蒲郡市

久古山 正行院(蒲郡市神之郷町中山本) 上ノ郷城主"鵜殿氏"霊碑

2018年9月27日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

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寺院情報

寺院名:久古山 正行院
鎮座地:蒲郡市神之郷町中山本七十六番地一
本 尊:久遠本仏釈尊
宗 派:法華宗(陣門流)
創 建:延宝六年(1678年)
H P:-
御朱印:-

沿革・由緒

往古は久古山妙了寺と称し鵜殿家の菩提寺なりし、永禄五年鵜殿落城の際荒廃し釈迦堂の名のみ存せりしを延宝六年二月に再興し、元禄九年現在の正行院に改称した。

「三河国宝飯郡誌」より

参拝記

今回紹介する正行院は、上ノ郷城の北西に位置する場所に鎮座しています。元々は上ノ郷城主だった鵜殿氏の菩提寺として創建されたそうなのですが、松平軍によって攻め落とされた際に、前城主所縁の寺院という事で、兵火によって消失したか、もしくは破却されたかで荒廃していたんでしょう。
その後、長存寺乗園坊の住職慈眼院日儀によって延宝六年に再興しています。

長存寺とは
最後まで松平氏と敵対した上ノ郷城主の鵜殿氏の一族ですが、早くから松平側に与した下ノ郷城主の鵜殿氏の菩提寺になります。現在でも下ノ郷の鵜殿氏の墓が安置されています。
また、西都の四大寺に指定されています。(他の寺院は、安楽寺・長泉寺・天桂院)

現在、正行院には、上ノ城主鵜殿氏の霊碑が安置されています。


風水で北西は「天空」の気を持つ方位とされるそうで、さらに「主人の方位」なんても呼ばれることがあるんだとか・・。家族や組織を代表するものを表す、高貴な方角という事ができるそうで、この方向に菩提寺を据えたのも偶然ではないのかな?。

西行院の境内入口に設置された山門。薬医門に袖壁が設けられています。
袖壁は新しめですが、薬医門、奥に見える鐘突堂や山門越しに見える本堂を見ると歴史を感じさせる感じですね。

山門に掲げられた寺号の扁額。寺院名がわからなかったら西行院と読める自信は・・・ありません。

鐘突堂になります。装飾が少なく、シンプルな様式ですね。

入母屋造に入母屋屋根の向拝がもけられた本堂になります。
向拝部分の羽根が傾斜してしまっています。
写真の雰囲気からもわかる様に、無住の寺院になっているらしく、寂しい境内になっています。

上ノ郷城鵜殿氏一族の霊碑

本堂脇の墓地の一画に安置されている鵜殿一族の霊碑になります。
右側は最後の上ノ郷城主である鵜殿長照の供養塔なんだそうです。

現在の蒲郡の地は、鵜殿一族が治めていた上ノ郷城、下ノ郷城などの他に、西には竹谷松平氏、東には五井松平氏が治めていた地域があり、今川義元亡き後、敵味方が入り乱れたカオスな地域になってしまったのが想像できます。そんな混沌とした世相を伝える昔話もこの地には伝わっています。
そんな西都と呼ばれた蒲郡を巡っていこうと思います。

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