
寺院情報
寺院名 | 諏訪山誓願寺 |
所在地 | 愛知県岡崎市梅園町虎石十番地 |
御本尊 | 阿弥陀如来坐像 |
宗 派 | 浄土宗西山深草派 |
創 建 | 永禄九年(1566年) |
札 所 | 岡崎三十六地蔵 七番札所 岡崎西国観音 四番札所 |
御朱印 | ー |
H P | ー |
参拝日:2020年11月25日
沿革・由緒
誓願寺の開創は、永禄九年(1566年)、徳川家康の官位勅許において、尽力を尽くしたとする「泰翁慶岳」の為に一宇を建立した事が誓願寺の開山であるとしています。
寺記には、「岡崎城の艮の方に諏訪の神祠あり。大神君御参詣の時、社地に隣りて寺地を御見立、開山泰翁に命じ、御城鎮護の為め、且つ天下泰平の御祈祷所として一寺を建立し賜る。依て諏訪山と号し誓願寺と名付け給う。」とあります。
その後、三河国には浄土宗西山深草派の十二ヶ寺から構成される「三河十二本寺」とも呼ばれる本山誓願寺に次ぐ中本山の格式の寺の総称ができるくらい三河地方は浄土宗西山深草派にとっても重要な場所となっていきます。(三河十二本寺は岡崎市、西尾市、蒲郡市にあり、いわば徳川家康の本拠地ともいえる場所になります。)
霊場を行く
岡崎三十六地蔵六番札所「佛現山善徳院隨念寺/紹介記事」の参拝を終え、石屋町通りにでて更に西に向かっていくと、参道の両脇の塀が壊れかけている独特な雰囲気を醸し出している「諏訪山誓願寺」の参道入口が見えてきます。隨念寺とそんなに距離が離れているわけではないのですが、こちら誓願寺は昭和二十年の岡崎空襲により本堂を始めとする伽藍が焼失、参道や境内を囲んでいた塀も破壊されてしまったそうです。

この記事を書いている時点でスタンプラリーに使うスタンプ台などが設置されているのかは不明ですが、現在でも「おかまいり」の公式サイトが稼働している(H3.4.29現在)ので、まだスタンプラリーは実施されているのかも?。巡ってみたいと思った方は、まだスタンプラリーがやっているかどうかを岡崎市観光協会に問い合わせる事をお勧めします。
参拝記
石屋通りを歩いていくと、常夜燈が据えられている何やら重々しい雰囲気の場所が出てきます。ここが今回参拝する「諏訪山誓願寺」の境内入口になります。

よく見ると、諏訪山 誓願寺 と彫られた石柱門が据えられていて、ここが誓願寺の境内入口であることをしめしていますが、少しわかりにくいですね。上記写真を撮影したのが令和3年8月31日なんですが、丁度おかまいりスタンプラリーを最初に廻った時に撮影した令和2年11月25日の写真を見ると

アングルや天候が違うのでわかりにくいと思いますが、大きな違いが一ヶ所あります。それは・・・・


誓願寺の一つのシンボルともいえる参道脇などにあった塀が綺麗に取り除かれてフェンスが敷設されていました。最初、ちょっと前に来た時となんか雰囲気が違うなーって感じながらバイクを停めていたんですが、ふと「あ!塀がない!」と気付いた時の衝撃はすごいものでした。
実際、今から塀を修理する事はほぼ不可能でしょうし、かといって作り直すかといえばこれまた費用が膨大にかかりますし、かといって崩れかけている訳ですから放置もできない。味気ないですが塀を取り除いてフェンスを敷設するのが現実的な判断ですね。
参道を進んでいくと、元々四脚門の山門があった事を示す基礎石が残されていました。基礎部分を見るだけでも中々立派な山門があったんだろうなと想像させてくれますね。
先ほども述べていますが、誓願寺の伽藍は岡崎空襲により焼失してしまっています。誓願寺の本堂は今現在では再建されておらず、本堂が建っていたであろう場所の前には一対の石灯篭が据えてあって、この辺に本堂があったんだという事を示している様でした。

境内の一角には、妻入りの地蔵堂が立っていて、こちらに奉安されている地蔵菩薩坐像が岡崎三十六地蔵霊場七番札所の札所本尊になるようです。ただ、この地蔵堂もかなり痛みが進行していて、床面や壁をみていると衝撃が少しでも加わると倒壊してしまいそうな感じでした。

おかまいり岡崎三十六地蔵スタンプラリーの誓願寺のスタンプは地蔵堂のすぐ脇に設置されていました。

由緒にも出てきていますし、山号「諏訪山」の由来にもなっている「諏訪社」がまさに地蔵堂の目の前に鎮座していました。まさに誓願寺の境内の中に鎮座している様にも見える諏訪社ですが、先に諏訪社があって、そのすぐ隣に誓願寺が建立されているはずですが、江戸時代は諏訪社の別当を誓願寺が行っていたんでしょうね。(諏訪社については次回紹介致します。)
雑誌・マンガに加えて旅行雑誌の定番"るるぶ"も月額500円(税抜)で読み放題!
やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。
やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。
所在地を地図で確認
寺院名 | 諏訪山誓願寺 |
所在地 | 愛知県岡崎市梅園町虎石十番地 |
最寄駅 | 名鉄バス「籠田公園バス停」徒歩4分 |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。
徳川家康が永禄九年(1566年)に三河守に叙任されています。時をほぼ同じくして姓を松平から徳川に改姓も行っています。言わばこの時、新田氏所縁の源氏「徳川家」が作られた訳です。この時、と家康は念願の叙任に向けて、かなりな朝廷工作を行っていたとされ、その一役を担ったのが「泰翁」だったのではないでしょうか。家康の朝廷工作については、家系図を大幅に書き換えるだけではなく、かなりな金品の寄進も行われていたはずで、叙任された時の家康の喜びを示している感じがします。