ONE POINT
「澤の観音」と呼ばれ熱田四観音の一つに名を連ねている観音堂が境内に建つ臨済宗の寺院「富春山妙安寺」の紹介です。また、妙安寺からの景色は名古屋三景の一つに数えられるなど江戸時代には多くの文人墨客が訪れたと伝えられています。
寺院紹介
寺院概要
寺院名 | 富春山妙安寺 |
所在地 | 愛知県名古屋市熱田区新尾頭二丁目二番地十九 |
創 建 | 元和年中(1615-24年) |
宗 派 | 臨済宗妙心寺派 |
御本尊 | 聖観世音菩薩坐像 |
霊 場
霊 場 | 大名古屋八十八ヶ所 六十番札所 府下三十三ヶ所 二十四番 |
前札所 | 霊 場 | 次札所 |
---|---|---|
春来山陽泉寺 | 大名古屋八十八 | 白光山如意寺 |
大泉寺 | 府下三十三 | 万日堂 |
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | ー |
市指定 町指定 村指定 | ー |
参拝情報
御朱印 | ー |
URL | https://myouanji.jp/ |
駐車場 | ー |
参拝日 | 2022年4月13日 |
御由緒
妙安寺の由緒については、大正四年発刊の名古屋市史・社寺編(547p)に詳しく記されているのでこちらを参照にして紹介していきます。
この名古屋市史によると、
・元々の境内地は海東郡助光村(海部郡富田村大字助光)に在り。
・元和年中(1615-24年)に小庵が建てられ、雪厳を請じて開山とする。
とあり、その後荒廃してしまったが、
・寛文九年(1669年)、織田久左衛門正直が今の地に移し僧江天を開山とし中興した。
・延宝五年(1677年)、本堂、山門落成。
「澤の観音」と呼ばれる観音堂は、元々この地にあったようだが、荒廃し礎石のみが残っている状況であり、織田正直は妙法院に請いて観音堂を造営、新たに正観音銅像を鋳造してこれを安置し、妙安寺の移転再興の際に観音堂を新たに建立してこちらに移したとしています。この「澤の観音」は熱田四観音の一であるとも記してます。
熱田四観音とは?
名古屋市史によると、「熱田四観音 東北は澤観音、東南は宮谷観音(祐学院)、西南は夢違観音(持福院)、鷲峯山観音也」と書かれています。大正四年の時点で、宮谷観音、夢違観音は廃寺となってしまっているようです。
江戸時代末期の名古屋城下の絵地図を見ていると、熱田四観音の場所が見えてきます。名古屋城を東西南北から囲むように置かれた尾張四観音と異なり、名古屋城下と宮を繋げる街道沿いに据えられているのが見て取れます。ただ、鷲峯山観音については全く情報が見つからず、絵地図を見るとこの部分に「観音」と書かれていた、さらにその名前「鷲峯山」は「だんぷさん」と読む様で、断夫山古墳の断夫山の漢字違いだろうと想像してその近くだったのでここを推定地としています。
夢違観音・・・雲見山持福院
天台宗、熱田神宮神宮寺の事務を管掌していた如法院の別院であり、元々は神宮寺の境内にあったが貞享年中に馬場町に移る。本尊は十一面観世音菩薩。名古屋市史発刊時には廃寺となっており本尊は白鳥町にある瀧之坊に移っていると記されています。※瀧之坊は昭和四十六年に寺号を瀧之寺に改称し、現在も熱田区白鳥二丁目六番地八に存続しています。
宮谷観音・・・宮谷山神光寺祐学院
修験道当山派、熱田新旗屋町の東側に在り、伊勢国岡本町の世儀寺の同行であり清寿院に属す。文化十年、住吉町の修験金谷の子が再興。観音堂の本尊は聖観世音菩薩像。修験道当山派は平安時代から江戸時代まで続いた真言宗系の修験道の一派であるが、明治時代になり神仏分離と修験宗廃止令により真言宗に強制的に統合されることになり、祐学院が属していた清寿院は廃寺となり、この時祐学院も廃寺となった様です。
令和の現在では、澤観音が祀られている妙安寺以外の三観音についてはすべて廃寺となってしまっており、四観音の姿を思い浮かべる事は正直厳しい状況となっています。
また、妙安寺の後園から西南の眺望は「名古屋三景」の一つに数えられています。
名古屋三景とは?
- 不二見原
- 大曾根の関貞寺
- 澤の観音(妙安寺)
不二見原については、葛飾北斎の富岳三十六景の「尾州不二見原」に描かれており、関貞寺と澤の観音は尾張名所図会に取り上げられています。
現在ではその三ヶ所とも周囲の都市開発によって眺望が望めなくなってしまっており、名古屋三景からは程遠い状況となってしまっていますが、妙安寺の西側は堀川にむかって急激な下り坂となっていて、ビルなど視界を遮るものがなければ確かに遠く前見渡せた事を感じられるかと思います。
尾州不二見原は桶の中から見える富士山という非常に独特なアングルで有名なので一度は見た事がある浮世絵なのではと思います。
妙安寺
名古屋市教育委員会設置案内板より
富春山と号し、臨済宗妙心寺派。
寛文九年(1669年)織田正直が海部郡富田からこの地に移して再興し、僧江天を開山とした。本尊の聖観音菩薩は、宋銭を集めて鋳造したといわれる。寺内に、熱田四観音の一つといわれる観音堂があってその評判が高く、俗に「澤の観音」とも呼ばれていた。また当寺の後園から西南の眺望は、名古屋三景の一つに数えられ、昔は文人墨客がよく訪れたといわれる。
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?
愛知県下新十名所を巡る
2022年のメインの企画「愛知県下新十名所」ですが、今回から第六弾の遠征となる今回は名古屋城近くにある「京町薬祖神」を目指してバイクを走らせていきます。
南区の「須佐之男社/紹介記事」を後にして、再び堀川左岸の住吉橋南側にたつ臨済宗の寺院である「富春山妙安寺」に向かいます。こちら妙安寺は大名古屋八十八ヶ所霊場の六十番札所となっていて、久しぶりの大名古屋八十八ヶ所の札所の紹介になります。
参拝記
名古屋市内を南北に流れる堀川の左岸側、住吉橋の南西の場所で堀川から高台となっている場所に今回紹介する「妙安寺」の境内があります。妙安寺には駐車場がない&周囲の道が非常に狭い事もあって車で参拝される場合は注意が必要です。
山門
薬医門の山門になります。門の奥に軽トラックが停まっていますが参拝同日は境内の修繕工事が入っていた為、本堂の写真を撮影する事が出来ませんでした。
観音堂
入母屋造瓦葺妻入りの観音堂になります。確証はないですが、たぶん「澤の観音」と呼ばれていた正観音菩薩像が安置されている観音堂なのではないかと思います。本堂は方丈の様な造りになっているのが特徴です。
弁天堂
宝形造の屋根の弁天堂にんります。周囲には熱田神宮の神宮寺であった「如意寺」が廃寺となった時に運ばれてきた句碑が立ち並んでいます。
地蔵堂
妙安寺の境内を囲む塀にむかって建っている形になっている地蔵堂になります。正面から見て左右非対称の造りとなっていてるのが非常に目を引きます。
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やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。 やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。
所在地を地図で確認
寺院名 | 富春山妙安寺 |
所在地 | 愛知県名古屋市熱田区新尾頭二丁目二番地十九 |
最寄駅 | 鉄道:JR・名鉄・地下鉄「金山駅」徒歩9分 バス:名古屋市営バス・熱田巡回、金山20系統「新尾頭バス停」徒歩3分 |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。