神社情報
神社名 | 八幡社 |
鎮座地 | 名古屋市千種区千種二丁目十八番地十四号(Googlemap) |
例大祭 | 十月十四日 |
創 建 | 安政五年(1858年) |
御祭神 | 應神天皇 |
旧社格 | 神饌幣帛料供進指定村社 |
神名帳 | ー |
境内社
境内社 | 皇大神宮 秋葉神社 津島神社 |
文化財
国 宝 | |
国指定 | |
県指定 | |
市指定 町指定 村指定 |
参拝情報
御朱印 | ー |
URL | ー |
駐車場 | ー |
参拝日 | 2022/4/27 |
御由緒
名古屋工業大学の北側、千種区と昭和区に跨った地域を「吹上」と呼んでいます。八幡社の地名は現在では千種区千種となっていますが以前は江戸時代の頃からこの辺りは吹上と呼ばれていた事から「吹上八幡社」と呼ばれています。
元々この吹上と呼ばれる地域まで海が迫っていた様で、千種区役所のHPにある「千種区の町名由来」によると、吹上は「古矢田川層の上にできた村落で、昔はこの辺りまで入海だったため、真砂が風で吹き上げた所といわれています。風を受けやすい地形に多い地名です」とあります。そして、弘治年間(1555-57年)に應神天皇の神霊を載せた小船に流れ着き、神吹上られ給う意により「吹上の里」と呼ぶようになったとも伝えられている地域になります。
そんな伝承が影響したのか、幕末である安政五年(1858年)に御器所村字木市に八幡社が創建されています。そして、明治十九年(1886年)に崇敬者の勧請によりこの地に遷座しています。なぜに遷座する事になったのか不明ですが、明治期の名古屋市都市開発の中で神社を含めて集落ごと移動しているケースを他の場所でもあったので、ここ吹上八幡社もそういった理由で現在の境内地周辺に集落ごと移動したのかもしれません。
社伝によれば”往古は此の地を古井(こび)と称し、清水滾々(こんこん)と吹き出し應神天皇御誕生に際し里人喜び、この清水を献上したと伝える。又此の地は入海の末端で弘治年間(1555-57年)應神天皇の神霊小船に御してこの小丘に漂着せらる。神吹上られ給う意により古井を吹上の里といい、里人天皇との関係ふかきを奉謝し産土神として祭る” 明治五年十月村社に列格し、大正十一年九月十五神饌幣帛料供進指定社となる
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」
御祭神
- 応神天皇
参拝記
若宮大通という名古屋市でも屈指の大動脈となる幹線道路がすぐ南を東西に走り抜けているのですが、そこから一本路地に入った場所に鎮座している吹上八幡社の境内はそんな喧噪を感じない落ち着いた気持ちになれる場所になっていると思います。
境内入口
旧社格が彫られた社号標、幟立石一対、石造灯篭一対、扁額の無い明神鳥居が据えられた境内入口になります。更に例祭の時になると、提灯釣竿が一対建てられるみたいです。(ストリートビュー参照)
手水舎
瓦葺木造四本柱タイプの手水舎に、水盤と井戸が設けられています。井戸は囲いが付けられて普段は使用できない様になっていますね。
狛犬
狛犬の造形・風化具合から明治期後半から大正期の生まれと思われる狛犬一対になります。以前から狛犬紹介の所で自分の所感を述べていたりしますが、個人的にはこれくらいのシンプルかつ少し愛嬌のあるこの時代の狛犬が一番好きですね。
社殿
切妻造瓦葺妻入の拝殿、祭文殿と本殿が一列に並んでいるまさにお手本のような尾張造の社殿となっています。
拝殿と祭文殿は渡殿によって繋がり、本殿は瑞垣によって囲まれています。
更に拝殿の前には大正期に据えらえた蝋燭台が設けられており、尾張地方の社殿造の特徴が凝縮されています。
境内社
社殿脇に瑞垣で囲まれた基壇上に境内社である三社の社が鎮座しています。境内社にも蝋燭台が設けられていますね。
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鎮座地を神社で確認
神社名 | 八幡社 |
鎮座地 | 名古屋市千種区千種二丁目十八番地十四号(Googlemap) |
最寄駅 | 電車:名古屋市帝地下鉄桜通線「吹上駅」徒歩15分 バス: |