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神明社(愛知県岡崎市小針)

2020年8月27日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

 大友皇子の御陵であると地元で伝承されている「小針1号古墳」から直線距離で南東に200mも離れていない場所に「神明社」が鎮座しています。この神明社は、室町時代中期「阿部忠正」が築いた小針城の守護神として勧請されたのが創建由来であるとされ、廃城後は小針地区の鎮守社として祀られている神社になるようです。そんな神明社を今回は紹介していきます。

神社紹介

神社名神明社
鎮座地愛知県岡崎市小針二丁目三番地十六号
旧:岡崎市小針町的場一番地
御祭神天照大御神、豊受比売尊(大日孁貴尊を改める)
旧社格神饌幣帛料供進指定村社
創 建不詳
神名帳
境内社稲荷社、御鍬社、洲佐社、八幡社、白山社、聖社社、
八剣社、猿田社、明神社、村上社、大神社、諏訪社、
神田社、秋葉社、
例祭日十月九日
御朱印
H P

参拝日:2020年7月22日

御由緒

室町時代中期に小針の地に城館を築いたのが「阿部忠正」と呼ばれる人物になります。

忠正の後裔には「阿部正勝」という、徳川家康が人質時代から小姓として仕えてきた武将がおり、阿部氏は江戸幕府が開幕すると転封を繰り返して備前福山藩十万石を領する大名となっていきます。ただ、松平、徳川家臣団に阿部姓の武将が何人もいる為、それぞれの系統と混同しがちなので注意する必要があるかな?と思います。

 この阿部忠正が築いた城館は「小針城」と呼ばれている様です。この小針城はいつ頃廃城となったのかは不明ですが、どうやら今回紹介する神明社の北側に小針の集落を囲むように作られた堀の跡が残っていたと言われています。この辺りから規模は小さいけど総構えの構造だったんですかね。

 神明社はこの小針城の守護神として勧請された神社になります。そして、こうして城館が築かれて発展してきた集落によく見られるのですが、城館が廃城された後は、守護神として祀られてきた神社は集落の守護神として住民に大切に祀られているようです。

社伝に、この地の城主だった、阿部氏が鎮守の神として尊崇した社で神社の横の所に備後福山藩祖阿部忠正と思われる墓があり、以前宮内庁より調査に来たことがある。又伊勢両宮を祀るので内外神明社とも称した。明治五年十月、村社に列格し同四十年十月二十六日神饌幣帛料供進指定社となる。大正七年十月五日、社殿を改築、同九年五月二日鳥居を建立し、昭和六十年十月八日本殿を改築竣功した。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より

歴史探訪

 「阿部家」は松平家譜代家臣としてはどうやら三系譜が存在ていたようです。

阿部正勝の系譜
 阿部正勝は家康が人質時代から仕え、今川義元にも認められ、江原定次の娘と結婚しています。子孫には、老中を五人輩出し、特に幕末の黒船来航の時に老中になっていた「阿部正弘」が特に有名です。
阿部重吉の系譜
 徳川家康が今川家の人質時代の従者の一人に「阿部重吉」の名を見る事ができます。一族代々徳川将軍家の鷹匠として存続していたようです。
阿部定吉の系譜
 その父で広忠の宿老となった「阿部定吉」とその嫡子で森山崩れの主犯となる「阿部正豊」が存在し阿部定吉で断絶した系譜。  

 阿部重吉の系譜については、当サイトでも取り上げている「塚本山明法寺/紹介記事」の中で、明法寺の境内に一画に阿部重吉の祖父正信、父重尚の墓碑の紹介と共に重吉について紹介しています。

 神明社の境内の一角に「阿部正勝」の系譜の祖と言われる「阿部忠正」の墓であると伝承されていた宝篋印塔が据えられていたといいます。現在は神明社周辺も宅地化に伴る区画整理が行われた様で、忠正の墓であるとされている宝篋印塔は岡崎市舳越町にあって、阿部氏が帰依していた「昭高山願照寺」に移設されています。

参拝記

 5階建ての小針住宅とその奥にみえるビルみたいな建物が小針ハイツになり、両方とも三菱自動車の社宅になります。神明社の境内入口から西に100m程で三菱自動車の社宅群に行く事ができる。そんな場所になります。

境内入口

 小針町の神明社は境内周囲を瑞垣などで囲んでおらず、境内入口から社殿迄を鎮守の森で囲んでいるのが特徴と言えるかと思います。その為、周囲に瑞垣が無くてもあまり開放的な雰囲気は感じない境内となっています。

社号標

旧社格「邨社(村社)が彫られている社号標になります。「村」と別字体の「邨」に何か使い分けの理由があるのでしょうか・・・(邨社と彫られている寺号標を見るたびに疑問に思っています。)

鳥居

 神明鳥居の石鳥居になります。建立年月は由緒にも出ていますが大正九年になります。

 鳥居脇に設けられている、何やら石を瑞垣で囲んでいるこの施設は何なんでしょうか?。最初祓戸かな?とも思ったのですが、鳥居脇はともかく、こんなに狭い場所に祓戸は設ける事はあり得ないなと思い・・そうなると中央に据えられている石に何か意味があるのか?とも思うのですが現地に説明するものも無く、まさに正体不明になっています。

遥拝所

 基壇の上に石材で組まれた瑞垣を有する遥拝所になります。この遥拝所は向き的には明治神宮や皇居方面をむいているのかな?とも思うのですが、遥拝所は遥拝所を通して自分の思う神社を参拝するという施設になるので向きはあまり関係ないといえば関係ないのですが、遥拝所の多くは遥拝する神社の方向に向いている所が多いですね。

手水舎・水盤

 木造銅葺二本柱タイプの手水舎になります。やはり二本柱タイプの手水舎には銅葺や青銅葺などの軽量な屋根様式が似合う気がします。

狛犬

 大正七年生まれの狛犬一対になります。全体的なバランスが個人的には好きなスタイルの狛犬にです。

社殿

入母屋造瓦葺平入に唐破風の向拝が設けられた拝殿を有する社殿になります。

 拝殿の建築様式時代は当サイトで紹介してきている四間×三間の中型拝殿の建築様式と差はないのですが、かなり大きめな唐破風の向拝が設けられることによって、かなり見た目を異とする拝殿になっているのかなと思います。

境内社

 社殿の左側に、本殿裏手側に鎮座している境内社に通じる鳥居が設けられていました。正直この鳥居が無ければ裏手に境内社がある事を見落としていたかも?

 十三社の境内社が鎮座している鞘堂とその向かって右側に秋葉社が鎮座する鞘堂が鎮座しています。鞘堂の間に石造りの祠が一基鎮座していたのですが、こちらの祠については詳細不明になっています。

 十三社の祠が一堂に鎮座する鞘堂もあまり見かけない訳ですが、由緒には出てきませんが、小針地区には数多くの小規模な神社があちこちにあったという事なのかなと思います。これら神社を境内社として合祀していたった結果がこの十三社の鞘堂になったんだと思います。

地図で鎮座地を確認

神社名神明社
鎮座地愛知県岡崎市小針二丁目三番地十六号
旧:岡崎市小針町的場一番地
最寄駅名鉄バス「40東岡崎ーフタバ産業前」橋目町御屋敷バス停徒歩7分

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

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南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

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