雲龍山宝蔵院(名古屋市中川区伏屋) 名古屋二十一大師 十番札所

寺院情報

寺院名 雲龍山宝蔵院
所在地名古屋市中川区伏屋二番七〇七号
御本尊地蔵菩薩
宗 派真言宗智山派
創 建不詳
札 所名古屋二十一大師 十番札所
御朱印
H P

参拝日:2019年12月25日

宝蔵院公式ホームページのご紹介

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沿革・由緒

 その昔・・奈良時代や平安時代の律令国家時代は、貴族以外の一般民は、「租庸調」という税を治める事になっていました。中学校の歴史の教科書に出ていますよね・・・租庸調・・・覚えていますか?

 「」は今でいう所の地方税に相当しているので、それぞれの国の国府に納めます。
 「」は成人男性に課せられた「労役」の代わりに納める米や織物の事になります。
 「調」は織物の他、地方の名産を治めます。

 「庸」と「調」は今でいう所の国税に相当する物で、納先は京都の都になり、地方から京都に納税の為に向かう必要がありました。その為、大和朝廷は地方と京を結ぶ街道の整備を行っていたといいますが、その道中の食糧は自己調達であり、泊まる宿などもあまりなく野宿がほとんだったと思われ、道中、飢えや病で倒れ亡くなってしまうケースが続出したといいます。

 その為、寺院などがこうした人々の救済施設として造られたのが「布施屋」になります。京都と地方を往復する人々の療養を主たる目的とし、食料の配布、宿泊施設などがそろった施設になります。こうした「布施屋」と呼ばれる施設は日本全国に作られたと云い、敷地内には医薬を司る「薬師如来」を奉安する「薬師堂」もしくは「薬師寺」が作られていたといいます。

 宝蔵院がたつ「伏屋」という地名は、世話になった人々が布施屋を後にする時、感謝のあまりに手足を地面につけ頭を下げ、その姿が布施屋の屋根に対して伏せている様な姿から「伏屋(ふせや)」から取られたと言われています。

 この事から、伏屋には、律令時代に「布施屋」があった事が読み取れますね。

 「宝蔵院」の創建については寺伝が残っておらず不詳との事ですが、本尊は行基菩薩作と伝えれている地蔵菩薩像です。宝蔵院が律令体制の時代に建っていたのかは何とも言えませんが、少し気になる建物が宝蔵院の境外地となる場所にありました。

 名古屋市中川区前田西町1丁目地内に建つ「薬師堂」になります。本尊は行基菩薩作と伝えられている「薬師如来像」になります。霊験あらたかであり、前田利家の守本尊となっていたとも伝えられている薬師如来像でもあります。
 元々はもう少し北に行った場所にあったそうなのですが、庄内川に氾濫で流され、この地に本尊が流れ着いたため、この地に薬師堂を再建したとか。

 何が言いたいのか、勘の鋭い方はもうお見通しだと思いますが、奈良時代から平安時代初期に建てられた布施屋という救済施設には薬師堂が建てられていたと前述しています。そして、布施屋があった事から伏屋という地名になったと言われているこの場所に、行基菩薩という奈良時代の名僧が刻んだ「薬師如来像」を奉安している薬師堂が建っている。まったく証拠も資料もないのであくまでも自分の推測ですが、そういう事なんだろうと考えています。

 そうなると、同じ行基菩薩作の地蔵菩薩を本尊とする宝蔵院も薬師堂と同じような時期に創建されたと考える事ができるかと思います。そうなるとかなりの古刹であると言えますね。

 宝蔵院の由緒が「愛知県海部郡富田村誌」にありましたので紹介します。

大字伏屋にあり。真言宗新義智山派に属す。雲龍山無勒寺という。昔は南蔵院と言いしを寛永七年今の名に改む。火災に罹りたるより換へたり。名古屋宝乗院末寺なり。創建の年月知れず。永正年中汲範上人中興造立せり。行基菩薩の作という。木佛立像地蔵菩薩を本尊とす。境内に鎮守稲荷社、阿弥陀堂などあり。

大正五年発刊、「愛知県海部郡富田村誌」より

名古屋二十一大師霊場を行く

 名古屋二十一大師遍路の旅初日は、十七番札所「増益山大喜寺/紹介記事」の納経を終えた時点でタイムリミットとなった為、大喜寺が初日のゴール地点となりました。

 名古屋二十一大師遍路の旅二日目の本日は2019年12月25日でございます。そう、世間では「クリスマス」なんですが、なんでしょうね・・・クリスマスイブの12月24日の夜が終わり、25日になってしまうと何となくクリスマスが終わった気分になってしまうのは。私、キリスト教徒ではないので、よくわからないのですが、本来一番大切な時間って、24日の夜?25日の日中?25日の夜?どこなんでしょうか・・・。

 前日(12月24日)の夜は家族でクリスマスケーキを食べながら「メリークリスマス!」とかいいつつ、その数時間後には、こうやって弘法大師霊場の遍路に出かける私の信仰心はまさに「やおよろず」と行った所でしょうか。所々でクリスマスソングを聞きながら本日最初の納経先となるのが、名古屋二十一大師十番札所「雲龍山宝蔵院」になります。
 江戸時代に頻繁にあふれた庄内川の治水対策として、庄内川への水の集中を抑える為に、人工的に作られた河川が新川になります。今回納経する宝蔵院がある伏屋地区はまさに庄内川と新川に挟まれた、地図で見るとまるで中洲の様な場所になっています。

 「あっ、特急しまかぜだ。」
 岡崎に住んでいると全く近鉄とは縁がないので、こうして近鉄の車両を目の前で見るのはとても新鮮な気分になります。自宅前にはJR東海の東海道本線が走っているので電車は見飽きている(貨物列車以外はほぼ313形ですしね。)のですが、特急列車とか見てしまうとワクワクしますね。

参拝記

 平成26年に高架化された近鉄名古屋線沿いに建つ「雲龍山宝蔵院」になります。高架の側道の様になっている道路の所を元々線路が敷設されていたので、高架工事によって数mずれたことになります。ストリートビューで分る通り、駐車場がしっかりと確保されているので、車で遍路される方も安心して納経できます。

山門

 一間一戸鐘楼門の山門になります。この山門の手前には石造の仁王像が建っています。

手水舎・水盤

 木像銅葺四本柱タイプの手水舎で、水盤は自然石をくり抜いた様式の物になります。

本堂

 入母屋造瓦葺平入の向拝がある本堂になります。
 中央に本尊である地蔵菩薩が奉安され、向かって右側に名古屋二十一大師札所本尊の弘法大師像が奉安されているようです。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

稲荷社

 富田村誌にも書かれている、宝蔵院鎮守社である稲荷社になります。

役行者像

稲荷社の隣に奉安されている役行者像になります。

地図で所在地を確認

寺院名雲龍山宝蔵院
所在地名古屋市中川区伏屋二番七〇七号
最寄駅近鉄名古屋線「伏屋駅」徒歩2分

次の目的地は?

 上記の地図を見ていると、皆様の画面に表示されているか分かりりませんが、「前田利家の生誕地」とされる場所が近くにあるようです。ちょっと、宝蔵院にバイクを止めさせて頂き、少し散策をしてみたいと思います。

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