
寺院情報
寺院名 | 岡部山速念寺 |
所在地 | 愛知県名古屋市中川区前田西町一丁目九〇四番地 |
御本尊 | 阿弥陀如来像 |
宗 派 | 浄土真宗大谷派 |
創 建 | 不詳 |
札 所 | - |
御朱印 | - |
H P | - |
参拝日:2019年12月25日
由緒・沿革
前田利家生誕地として知られているのは、同じ名古屋市中川区にある「荒子城/紹介記事」ですが、今回紹介する「岡部山速念寺」の境内地を城域としていたと言われる「前田城」も前田利家生誕地と言われている場所の一つになります。
前田氏は、その先祖を「菅原道真」とし、「菅原」性を名乗り、家紋を「梅鉢」を使用しています。菅原道真四男の血筋でその六代目「仲章」が尾張守として、庄内川ちかくの「一柳庄」に移り住んだ一族の末裔としています。
前田宗家「前田種利」は織田信秀の家老「林秀貞」の与力として織田家に仕えており、荒子二千貫(四千石)を知行を受け、 天文十三年(1544年)に「荒子城」を築城し、本城を「前田城」から「荒子城」に移したと言われています。 ちなみに、前田利家は前田家の分家筋の生れになります。
前田利家が生まれた年には諸説ありますが、 天文七年(1539年)に生まれています。(天文五年生、天文六年生の説もあります。)そうなると、利家が生まれた時に「荒子城」はまだ築城されていなかったのでは?という疑問が出てきます。
「速念寺」の寺伝では、利家は七歳の時まで前田城に居り、その後荒子城に移り住んだと伝えています。時系列から見ても、問題のない伝承だと思うのですが。
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前田種利、息子長定は、前述した通り、林秀貞の与力であり、織田信長と弟信行が対立した時は、林秀貞が信行に付いたため、信行派として行動しています。しかし、前田利家は、織田信長の小姓として仕えており、武勲をあげて「槍の又左」という異名で呼ばれていたほどでした。
そして、信長が弟信行との家督争いを制すると、それまで前田種利、長定が領していた荒子城一帯の領地を召し上げて、利家の父親である「前田利春」に与えています。前田城一帯はそれまでと同様に前田種利、長定が治めていた様です。
その後は前田長定は、佐久間信盛に仕え、本能寺の変意向は、織田信雄に仕えていく事になります。羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄が対決した「小牧長久手の戦い」に於いて、前田長定は当然信勝側に付いていますが、秀吉側の武将「滝川一益」による調略により、信雄を裏切り秀吉側着くことになります。この行動は、この時清州城に居た徳川家康の逆鱗に触れ、徳川軍の総攻撃を受ける事になります。「蟹江城の戦い」といいます。この戦いで、前田長定、弟長俊は討ち死、長定の息子「長種」は前田利家を頼り加賀に逃げ延びます。(長種は利家とまつの娘を娶っているので、妻の実家を頼ったという形にもなります。)そして、前田城は廃城となっています。
前田利家の叔父「前田五兵衛利則」は浄土真宗本願寺派顕如和尚に帰依、出家し「意休法師」 となり、前田村にあった天台宗の明力坊を中興開山し、浄土真宗に改宗してしています。その後万治年間に現在の寺号「速念寺」に改称しています。本尊である「阿弥陀如来像」は前田利家が寄進したと伝えられています。速念寺が何時頃前田城址に移転したのかはよくわかりません。
速念寺の由緒について、海部郡富田村誌を見ていく事にしましょう
大字前田にあり。真宗大谷派に属す。往古は天台宗にして高須賀村願成寺の所属なり。信長の為兵火に罹る。天文十二年の年、当寺中興開基僧意休本願寺第十一世顕如法王に帰依し終の轉宗す。此人俗性は菅原家の末裔にて前田長兵衛利春の弟「前田五兵衛利則」と云う。出家して法号意休と称す。家兄利春の子「犬千代」は利家なり。此由縁により現今の本尊阿弥陀如来は利家公の寄進せられたる所にして、像の下に前田又左衛門之尉利家云々の文字あり。元は明力坊といいしを万治年間明力坊を改めて速念寺と称す。又。当時を岡部山と称するは織田家の家臣岡部八兵衛忠昌といえる人深く当寺に帰依し。家紋器具等を寄付せしを依って岡部山と称あり。聖徳太子作の阿弥陀如来を本尊とす。
愛知県海部郡富田村誌より
速念寺には、最後の前田城主となった「前田興十郎長定」の墓石があります。蟹江城の戦いにより、当地からは前田一族は去ってしまい、前田城は歴史の舞台から消えていく事になります。
名古屋二十一大師霊場を行く-寄り道遍-
十番札所「雲龍山宝蔵院/紹介記事」を納経し、スマホでGooglemapを見ていてたところ、「前田利家生誕地」というアイコンを見つけ、荒古城じゃなくてどうしてここが利家の生誕地なんだ?と疑問をもったので、これは見に行くしかないと思い、向かう事にしました。
参拝記
宝蔵院からは少し遠回りしながら歩いて向かったので、大体10分ほどで、「速念寺」の山門前にたどり着きました。東入りの境内で、山門の正面には庄内川の堤防を望むことができます。
当サイトでは初の浄土真宗の寺院の紹介になります。浄土真宗の寺院は霊場の札所などになっている事が殆どないので、こうして霊場巡りの札所の寺院を中心に紹介している当サイトではなかなか紹介する縁がない宗派でもありますね。
山門

袖壁が設けられている一間一戸の鐘楼門になります。
山門の前には、赤色?ピンク色?の中川区が用意している「前田利家公生誕の地」と書かれた幟が掲げられています。実は、荒古城跡にもこの幟が掲げられていて、前田城生誕説と荒子城生誕説どちらでも対応できるように両方に幟を掲げている様です。

山門の前には、前田城址の石碑が据えられています。
寺号標

前田家の家紋「梅鉢」が彫られた寺号標になります。側面には前田利家の文字。やはり、前田利家はこの辺りの英雄なんでしょうね。
手水舎

どう形容していいのか解らないのですが、たぶん手水舎なんだと思われます。立水栓はお墓参りの方達が水を汲むために使われるんだと思うのですが・・・。手水はどうやって行うんだろう。
本堂

非常に独創的なデザインの本堂になります。この形状は「兜」をモチーフにしている事は大体わかっていらっしゃると思いますが、ここにも前田利家が関わっているようです。
画像を勝手に使用する訳にもいかず、「前田利家 兜」で検索して頂きたいと思います。この速念寺がモチーフとした金色の兜の画像が出てきます。
前田興十郎の墓

蟹江城の戦いで討ち死にしたとされる前田興十郎の墓になります。その他前田家一族の墓もこちら速念寺に移されて同時に祀られている様です。
地図で所在地を確認
寺院名 | 前田山速念寺 |
所在地 | 愛知県名古屋市中川区前田西町一丁目九〇四番 |
最寄駅 | 近鉄 名古屋線「伏屋駅」徒歩7分 |