寺院情報
寺院名 | 鈴木山 龍興寺 |
所在地 | 豊田市中町中郷98 |
御本尊 | 聖観世音菩薩 |
宗 派 | 臨済宗妙心寺派 |
創 建 | 文治五年(1189年) |
札 所 | 三河新四国霊場 五,六番札所 |
御朱印 | ○ |
H P | - |
参拝日:2019年6月12日
三河新四国霊場札所一覧
沿革・由緒
高岡村大字竹にあり。鈴木七郎重延を以て開基とし、始め天台宗の寺なりしが、後臨済宗に改む。重延は源九郎義経の臣にして紀州熊野藤代の人次郎重行の次男なり。文治五年奥州高館没落の後此の地に来たりて一精舎を建つ。鈴木山興龍寺即ち是れなり。後大に衰退せしが、弘治二年尾張熱田龍珠寺開山南溟和尚来りて是れを中興し。臨済宗妙心寺派となる領主本多氏寺田を寄せ祖先の回向料とせられき。
大正五年発刊「三河国碧海郡誌」より
龍興寺の開基となっている「鈴木七郎重延」であり、その父親は次郎重行となっていますが、どうやら「鈴木重善」と混同してしまっているのではないかと言われています。この「鈴木重善」は源義経の臣下ではあったが、病持ちだった為、源義経の行軍に従軍する事が出来ずにいたが、奥州の地で義経一行が戦死してしまった為、三河のこの地に住み着いたと言われており、「寺部城の鈴木氏」、「足助城の鈴木氏」などの三河鈴木氏の祖となった人物になります。
※寺部城の鈴木氏は、大樹寺建立の切っ掛けともなった明応二年(1493年)十月二日に起きた第二次井田野合戦に参戦しています。
三河新四国霊場二十一,二十二番札所
「鈴木重善」の次男が「鈴木重延」が建立したのが「鈴木山龍興寺」なんですが、三男「鈴木重基」が建立した寺院も龍興寺の近くにあり「鈴木山光恩寺」と言います。こちら光恩寺も元は天台宗でしたが、後に浄土真宗に改宗しています。
また、鈴木重善は「挙母神社」を建立するなど、挙母を中心に支配をしていきます。後に、高橋荘を支配して勢力を伸ばした中条家に従属する事になり、前述した井田野合戦に参戦していく事になりますが、中条家が敗れ、その後、今川家と織田家の三河を巡る争いに奔走されますが最終的に徳川家の旗本として明治維新を迎えるまで存続していきます。
三河新四国霊場を行く
三河新四国霊場の岡崎エリアを廻り、やっと三河新四国霊場結願を目指して知立エリアを巡拝していきます。知立エリアについては逆打ちの様な形で巡っていき、最後に一番札所で結願となります。最初は三河新四国霊場五,六番札所である「鈴木山龍興寺」を巡っていきます。
参拝記
三河新四国霊場の札所案内板が設けられていないので、地図をよく見ていないとすぐに道に迷ってしまい様な住宅地の中に龍興寺は建っています。(バイクで廻っている自分もこの辺りをうろうろしてしまいました。)
駐車場は非常に広く用意されているのがわかっていただけるかとおもいます。
石柱門
ストリートビューとほぼ同じアングルになってしましましたが、境内と駐車場に通じる石柱門になります。
山門手前のアスファルト敷きの部分が駐車場になります。
その先に、石段を上った先に鐘楼門が見えています。
鐘楼門
石段の左右に塀が設けられた参道の先に、鐘楼門が建っています。
一時期こういった形状の鐘楼門は宗派によって設けたりするのかな?と思っていたのですが、今まで見てきた例からいうと宗派に関係ないようです。全国的にこの様式の鐘楼門が分布しているのか、調べていきたいですね。
ここ龍興寺の鐘楼門の特徴として、袖壁が設けられていてその袖壁自体が西国観音の写し本尊が安置されている観音堂になっている所です。非常に綺麗に収まっていると思います。
手水舎
入母屋造の屋根の木造四本柱タイプの手水舎になります。
各柱に鉄製の支柱が設けられ、三面に鉄棒による筋交いも施されています。やはり、入母屋造の屋根が非常に重いのではないのでしょうか。
そして、肝心の水盤については・・・・線香立てが流用されているようか感じです。水道の感じから実際には水盤についてはほどんど使用していないとおもってもいいのかもしれません。
本堂
寄棟造瓦葺の鉄筋コンクリート造りの本堂になります。
大貫の中央部分には避雷針が設けられていますね。
何件か見てきたコンクリート造りの本堂の中では、コンクリート造りを隠していないのに一番しっくりくる様式になっているのかなと思います。
中央の本尊の向かって左側に五番札所の弘法大師が奉安されています。
大師像に結ばれている紐を「善の綱」と呼ぶんですね。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
涅槃堂
境内の一角に涅槃堂があります。
中を見る事が出来なかったので何とも言えませんが、名前から察するに「涅槃像」が安置されているかもしれませんね。
黄蘗殿
境内というより駐車場の脇にある三河新四国霊場六番札所「黄蘗殿」になります。幟が掲げられていたので気付きましたが、この幟が無かったらこの建物が札所になるとは思いもしなかったですね。それくらい目立たない感じです。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」
御朱印
参拝を終えて
涅槃堂の前の雨水受の壺?が非常に特徴的なカエル?のデザインになっています。こういった彩色された雨水受もいい味を出していますね。
雑誌・マンガに加えて旅行雑誌の定番"るるぶ"も月額500円(税抜)で読み放題!
やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。
やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。
所在地を地図で確認
寺院名 | 鈴木山 龍興寺 |
所在地 | 豊田市中町中郷98 |
最寄駅 | 名古屋鉄道 三河線「竹村駅」徒歩8分 |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
https://amzn.to/2UHeO79
少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。
次の目的地は?
三河新四国霊場四番札所「八橋山 無量寿寺」を目指します。こちら無量寿寺はかきつばたで有名な寺院ですね。