歴史紀行

第三話:吉良氏vs松平氏 戦いの地

2018年7月14日

前回は、大河内氏所縁の寺津町を散策しました。今回は、大河内氏の子孫が大河内松平氏として大喜多藩主と務めた際、飛び地として領有し陣屋と置いた場所であり、又、長縄町の観音寺に安置されている"兵道塚、玄徳塚"が元々据えられていた場所でもある西尾市吉良町駮馬周辺に向かう事にします。


元々西尾市周辺は吉良荘と呼ばれ、足利幕府を支えていた吉良氏の本拠でした。名門とも言われる吉良氏ですが、身内の抗争に明け暮れ、西条吉良氏と東条吉良氏と分裂していました。駮馬にはその東条吉良氏の本城であった東条城があり、吉良氏所縁の史跡や寺院が数多く存在しています。また、桶狭間の合戦後、今川氏から独立した松平元康の三河統一に立ちはだかったのが東条城の吉良氏であり、吉良氏と松平氏の壮絶な戦いの場でもありました。

そして江戸幕府開府後、忠臣蔵で有名になってしまった"吉良上野介義央"が領主とつとめていた旗本"吉良氏"の領地の時期もありましたが、その後改易・・・。改易後この地を納めたのが、大河内氏の血を引く大河内松平氏でした。大河内松平氏が藩主だった大喜多藩の飛び領地になり、小牧砦の跡地に小牧陣屋が置かれて明治維新を迎えています。


さて、駮馬について一番最初に向かったのは、吉良氏最後の戦いとなった"藤波畷の古戦場跡"です。この戦いでは、吉良方の武の支柱とも言える"富永伴五郎"という猛将が松平軍との壮絶な戦いを繰り広げますが最後は力尽き討ち死。吉良方もこれまでと東条城を開城降伏したという戦いの場所となります。

古戦場の石碑が県道318号線沿いのあぜ道に建っています。またこの石碑から南に400mほど進んだ場所に、富永伴五郎が討ち死にしたと言い伝えられている場所があり、現在では伴五郎地蔵が御堂の中に安置されています。

この富永伴五郎は東条吉良氏の家老を務めた富永氏の末裔であり、吉良氏の領地の内室城を中心とするエリアを受領しており、松平氏との戦いの最前線を任されていた武将になります。

藤波畷の戦いのわずか五ヶ月前、吉良氏に対し圧力をかけてきていた松平氏に対し、反撃をするべく富永伴五郎が仕掛けた"善明堤の戦い"が勃発します。そしてこの戦いの際の激戦地が現在"黄金堤"が築かれている場所周辺になります。昔は山と山に挟まれた淵とよばれる場所だったそうなのですが、現在では山も削られ、そんな場所とは想像しにくいですね。

この善明堤の戦いでは、深溝松平氏の二代目当主"松平好景"、家臣の"板倉好重"など50騎程が全滅し、中島城も吉良氏の手に落ちたとされています。

こうやって史蹟などを巡っていると吉良氏より富永伴五郎に興味が出てきたので、富永氏関連の史蹟、寺院を巡ってみようと思います。善明堤の戦いの石碑近くに、富永氏の香華所だったと言われる"西林寺"が鎮座しています。

現在では無住の寺院となり、詳しいことはわかりませんが、境内にはこの寺院開山以前からこの地に建っている椎の大木が非常に目を引きます。(西尾市天然記念物に指定されています。)

また、瀬門神社とも境内を接しているんで、何らかの関係もあるかもしれませんね。

そして、富永氏の菩提寺であり、現在富永一族の墓所となっている"大通院"が東条城の西側、寺嶋と呼ばれる地区に鎮座しています。

非常に大きな伽藍を有する寺院だったそうなのですが、藤波畷の戦いの際、兵火によって消失してまったんだとか。

現在の本堂の南側に墓地があり、その一角に富永一族の墓石の宝篋印塔が並んでいます。

将とは言え敗れた側の主君でもない物がこれだけ手厚く祀られているのは、富永伴五郎本人に非常に人望があったからなんでしょうね。


さて、いよいよ駮馬の中心ともいえる東条城址にやってきました。織豊時代以降の城跡を見てしまスト非常に質素な造りの様にも感じますが、鉄砲伝来以前の城はこういった感じの城ばかりだったと思います。

バブル期に行われた"ふるさと創生事業"で幡豆郡吉良町は東条城の再建を選んだんだとか。そのおかげでご覧の通り戦国時代前期の姿を再現しています。が、櫓など劣化具合も気になり、補修維持の予算はどれだけでているのか・・、この姿がいつまで維持できるのか、勝手に心配してしまいますね。

東条城を後にし、次は松平方の最前線であった"小牧砦"を訪れるべく、東条城から南へ。

小牧砦の時代もそうなのですが、その後小牧陣屋が置かれたのですが、その遺構も残っていないのですが、現地には、現在の地図と小牧陣屋を対比した図が設置されたちょっとした広場が整備されていて、少しは当時を偲ぶことができる気がします。

この小牧砦を構築し、富永伴五郎を打ち破ったのが"本田広孝"です。広孝は松平宗家八代目広忠の頃から松平家に仕えていた家臣であり、非常に家康からも信頼が厚かった武将と伝えられます。東条城落城後、広孝は富永伴五郎の所領だった室城周辺を与えられ、富永家臣団を自身の配下に加えています。


この駮馬を中心とした地区も非常に神社仏閣が多い地域で、各霊場の札所も点在しています。ここではまとめて札所のある寺院を紹介していきます。

札 所:三河海岸大師 八十番札所

札 所:三河海岸大師 八十一番札所

札 所:三河海岸大師 八十二番札所

札 所:三河海岸大師 八十四番札所
札 所:東条吉良三十三観音 二十六番札所

札 所:三河海岸大師 八十五番札所

札 所:三河海岸大師 八十六番札所

札 所:三河海岸大師 八十七番札所
札 所:東条吉良三十三観音 二十四番札所

札 所:三河海岸大師 八十八番札所


寺津地区に引き続いて三河海岸大師霊場の札所が数多く鎮座していて、八十八番目の結願の札所があります。

今回参拝することができなかったのですが、東条吉良氏の菩提寺である"花岳寺"や高家吉良氏の菩提寺"華蔵寺"など岡山と呼ばれる地域には吉良氏所縁の寺院が多く鎮座しています。宿題が残ったという事で近々訪問していこうと思います。


さて、駮馬散策も終えて、どちらに向かいますか?

Route1
富永伴五郎の所領だった室城へ

Route2
善明堤の戦いで激突した深溝松平氏の所縁の地へ

Route3
富永伴五郎を打ち取った本多広孝の所縁の地へ


 

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