(旧)三河新四国八十八ヶ所 三河海岸大師八十八ヶ所 三河白寿観音霊場 西尾市

和仲山満国寺(西尾市一色町味浜) 三河海岸大師 五十番札所、三河白寿観音五番札所

2019年4月4日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

平安時代中期の清和源氏の武士である「源満国」が遠江守の時に勅命に背いたとして流刑に処せられ流されたのが三河国刈宿になります。刈宿にいつまでいたのかは不明ですが、満国が創建したとされる寺院になります。

寺院紹介

寺院概要

寺院名和仲山満国寺
所在地愛知県西尾市一色町味浜堤西七番地(GoogleMap
創 建不詳
宗 派浄土宗西山深草派
御本尊三尊来迎阿弥陀如来

霊 場

霊 場三河海岸大師 五十番札所
三河白寿観音 五番札所
(旧)三河新四国 二十五番札所
前札所霊 場次札所
四十九番:北城山瑞雲寺三河海岸大師五十一番:瑠璃山 香秀寺
四番:性海山妙善寺三河白寿観音六番:大仙山西福寺
二十四番:亀休山善寿院(旧)三河新四国二十六番:玉法山西福寺

文化財

国 宝
国指定
県指定
市指定
町指定
村指定

参拝情報

御朱印
URL
駐車場
参拝日2018-1-18

御由緒

多田満仲の末子源満国の創立にして天台宗なりしが、文亀年中傳朝和尚に至り浄土宗に改む。

愛知県幡豆郡誌」より

さて、満国寺を創立したとされる「源満国」なんですが、由緒では多田満仲の末子と書かれていますが、実際は源満快の長子だったそうで、多田満仲は満国の叔父にあたる人物なんだそうですが、明治期の資料では多少間違いがあるかもしれませんね。「源満国」は以前紹介した

を勅命に背いたため、現在の西尾市刈宿に流罪となった時に、創建したという事でしたが、今回紹介する満国寺も源満国の創建なんですね。源満国がいつまで刈宿にいたのか解りませんが、この辺りの開発に多大な影響を与えたことは間違いない所ですね。

御朱印帳の保管に

 数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。

 ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?

参拝記

豊田市の大林から安城市街、西尾市市街を通り抜け一色町に至るこの周辺では主要道路になっている県道12号線沿いに鎮座しています。中々県道の道路番号なんぞは覚えていないのですが、無意識のうちに走ったことがある道路になるかと思われます。

境内入口

ここ満国寺も境内入口、山門周辺は少し入ったコの字を形をした造りになっています。
こういった造りを調べているのですが、中々名称など解らない物ですねえ・・・。

祈願所石柱

山門前には、「二条殿御祈願所」と彫られた石柱が据えられています。
二条殿・・・関白の二条家を指すのか、二条天皇を指すのかはいまいちわかりませんね。ただ、調べていくと、二条殿とは「二条良基」の事をいうらしいのですが・・・。

山門

金色に輝く寺号の書かれた扁額が非常に目を引く袖壁の設けられた薬医門の山門になります。
少々貫が細いかな?とはおもうのですが、扁額と相まって重厚感の感じる山門です。

山門を抜けると真っ直ぐ本堂に向かって参道が伸びているのも絵になりますね。

手水舎・水盤

コンクリート造りの四本柱タイプの手水舎になります。
各柱の転びがきつめにつけられていますね。

白寿観音像

観音像が鎮座していました。
周囲に「白寿観音」と書かれた赤い幟が囲んでいたので、こちらが三河白寿観音霊場の札所本尊の白寿観音になるのかな?

本堂

寄棟造瓦葺平入の向拝の設けられた本堂になります。浄土宗の本堂らしく、周囲に高覧付きの濡れ縁が、設けられているのが特徴ですね。

濡れ縁の高さを見る限り、非常に高床の本堂なのがわかりますね。

こちらの本堂の中に、三河海岸大師霊場、(旧)三河新四国の札所である弘法大師像が安置されているとはおもうのですが、本尊のどちら側に安置されているのかわからないので・・・本堂の中心から、

「南無遍照金剛大師」「南無遍照金剛大師」「南無遍照金剛大師」・・・

鐘突堂跡

鐘楼の石垣と鐘突堂の四本柱の基石が残された鐘突堂の後になります。何時頃から鐘突堂が喪失してしまったのか不明ですが、脇に生えている松の伸び方を見ているとかなり前から無くなっていたんだろうと思われます。

参拝を終えて

源満国由来の寺院という事で、寺名の「満国寺」も源満国由来と言われています。
もっと掘り下げて調べていくと、源満国由来の場所もまだありそうですね。


遊び予約/レジャーチケット購入サイト「asoview!(アソビュー)」


所在地を地図で確認

寺院名和仲山満国寺
所在地愛知県西尾市一色町味浜堤西七番地(GoogleMap
最寄駅鉄道:
バス:名鉄バス「満国寺前バス停」徒歩1分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

 元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

-(旧)三河新四国八十八ヶ所, 三河海岸大師八十八ヶ所, 三河白寿観音霊場, 西尾市
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