名古屋市中川区

富士天満宮(名古屋市中川区荒子四丁目) 前田氏居城「荒子城」

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

神社紹介

神社名富士天満社
鎮座地愛知県中川区荒子町四丁目二〇八番地一号
御祭神木花開耶姫命、 菅原道真
旧社格無格社
創 建不詳
神名帳
境内社
例祭日十月七日
御朱印
H P

参拝日:2019年12月25日

御由緒

 「前田城/紹介記事」城主だった「前田種利」は「林秀貞」の与力として功をあげ、荒子二千貫(四千石)を知行を受け、 天文十三年(1544年)に「荒子城」を築城し、本城を「前田城」から「荒子城」に移したと言われています。 天文二十一年、織田信秀が死去すると、「織田信長」と「織田信行」の家督争いが起きます。信長付の武将となっていた「林秀貞」も奇行が目立つ信長に頭を悩ませ、「織田信行」擁立に動いていたとされています。
 弘治二年(1556年)に起きた信長と信行との間の直接軍事衝突となった「稲生の戦い」において、「林秀貞」は織田信行側に与しています。秀貞の弟「林通具」は子の戦いで信長に討ち取られています。この戦いで、前田利種は当然「林秀貞」側に付いていますが、利種の甥と言われる「前田利家」が信長の小姓として信長側近として参戦しています。
 こうした配下の武将の裏切りともいえる行動の為、信長は荒子の領地を「前田種利」から召し上げ、その弟で利家の父である「前田利春(利昌)」に与えています。

某 ┳ 前田種利 ━ 前田長定 ━ 前田長種
  ┃
  ┗ 前田利春 ┳ 前田利久 ⋯ 前田利益
         ┃
         ┗ 前田利家

 前田家の家系図を調べてみるとこんな感じの家系図になるようです。ただ、前田利春以前の家系図については不確かな部分がある為、種利と利春が兄弟なのか伯父と従兄弟の関係なのかははっきりしなかった為、ここでは兄弟として家系図を起こしてみました。

※ちなみに、利家の兄「前田利久」の養子には漫画家されてかなり有名になった「前田慶次郎」がいます。

 「前田利久」は利春が亡くなると、家督を継いで「荒子城主」となります。この頃の利家は、荒古城もしくはその周辺で居しながら、清州城の信長の元で奉公していたと思われます。しかし、永禄十二年(1569年)、「武者道少御無沙汰」として、信長の命に依り前田家の当主を「利久」から「利家」に譲らされてしまいます。荒子城を明け渡した後、利久、養子の利益は荒子の地を離れたとされ、天正九年(1581年)に「能登七尾城」城主となった利家を頼るまで、全国を流浪したとも、帰農していたとも言われ詳細は解っていません。
 「荒子城」は天正九年、利家が七尾城主となった時、荒子城を守っていた嫡男「前田利長」を七尾城に呼び寄せた時に廃城となったと言われています。

 この「荒子城址」に鎮座している「富士天満社」は荒子城の鎮守社として開創された神社になります。富士浅間大社の祭神である「木花開耶姫命」と、前田家が祖としている「菅原道真」を祀っている神社になります。戦国時代から江戸時代にかけて地方の豪族とその臣下達が勢力を伸ばし武将、大名となっていく中、藤原氏、源氏などの家系と自らの家系を結び付ける様に改竄を行ったのはほぼ定説となっていて、「前田家も菅原道真の末裔である」としている所は、しっかりとした資料があるわけではないので、信憑性が薄い説ではないかと思うのですが。源氏に通じる松平家と同じレベルかなと思います。
 となると、「荒子城」に祀られた神社は、富士浅間大社・・・江戸時代までは「富士大権現」を祀っていた神社という事になります。前田一族は山岳信仰を信仰してきた一族なのかもしれませんね。

 この地に城主前田利家城内の鎮守の社として祀る。道真公は前田氏の祖神という。弘治元年(1555年)利家、社殿を修造す。天正四年(1576年)越前府中国替えとなったが、城と共にこの地に残された今古城と呼ぶ。明治六年据置公許となる。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より

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 「荒子観音/紹介記事」とその鎮守社であった「神明社/紹介記事」の参拝を終え、南東に200mほどの距離にある「荒子城址」とそこに鎮座する「富士天満社」を参拝していきます。「前田利家」所縁の地という事もあり、荒子周辺はかなりの前田利家押なのが感じられる地域になっています。

参拝記

 「富士天満社」の境内は、住宅地の中にあり、さらに駐車場が用意されていないので、「荒子観音」に車を停めて徒歩にて向かわれる事をお勧めします。そんなに離れていないので、十分徒歩圏内です。

境内入口

 「富士大権現天満天神宮」と彫られた社号標、明神鳥居、石灯篭などが据えられている境内入口になります。鳥居に結ばれている「前田利家生誕の地」と書かれた幟が目立ちます。

手水舎

 木像銅葺四本柱タイプの手水舎になります。柱が細いのですが、柱の転びがかなり付けられていて、屋根も質素な造りなのこともあって、不安定感はかなり払拭されている感じです。

社殿

 切妻瓦葺妻入りの開放型拝殿と瑞垣で囲まれた本殿とそれをつなぐ渡り殿といった尾張地方で見かける社殿様式になっています。

前田利家生誕の地

 本殿脇に据えられている「前田利家卿誕生之遺址」の石碑になります。当サイトでは「前田利家」は前田にある「前田城」にて生まれ、その後「荒子城」城下に移ったという説で説明をしていますが、前田利家で検索すると「荒子城」で生まれたという説を採用している所がかなり多いように思えます。
 さて、前田利家はどちらで生まれたのでしょうか?

地図で鎮座地を確認

神社名富士天満社
鎮座地愛知県名古屋市中川区荒子町四丁目二〇八番地一号
最寄駅名古屋市営地下鉄 東山線「高畑駅」五番出口徒歩6分
あおなみ線 「荒子駅」徒歩13分

次の目的地は?

十二番札所、または名古屋三弘法二番札所でもある「宝生山弁天寺」を目指します。

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