神社情報
神社名 | 畠神社 |
鎮座地 | 愛知県田原市福江町宮ノ脇十三番地(Googlemap) |
例大祭 | 十月十四日 |
創 建 | 不詳 |
御祭神 | 経津主神 武甕槌神 天児屋根命 姫大神 大田神 五男三女神 水速女命 |
旧社格 | 郷社 |
神名帳 |
境内社
境内社 | 天神社(御祭神:菅原道真) 津島社(御祭神:須佐之男命) 池御前社(御祭神:水速女命) 英霊社(御祭神:英霊) |
文化財
国 宝 | |
国指定 | |
県指定 | |
市指定 町指定 村指定 |
参拝情報
御朱印 | ー |
URL | ー |
駐車場 | ー |
参拝日 | 2022-7-6 |
御由緒
創建は不詳。
間宮氏は北条氏、今川氏と仕え今川氏が東三河に進出した時、渥美郡畠村、井川津村、古田村、亀山村、日村を領し、畠神社(当時は五社大明神か?)に寄進を行い、近くに間宮家の菩提寺となる間宮山栖了院を創建するなどこの地を治め、桶狭間の合戦後は徳川家に仕え、旗本として仕えていた様です。
創建は明らかでない。永禄六年(1563年)領主間宮権太夫直綱の家紋を権殿につける。領主間宮氏戸田氏十一代より社領の寄進あり。五社大明神を本社に。八王子社を末社に祀るが同格神と崇めて五社八王子社、国狭狭槌命社、五社八王子神社と称して明治四年七月四日、郷社に列す。明治十三年五月七日、五社八王子神社を畠神社と改称する。同四十年十月二十六日、神饌幣帛料供進指定社となる。大正二年二月二日、字清水塚百鉢番地の水神社を本社に合祀した。昭和十五年七月八日、境内地二百三坪を九百十坪に拡めた。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」
御祭神
- 経津主神
- 武甕槌神
- 天児屋根命
- 姫大神
- 大田神
- 五男三女神
- 天忍穂耳命
- 天穂日命
- 天津日子根命
- 活津日子根命
- 熊野久須毘命
- 多紀理毘売命
- 市寸嶋比売命
- 田寸津比売命
- 水速女命
参拝記
「江比間海岸」と「住吉神社」を後にして国道259号線を渥美半島の先端である伊良湖に向かってバイクを走らせていきます。途中にも何ヶ所か神社じゃね?と思える場所もあったのですが、まずは伊良湖へと思って通過してたのですが、丁度畠神社の門前で信号待ちとなったので、そのまま参拝していく事に。
境内入口

参拝した日は境内社の津島神社祭の祇園祭間近だったこともあって祭を告知する看板が設置されていました。あまり境内社の例祭をこうして告知する所ってないとは言わないですがそんなに多くもないような気がするんですよね。

石造灯篭一対、旧社格が彫られた社号標、扁額の無い明神鳥居が据えられた境内入口になります。

砂利敷きの参道の先に二の鳥居が見えています。その先に北向きに鎮座する社が見えています。最初は北向き鎮座の本殿って珍しいなと思っていたのですが、畠神社の社殿は東向きに鎮座していて上記写真には写っていなかったりします。となると・・・この社は?
手水舎

参拝した時はコロナ禍真っ最中という事もあって、手水舎も封鎖され、手水の代わりにアルコールが置かれていました。過ぎてしまえばあれは騒動は一体という気もしますが、当時の閉塞感というか新型コロナという未知のウィルスへの恐怖は尋常じゃなかった。もうあの時代には戻りたくないですね。こうした当時の写真を見るだけであの閉塞感を思い出してしまう辺り、まだ鮮明に記憶されてしまっているんでしょうね。
狛犬

生年月は不明ですがすこし装飾がゴテゴテしてきた頃の生まれの狛犬一対になります。
二の鳥居

明神鳥居の二の鳥居になります。ここから右を向くと畠神社の社殿が見る事ができます。
社殿

入母屋造瓦葺平入の入母屋破風の向拝と高覧のある濡れ縁がある社殿になります。非常に重厚感のある拝殿ですね。
境内社

参道脇に鎮座する天神社になります。

こちらが二の鳥居正面に鎮座する社になります。扁額など社名が分るものがなかったので詳細は不明なのですが、もしかしたら津島社なんじゃないか?と思ってます。
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鎮座地を地図で確認
神社名 | 畠神社 |
鎮座地 | 愛知県田原市福江町宮ノ脇十三番地(Googlemap) |
最寄駅 | 電車: バス:豊鉄バス「福江バス停」徒歩3分 |