名古屋市中区 大名古屋八十八

久野山清安寺(名古屋市中区大須)大名古屋八十八霊場六番札所

2020年2月3日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名久野山清安寺
所在地愛知県名古屋市中区大須二丁目九番地十六号
御本尊阿弥陀如来像
宗 派浄土宗鎮西派
創 建不明(再興:正保三年(1646年))
札 所大名古屋八十八霊場 六番札所
御朱印
H P

参拝日:2019年12月11日

大名古屋八十八ヶ所札所一覧

現在、執筆中

由緒・沿革

 「北野神社」から北に進むとT字交差点に行き当たります。以前は突き当りの場所に今回参拝する「清安寺」の門が残っていたそうなのですが、現在では取り壊されてしまっています。T字交差点から左を見ると、「清安寺提携駐車場」という看板があります。その看板の裏側には、「水天宮久野山清安寺」と書かれています。
 ここ清安寺も、昭和二十年の空襲によって大きく運命が変わってしまった寺院の一つになります。清安寺というより、「大須の水天宮」と呼ばれていた様で、安産の神という事で、数多くの参拝者が訪れる寺院だった云う事です。

水天宮とは?

 福岡県久留米市の「水天宮」を総本山とする神社になります。
 祭神は、天之御中主神安徳天皇高倉平中宮二位の尼になります。
 寿永四年(1185年)に源平合戦の最後の戦いとなる「壇ノ浦の戦い」において、平家勢と共に都落ちしていた第八十一代「安徳天皇」、生母である「高倉平中宮」、祖母「二位の尼(平清盛正室)」は、敗北が明らかになると、三種の神器と共に入水します。(この時、源氏側によって「高倉平中宮」は三種の神器の「」と「勾玉」と共に引き上げられています。)

 この高倉平中宮に仕えていた「按察使局伊勢」は、戦いの後千歳川(現筑後川)のほとりにある鷺野ヶ原に移り、そこで剃髪し、平家一門の菩提を弔うために社を建てたと言われています。この社が水天宮の始まりなんだとか。

http://suitengu.net/

 大須の水天宮は、天保九年(1838年)に久留米の水天宮より、本殿を新築して分霊を勧請を受けたものなんだとか。
 今の感覚で考えると、寺院が神社である水天宮を勧請するという事は、あまり考えられない事だなと思うのですが、天保九年は江戸時代であり、神仏習合の頃であり、神社と寺院の垣根が今とは異なりかなり低かった時代だったはずです。安産の神を祀ろうと考えた清安寺の住職は、水天宮の祭神の分祀を勧請したという事なだけで、特別な事ではなかったのでしょうね。

 ところで、水天宮に祀られている「高倉平中宮」とは、平清盛の娘「平徳子」の事であり、安徳天皇の父親である「高倉天皇」の皇后になります。で、高倉天皇と云えば、西尾市平口町に「高倉神社/紹介記事」という高倉天皇を祭神として祀っている神社があります。この平口町は一説では壇ノ浦の戦いで敗れた平家の落ち武者が住み着いた場所とも言われているそうです。

 大正四年発刊「名古屋市史」には、

 清安寺は久野山と号す。中区日出町二丁目の南側にあり。境内は七百五十二坪一合五勺(徳川時代には三千九坪あり。)准能分(徳川時代には上人地)二十三等にして、京都知恩院の末寺なり。
 はじめ愛知郡南野村に古刹阿弥陀堂あり。しかし荒廃に及びしを、正保三年(1646年)、御城代「久野七郎左衛門宗信」、亡父久松院穏譽清安の為に、今の地に再興して、今の名に改め、浮蓮社完譽月秀を以て開山となす。藩祖義直「久野山」の額を給わる。次いで三世積蓮社累譽徳玄、之を中興す。本尊は木造阿弥陀如来坐像。脇士同観音、勢玉二善菩薩立像なり。現今の堂宇に、本堂、庫裏、門、鐘、釈迦堂、水天堂等あり。

とあります。

 久野宗信がどういった武将だったのかは調べましたが資料に出てこないので全く分からないのですが、藩主である徳川義直から扁額を授与されるわけですから、ある程度の立場に位置する家臣だったのかなと思われます。

江戸時代の清安寺の風景

「尾張名所図会」より

名古屋二十一大師を行く-寄り道遍-

 名古屋二十一大師一番札所「北野山真福寺寶生院(大須観音)」と大須観音の北側に鎮座している「北野神社」を巡ってきました。北野神社から更に北に進むと、大名古屋八十八ヶ所という弘法大師霊場の六番札所「久野山清安寺」があるそうですので、そちらに向かう事にしました。

参拝記

 清安寺の境内を目指すと、そこには三階建ての鉄筋コンクリート造りの建物が建っていました。道路を挟んで反対側には清安寺が経営している月極駐車場があるので、やはりこの建物が清安寺のようです。

玄関脇に、「久野山清安寺」、「水天宮」と書かれた板が掲げられていました。やはりここが清安寺で間違いないようです。しかし、檀家でもない一般参拝者にはとても敷居が高い建物ですね・・・。

 清安寺で唯一寺院の香りがする、地蔵菩薩の坐像と立像になります。この地蔵菩薩が奉安さえていなければ、外観から寺院と分かるのはほぼ不可能だなとおもいます。

参拝を終えて

 大名古屋八十八ヶ所という弘法大師霊場の札所という事で、大須界隈の寺院を巡りながら立ち寄らせて頂いきました。戦前までの「大須の水天宮」として参拝者が多数訪れていたという雰囲気はすっかり色あせてしまっている様でした。

所在地を地図で確認

寺院名久野山清安寺
所在地愛知県名古屋市中区大須二丁目九番地十六号
最寄駅名古屋市営地下鉄 鶴舞線「大須観音駅」3番出口 徒歩3分

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