名所情報
名所名 | 瀬戸荻ノ御殿 |
所在地 | 愛知県瀬戸市萩殿町地内(Googlemap) |
文化財
国 宝 | |
国指定 | |
県指定 | |
市指定 町指定 村指定 |
訪問情報
URL | https://www.pref.aichi.jp/soshiki/shinrin/0000005365.html |
駐車場 | 〇 |
訪問日 | 2022/6/24 |
訪問記
愛知県下新十名所の候補地であり尾張徳川家初代藩主「徳川義直」の霊廟がある定光寺を後にして、同じ愛知県下新十名所の候補地としてノミネートされた「瀬戸荻ノ御殿」を目指します。地図を見る限りではこの萩ノ御殿は瀬戸市南公園の園内にあるっぽいので定光寺から南に向かい、瀬戸の中心街を通り抜けて向かう事にします。本当は瀬戸市内を散策していきたい所なんですが、まあ・・当時はコロナ禍真っ最中だったのでそんなに寄り道をせずに向かわざるを得なかったのが残念です。
瀬戸市南公園はかなり大きい公園の様で、しっかりと駐車場が整備されていたので、駐車場の片隅にバイクを停めて「萩ノ御殿」を目指そうと思います。ところで・・・
「萩ノ御殿」とはなんぞや?
正直事前確認も殆ど行わないまま、Googlemapで調べたら「荻の御殿」というスポットがあったので”たぶん”ここだろうと思って向かってしまったので、もし違っていたと思うと恐ろしいのですが、偶然?にも現地の看板など読んでこの場所が愛知県新十名所にノミネートされた場所だと確信したのでよかったのですが、「萩ノ御殿」だけでは自分と同じように何のことだか分からない方も多いと思うので、改めてGoogle先生に尋ねてみました。
ざっくりと纏めると上記の感じのようです。今でこそ日本の山は森林に覆われていますが、明治時代の頃までは全国的に禿山となっていた場所がかなり多かったようです。皆さんの住む場所の周辺も山の森と言いつつ杉などの植林がかなりの面積を占めている場所が多くないですか?こういった場所は明治期から昭和期にかけて治水対策も含めた禿山復旧工事によって人工的に植林された場所だったりするらしいです。特に愛知県は「三大禿山県」とも呼ばれるくらいそこらじゅうの山の木々は伐採されて禿山となっていたそうですよ。
江戸時代までの日々の生活用の薪木だけでなく瀬戸物の産地という事で焼き窯用の薪木の為に近隣の山々の木々を伐採して禿山となってしまっていたが、明治期から昭和にかけて外国の技術を導入して山々の緑を取り戻すべく植林が行われた場所が時代が移り変わって現代になると都市部の広がりと住宅地の造成などで結局緑が減っていくというこの何とも言えない人間のある意味エゴが凝縮された場所と言えなくもないかと思います。(言いすぎかな?)
南公園の駐車場から萩ノ御殿が再現された場所の方面に向かって歩いていくと、木々は生い茂っているが確かに社寺の森とは雰囲気が異なる森が広がっています。この雰囲気の違いっていうのが自分の感覚なのでうまく説明ができないのですが、強いて言えば森が若いというのか、森に落ち着きが感じられないって感じでしょうか。明治後期から植林が行われた訳ですから森の歴史が100年程になる訳で、森の世界では「ひよっこの森」という感じなのかもしれません。
そんな森の一角に「皇太子殿下台覧記念松」という石碑が建てられていました。この石碑の後の松が殿下御手植えの松なんですかね。
近くにもう一基石碑があってこちらは防砂設備施工の記した石碑になります。これも禿山復旧工事を示す石碑の一つっぽいですね。
森の一角が非常に開けた場所があってそこに何やら建物が建てられていました。これが萩ノ御殿を復元した建物の様です。当時はこのような建物が何棟も立てられていたのではないかと思います。
禿山復旧工事を視察しに来た人々の為に建てられた建物な訳ですから、休憩所兼見学小屋といった役割だったからか非常に簡素的な造りになっているのが特徴っぽいですね。
この看板を読んで昭和二年に投票が行われた愛知県下十名所選定で先帝である大正天皇所縁の場所であり全国的に注目を集めていた禿山復旧工事の舞台という事でこの場所が候補地の「瀬戸萩ノ御殿」に間違いないと思った訳です。ただ・・・この場所が愛知県の新たな十名所にふさわしい場所なのかと考えると・・・・・禿山復旧工事の現場が名所か?という疑問が先に出てきてしまいますね。
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鎮座地を地図で確認
神社名 | 瀬戸萩ノ御殿 |
鎮座地 | 愛知県瀬戸市萩殿町地内(Googlemap) |
最寄駅 | 電車:名鉄 瀬戸線「尾張瀬戸駅」徒歩10分 バス: |