名古屋二十一大師 名古屋市昭和区 大名古屋八十八 愛知新四国霊場

普照庵龍福寺(名古屋市昭和区滝子町) 名古屋二十一大師二十番札所

2020年2月18日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名普照庵龍福寺
所在地愛知県名古屋市昭和区滝子町三十番二五号
御本尊地蔵菩薩
宗 派高野山真言宗
創 建元禄元年(1688年)
札 所名古屋二十一大師 二十番札所
大名古屋八十八 三十五番札所
愛知新四国霊場 四番札所
御朱印
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参拝日:2019年12月11日

名古屋二十一大師札所一覧

由緒・沿革

 その昔、八事にある「八事山興正寺」は女人禁制の寺院だったようで、興正寺開山の「天瑞和尚」の御生母「普照庵性誉即芳尼」は、尾張高野母寺として、尼寺「普照庵」を元禄元年に開山しています。

 八事山興正寺は大きく東山と西山に分かれていて、江戸時代まで東山は「遍照院」といい、学問修行の場で女人禁制とされていたそうです。現在では、仕切っていた「中門」も移動されて誰でも参拝できるようになっています。

 本尊である「地蔵菩薩」は尾張徳川藩七代目藩主「徳川宗春」の御生母「宣揚院」の念持仏を宗春公から寄進された物で、平安時代の作だそうです、この本尊にちなみ、「普照庵地蔵堂」と呼ばれていたようです。
 大正初期に弘法大師開基の「高野山龍福寺」と合併し、寺名も「普照庵龍福寺」と改称しています。
 その昔は、尾張三弘法のもっとも古い札所として香煙が絶えないとてもにぎわっていた寺院とも言われています。ただ、この尾張三弘法っていうのが実は尾張地方には「尾張三弘法」と称していた三弘法霊場が何ヶ所かあったようなんですが、そのほとんどが既に活動停止してしまっている霊場であり、札所もよくわかっていないのが実情の様です。

名古屋二十一大師霊場を行く

 中区錦にある名古屋二十一大師霊場五番札所「如意密山福生院」の納経と、寄道の「泥江縣神社」の参拝を終えて、午後1時近くになってしまっていたので、岡崎への帰路に付く事にしました。ただ、国道一号線を走っていく予定だったので、途中何ヶ所か立ち寄れそうな札所がある様でしたので、時間を見ながら納経していく事にしました。

 国道一号線を岡崎方面に進み、「高辻交差点」を左折し「八熊通」に出て少し進んだ場所にあるのですが、八熊通からは一本奥に入った場所になってて、しかも龍福寺の前の道路は一方通行という、なかなか説明しにくい場所にあるので、注意してください。

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参拝記

「南無大師遍照金剛」と書かれた幟が無かったら、間違いなく素通りしてしまうであろう「龍福寺」の境内入口になります。前述していますが、龍福寺前の道路が一方通行で、八熊通からは進入禁止となっているので、迂回する必要があります。

山門

 薬医門の山門になります。ただ、現状では車の進入路も整備されている関係上ほぼ山門を通る方は見えないのかもしれませんね。

本堂

入母屋造瓦葺平入の向拝のある本堂なのですが、植木で隠れてしまいよく解りませんね。

 本堂前には、石造の修行大師像が据えられていました。
 その横に置かれているプラスチックの入れ物の中に、朱印が入っています。丁度住職さんが不在の様で、自分で納経帳に押させて頂きました。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

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地図で所在地を確認

寺院名普照庵龍福寺
所在地 愛知県名古屋市昭和区滝子町三十番二五号
最寄駅名古屋市営地下鉄 桜通線「桜山駅」徒歩15分
名古屋市営バス 「滝子通二丁目バス停」徒歩3分

次の目的地は?

 名古屋二十一大師十九番札所「瑞穂山金龍寺/紹介記事」を目指します。
 高さ約10mの本尊「十一面観世音菩薩像」は瑞穂観音として親しまれているんだとか。自分もついつい見入ってしまいました。

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