大高町町屋川に鎮座する「八幡社」と大高城跡に鎮座する「城山八幡社」は同時に勧請され創建された八幡社になります。今回参拝する町屋川に鎮座する「八幡社」は大高の町民からの崇敬をあつめた神社になります。
神社紹介
神社名 | 八幡社 |
鎮座地 | 愛知県名古屋市緑区大高町字町屋川十四 |
御祭神 | 応神天皇 神功皇后 玉依姫命 |
旧社格 | 村社 |
創 建 | 永正年間(1504~21年) |
神名帳 | ー |
境内社 | 金刀比羅社 稲荷社 秋葉社 |
例祭日 | 旧暦八月十五日 |
御朱印 | ー |
H P | ー |
参拝日:2020年10月7日
御由緒
永正年間(1504-1521年)、大高城の城主だった「花井備中守」が鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請し、大高城内と城下の町屋川に八幡社を建立したと伝えられています。大高城の守護と大高の街の鎮守を祈願して、当時非常に盛んだったと言われる八幡信仰もあり、八幡大神を勧請したのだろうと思います。
この頃は、大高城内に鎮座する八幡社(現:城山八幡社)が主であり、寝屋川に鎮座する八幡社は従という関係だったと考えられ、城山八幡社の離れ宮とも言われていたとそうです。
江戸幕府が開幕し、尾張徳川藩が成立すると、大高城址には尾張徳川藩の家臣「志水氏」が居を構え、館内に鎮座する事になった八幡社は武士のみの参拝が許される事になり、町民は寝屋川の八幡社を参拝する形になっていきます。
明治時代になり、町民からの信仰が篤かった寝屋川の八幡社は村社に指定される事になります。
社伝に、治承四年(1180年)十月、の勧請にして即ち、城山八幡社の離れ宮ともいう。「尾張志に」八幡ノ社大高村にありと記るす。町屋川の氏神として崇敬あつく、明治六年十月、据置公許となり、昭和十六年五月、社殿を改築する。昭和十七年三月二日、村社に列格した。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より
参拝記
名古屋市立大高北小学校の東側に鎮座する大高八幡社になります。周囲は区画整理されているのですが、古き大高の街並みの香りが少ししてくる感じがします。大高八幡社では参拝者用の駐車場が確保されているので、そちらに車を停めて参拝してください。
境内入口
旧社格「村社」が合わせて彫られた旧社号標と、造営工事の時に新しく据えられた新社号標が並び立っています。よく見ると旧社号標は「八幡神社」と彫られていますね。
境内を石造りの瑞垣が囲んでいて、その奥に扁額の明神鳥居が据えられています。
狛犬
境内を造営された時に新たに据えられた狛犬になります。平成生まれの狛犬だと思うのですが、昭和時代の狛犬と比べても顔が大きく、顔が小さく・・・デフォルメちっくな造形になりつつあるなとこうして写真を見てると実感します。
手水舎
木造銅葺四本柱タイプの手水舎になります。コロナ禍が徐々に落ち着いてきたからか、水盤にはなみなみと水が張られていました。
社殿
入母屋造銅葺平入の屋根に千鳥破風が設けられ軒唐破風(向拝に軒唐破が設けられたもの)がある拝殿を有する社殿になります。平成になって再建された社殿らしく低床の拝殿となっていて、土間に「胡床」を並べて、座って御祈祷を受ける事ができるみたいです。
境内社
社殿向かって右側に境内社となる稲荷社、金刀比羅社、秋葉社が鎮座しています。ここの境内社は社はまったく統一していないのに、前面に塀が設けられただけでなんとなく統一されている感じを受けて視覚的に考えらえた造りだと思います。
地図で鎮座地を確認
神社名 | 八幡社 |
鎮座地 | 愛知県名古屋市緑区大高町町屋川十四番地 |
最寄駅 | JR東海 東海道本線「大高駅」徒歩4分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。