名所情報
名所名 | 小長曽陶器窯跡(愛知県瀬戸市白坂町) |
所在地 | 愛知県瀬戸市東白坂町一番の一 東京大学愛知演習林赤津事業地内(Googlemap) |
文化財
国 宝 | |
国指定 | 史跡名勝天然記念物:1971年(昭和四十六年指定) |
県指定 | |
市指定 町指定 村指定 |
訪問情報
URL | https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/210390 |
駐車場 | 〇 |
訪問日 | 2022/6/24 |
訪問記
勘八狭を散策してから瀬戸市方面に向かおうと思っていたのですが、地図を見ていたら猿投を通り抜けた先に愛知県豊田市(旧藤岡町)と瀬戸市を結ぶ県道33号が走っていて、その県道沿い沿いになにやら国の指定史跡があって、しかも今回の遠征ルートに無理なく押し込めそう?だったので向かってみる事にしました。
その史跡の名前から陶器を焼き上げる窯跡何だろうという事は想像に難くない所かと思いますが、国の史跡に指定されるくらいなんですからさぞ全国的に見ても貴重な窯跡に違いないと思った訳です。ただ・・・窯跡を殆ど見た事がない自分がみて何か違いを感じる事ができるのかは・・・・自分の感性次第って感じですかね。
県道33号線は猿投山北部を東西に抜ける山越え県道になっているので、見通しの悪いワインディングロードが続きます。そんなワイディングロードを気持ちよく走っていると森の中に小道が続く入口が突如現れます。ここが小長曽陶器窯跡への接続道入口になります。この辺りはどういう経緯なのか東京大学農学部声帯水文学研究所の研究林(森?)となっていて、あちこちに看板が掲げられています。
この看板を読む限り、窯跡時代が東京大学の研究林の中にあって、史跡周辺は特別に立ち入りが認められているって感じでしょうか。しかし・・・東京大学はこの森の中で一体なにを研究しているのでしょうか・・・。
さて、小長曽陶器窯跡入口に設置してある案内看板を紹介します。
この案内板によると・・・
指 定:昭和46年7月13日 文部省告示第175号
追加指定:平成14年3月19日 文部科学省告示49号
概 要:室町時代に構築された窖窯を中心とする窯業遺蹟。遺構としては窯体、全庭部、工房跡、灰原があり、当時の窯場がほぼ完全に保存されている。また、この窯は江戸時代に再利用されており、現在の窯体はその際に改造されたものと考えられる。
と記されています。なるほど・・・室町時代の窯跡で、使われなくなって数十年してから再び使われる様になったと。数十年の時の流れの中で陶芸の窯の作り方も進化していて、当時の仕様に準じた造りに改造されたということでしょうか。
看板の写真を見るとかなり立派な鞘堂が設けられた窯跡のようですね。
これは楽しみです。
進入路を進んでいくと、国指定 史跡 小長曾陶器窯跡と彫られた石柱が設けられていました。
そして、その石柱の先に窯跡を保存するための鞘堂が現れます。正直想像していた以上に大きな鞘堂で、これだけしっかりと保存されている窯跡という事でかなり貴重なものだという事が想像できますね。
鞘堂を横から望むと、いい感じの登り窯であることが見て取れます。現在でも陶器で有名な場所では登り窯を使用した窯元を見る事ができる事から、登り窯っていうのはこの業界のスタンダード的な焼き窯なんですかね。
鞘堂の中の焼き窯はまさに時が停まったかのような往時の姿をとどめています。所々崩れているのは風化が原因なのか、陶器を取り出す時に壊したのかは自分にはよくわかりませんが、登り窯の中の状況を見る事ができるのは貴重なんじゃないかな。
瀬戸市のホームページによると、天明八年(1788年)に書かれた『張州雑志』に「平 小長曽ノ窯 元禄十二年有命 彦九郎焼之」とあり、元禄十二年(1699年)に二代尾張藩主光友の命により彦九郎が小長曽の窯を使用した事を示しているそうです。瀬戸市といえば瀬戸物で有名ですが、室町時代から焼き物が盛んに行われていたということですかね。
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鎮座地を地図で確認
名所名 | 小長曽陶器窯跡 |
鎮座地 | 愛知県瀬戸市東白坂町一番の一 東京大学愛知演習林赤津事業地内(Googlemap) |
最寄駅 | 電車: バス:名鉄バス「赤津バス停」徒歩40分 |