寺院情報
寺院名 | 和仲山満国寺 |
所在地 | 愛知県西尾市一色町味浜堤西七番地 |
御本尊 | 三尊来迎阿弥陀如来 |
宗 派 | 浄土宗西山深草派 |
創 建 | |
札 所 | 三河海岸大師 五十番札所 三河白寿観音 五番札所 (旧)三河新四国 二十五番札所 |
御朱印 | 〇 |
H P | - |
参拝日:2018年1月18日
三河海岸大師 札所一覧
沿革・由緒
多田満仲の末子源満国の創立にして天台宗なりしが、文亀年中傳朝和尚に至り浄土宗に改む。
「愛知県幡豆郡誌」より
さて、満国寺を創立したとされる「源満国」なんですが、由緒では多田満仲の末子と書かれていますが、実際は源満快の長子だったそうで、多田満仲は満国の叔父にあたる人物なんだそうですが、明治期の資料では多少間違いがあるかもしれませんね。「源満国」は以前紹介した
や
を勅命に背いたため、現在の西尾市刈宿に流罪となった時に、創建したという事でしたが、今回紹介する満国寺も源満国の創建なんですね。源満国がいつまで刈宿にいたのか解りませんが、この辺りの開発に多大な影響を与えたことは間違いない所ですね。
和仲山満国寺 所在地
県道12号善"豊田一色線"の県道沿いに鎮座している為、非常にわかりやすいかと思います。
また、参拝者用の駐車場もしっかりと用意されていて、参拝しやすい寺院です。
参拝記
豊田市の大林から安城市街、西尾市市街を通り抜け一色町に至るこの周辺では主要道路になっている県道12号線沿いに鎮座しています。中々県道の道路番号なんぞは覚えていないのですが、無意識のうちに走ったことがある道路になるかと思われます。
境内入口
ここ満国寺も境内入口、山門周辺は少し入ったコの字を形をした造りになっています。
こういった造りを調べているのですが、中々名称など解らない物ですねえ・・・。
祈願所石柱
山門前には、「二条殿御祈願所」と彫られた石柱が据えられています。
二条殿・・・関白の二条家を指すのか、二条天皇を指すのかはいまいちわかりませんね。ただ、調べていくと、二条殿とは「二条良基」の事をいうらしいのですが・・・。
山門
金色に輝く寺号の書かれた扁額が非常に目を引く袖壁の設けられた薬医門の山門になります。
少々貫が細いかな?とはおもうのですが、扁額と相まって重厚感の感じる山門です。
山門を抜けると真っ直ぐ本堂に向かって参道が伸びているのも絵になりますね。
手水舎・水盤
コンクリート造りの四本柱タイプの手水舎になります。
各柱の転びがきつめにつけられていますね。
白寿観音像
観音像が鎮座していました。
周囲に「白寿観音」と書かれた赤い幟が囲んでいたので、こちらが三河白寿観音霊場の札所本尊の白寿観音になるのかな?
本堂
寄棟造瓦葺平入の向拝の設けられた本堂になります。浄土宗の本堂らしく、周囲に高覧付きの濡れ縁が、設けられているのが特徴ですね。
濡れ縁の高さを見る限り、非常に高床の本堂なのがわかりますね。
こちらの本堂の中に、三河海岸大師霊場、(旧)三河新四国の札所である弘法大師像が安置されているとはおもうのですが、本尊のどちら側に安置されているのかわからないので・・・本堂の中心から、
「南無遍照金剛大師」「南無遍照金剛大師」「南無遍照金剛大師」・・・
鐘突堂跡
鐘楼の石垣と鐘突堂の四本柱の基石が残された鐘突堂の後になります。何時頃から鐘突堂が喪失してしまったのか不明ですが、脇に生えている松の伸び方を見ているとかなり前から無くなっていたんだろうと思われます。
御朱印
参拝を終えて
源満国由来の寺院という事で、寺名の「満国寺」も源満国由来と言われています。
もっと掘り下げて調べていくと、源満国由来の場所もまだありそうですね。
次の目的地は
満国寺を後にして、次は三河海岸大師四十九番札所「北城山 瑞雲寺」を参拝します。