名 | 尾陽神社 |
鎮座地 | 名古屋市昭和区御器所二丁目九番地十九号(Googlemap) |
例大祭 | 十月二十八日 |
創 建 | 明治四十三年(1910年) |
御祭神 | 天照皇大神 徳川義直 徳川慶勝 |
旧社格 | 縣社 |
神名帳 |
境内社
境内社 | 稲荷神社 久延彦神社 龍神神社 秋葉神社 |
文化財
国 宝 | |
国指定 | |
県指定 | |
市指定 町指定 村指定 |
参拝情報
御朱印 | 〇 |
URL | http://biyoujinja.com/ |
駐車場 | 〇 |
参拝日 | 2022/4/27 |
御由緒
戊辰戦争によって徳川政権が打倒された明治維新によって旧体制であった徳川家(将軍家)を徹底的に否定する事で明治天皇を中心とした明治政府の正統性を主張していたと思っていたのですが、ここ名古屋では尾張徳川家の藩主に対して旧藩士を中心に未だ崇敬対象となっていたようで、明治八年(1875年)に初代藩主であった徳川家康九男「徳川義直」が名古屋東照宮に合祀される事になっています。そして時が経過し、明治三十一年(1898年)に最後の藩主だった徳川慶勝も名古屋東照宮に合祀されています。
その後、名古屋城開府(築城)三百年を記念して徳川義直、徳川慶勝を祀る神社を創建することとなり、大正十三年(1924年)に現在の社地に遷座創建されています。
愛知県と名古屋市によって造られた神社という事で、創建当初から縣社に列格するなどかなり政治的意味合いも強かった神社だったのではないかと思われます。それだけ尾張徳川藩の治世が良かったという事だったのかも?
戦後となる昭和二十四年(1949年)には天照大御神を主祭神として合祀するなど、明治期の神社の意味合いとは少し異なった神社の姿に変わっていく事になります。
- 明治八年(1875年) :初代尾張藩主「徳川義直」名古屋東照宮に合祀される。
- 明治三十一年(1898年):最後の尾張藩主「徳川慶勝」名古屋東照宮に合祀される。
- 明治四十三年(1910年):名古屋開府三百年記念でふたりを祀る神社創建をする事に。
- 大正十一年(1922年) :縣社に列格する。
- 大正十三年(1924年) :社殿が完成し遷座する。
- 昭和二十年(1945年) :名古屋空襲により社殿が焼失する。
- 昭和二十四年(1949年):主祭神として天照大御神が合祀される。
- 昭和四十五年(1970年):社殿が再建される。
- 昭和四十八年(1973年):徳川家にあった栄世稲荷神社を境内社として遷座する。
- 昭和五十一年(1976年):大神神社末社「久延彦神社」を勧請する。
尾張藩祖義直公は明治八年六月二十日、慶勝公は同三十一年四月五日、中区茶屋町鎮座の東照宮に合祀されたが、同四十三年名古屋開府三百年記念に砌り愛知県知事、名古屋市長を始め全市民、両公の高徳を敬慕してやまず、別に社殿を造営して神社祭祀の典礼に預からんこと請う朝議之を允し、大正十一年六月三十日、縣社に列格し同十三年十月二十八日、現在の社地遷座の盛儀を拝し同時に神饌幣帛料供進指定社となる。昭和二十年三月、大空襲により荘厳なる社殿を焼失するも順次復興して現在にいたる。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」
御祭神
- 天照皇大神
- 徳川義直
- 徳川慶勝
参拝記
名古屋市を東西に走る主要幹線道路は何本かあるのですが、その内の片側三車線で敷設された山王通の南側の住宅地の中に鎮座しているのが今回紹介する尾陽神社になります。想像するに、ほぼ公営といった感じで創建された尾陽神社の境内地を決めるのに住宅地の真ん中を選ぶとは考えにくいので、戦後名古屋市街が急速に広がっていく中で住宅地の中に埋没してしまったというのが正解なのかなと思います。
境内入口
境内全体が石造瑞垣で囲まれていて社号標と由緒書きが据えられ、石段を登った先に扁額の無い明神鳥、狛犬一対が据えられている境内入口になります。由緒を知ってしまったから感じる事なのか、元々から感じたのかは今となってはよくわかっていないのですが、何となく産土神としての神社というより官社としての神社の造りだなーって思えてしまいます。どのあたりが?って聞かれても答えに窮するのですが、色々神社を見てきて氏子の方達と神職の方が長い年月をかけて作り上げてきた神社とは違う顔をしていると感じるんですよね。
社号標の側面には「御器所西城址」と彫られていました。どうもこの神社の境内は元々織田家の家臣だった佐久間家が治めていた「御器所西城址」だったようです。
手水舎
銅板葺コンクリート造り四本柱タイプの手水舎になります。昭和後期から平成期にかけて社寺建築の主流は木造からコンクリート造りに移行してきた感がありますが、ここにきてまた木造への回帰が進むなど社寺建築のトレンド?も色々移り変わっていますね。昭和四十年代に造られた尾陽神社の社殿はまさにコンクリートへの移行全盛期の頃の造営だったのでしょう。
神門?
尾陽神社の社殿配置ですこし変わっているのが鳥居と社殿の間の参道部分に銅板葺き木造の袖壁のある四脚門が建っているところでしょうか。勝手な想像なんですが、焼失前の社殿は神明造だったそうなので、御垣内がかなり広くとられていて、この辺りに神門があったのかな~って思うのですが・・・そうだとすると御垣内がかなり広すぎな感もするしどうなんでしょうか。
社殿
入母屋造銅板葺平入の唐破風の向拝が設けられた拝殿を有する社殿になります。拝殿前に据えられた蝋燭台が尾張地方の社殿であることを示してくれていますが、建物の造形だけみると三河地方の神社紹介でよく出てきた造りと同じ感じがしますね。こうしたコンクリート造り社殿の欠点が地方独特の社寺建築の再現が難しいのか画一的な造りになってしまいがちといった所でしょうか。
境内社
参道向かって左手に鎮座する稲荷社と龍神神社、秋葉神社になります。
参道向かって右手に鎮座する久延彦神社になります。こちらの社は春日大社の社殿として造営された物を移築したとか。
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鎮座地を神社で確認
神社名 | 尾陽神社 |
鎮座地 | 名古屋市昭和区御器所二丁目九番地十九号(Googlemap) |
最寄駅 | 電車:名古屋市営地下鉄鶴舞線「荒畑駅」徒歩10分 バス:名古屋市営バス「東郊通三丁目バス停」徒歩5分 |