知多四国八十八ヶ所 知多郡南知多町

天永山 遍照寺(南知多町師崎) 知多新四国霊場 三十六番札所

2018年12月17日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名天永山 遍照寺
所在地愛知県知多郡南知多町大字師崎字栄村十五番地
御本尊弁財天
宗 派真言宗
創 建不明
札 所知多四国霊場 三十六番札所
島崎廿一大師 十二番札所
南知多観音霊場 十四番札所
南知多七福神 弁財天
御朱印
H P

参拝日:2018年5月30日

知多新四国霊場公式ホームページのご紹介

知多四国霊場札所一覧

由緒・沿革

 知多半島の先端にある町「南知多町師崎」の中央部分にある寺院になります。細かい由緒などは不明ですが、大井にある「宝珠山医王寺/紹介記事」の一坊として創建されます。

 「宝珠山医王寺」は神亀二年(735年)に行基菩薩によって開創された古刹になります。その後、考仁五年(814年)に全国行脚を行っていた空海が三河湾の衣浦から船を使い知多半島の大井の地に上陸します。大井に上陸した空海は、医王寺にて御留錫、護摩修法をされたとされています。

 一山十二坊を誇る巨刹になったと伝わる「医王寺」ですが、建暦二年(1212年)に火災により伽藍すべてを焼失してしまいます。「医王寺」も現在の地に移設され再建されています。寺勢も衰え、最終的には一山四坊を残すのみとなります。師崎の「遍照寺」、篠島の「医徳院/紹介記事」、日間賀島の「大光院/紹介記事」はそれぞれ現在の場所に移設され独立しています。

 遍照寺も医王寺と共に遍暦二年(1212年)の火災より焼失してしまいますが、信者・檀家の庇護を受け現在の地に再興したそうです。

大井の医王寺一山七坊のひとつであり、建暦二年(1212年)医王寺全山が火災で焼失した時、信者の庇護を受けこの地に再興したと伝えられています。
本尊は弁財天。弁財天を本尊として祀っている寺院は全国でも稀な存在と言われています。

「知多四国めぐり」より

知多四国霊場を行く

本来でしたら、三十五番札所の次に訪れるのがルート的にも一般的だと思うのですが、自分が巡礼した2018年5月30日は朝からずっと雨空で、時より強く降る巡礼には適さない空模様で、大井にある三十番札所から三十四番札所がかたまっている医王寺一山を参拝するにはこの雨は辛いなあと思い、どうせならと知多半島の先端にある師崎に鎮座する三十六番札所「天永山 遍照寺」を目指そうと思い、二十九番札所「大悲山 正法寺」を後にして、一気に師崎まで向かいます。

国道247号線を師崎方面に向かっていくと、左カーブの所の電柱に札所の案内看板が見えてきます。
解り辛いかもしれませんが、この電柱の奥に「遍照寺」の参拝者用駐車場がありますので、ここから遍照寺までは徒歩で向かいます。


管理人が行く知多四国霊場巡礼の旅

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参拝記

地図で青地に白抜きでPと出ている場所が「遍照寺」の参拝者用駐車場の場所になります。駐車場からは徒歩2~3分で境内にたどり着く付けれると思います。

駐車場からはこんな路地を進んでいきます。

山門

路地を進んでいくと、突き当たらいに非常に目立つ赤色の山門が見えてきます。
袖壁が設けられた薬医門の山門になります。
山門前には、非常にわかりやすい札所案内板が掲げられています。ほかの寺院も札所をすべてこんな感じで掲示してくれると非常に助かるんですけどね。

手水舎・水盤

手水舎では非常に珍しい、入母屋造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。
何が珍しいと思ったのかというと、入母屋屋根を採用している手水舎が数少ないですが外でも見かけるのですが、これだけ小ぶりな手水舎なのに入母屋屋根を採用しているのは初めて見たんですよね・・。
小ぶりなせいか、屋根の収まりが落ち着きのない感じになってしまている気がします。

弁財天像

昭和五十五年、いつも厨子の中にみえて、参拝できなかった御本尊に、親しくお姿を拝し、御利益を受けて頂こうと等身大の弁財天像が建立されたんだとか。

等身大・・・とな?

元はインドのヒンドゥー教の女神だったのが仏教に取り込まれ「弁財天」となり、さらに日本に伝わると神道とも結びつき、日本では七福神の弁財天として信仰されていますね。明治政府による神仏分離令の時には、弁財天と同一視されていた市杵島姫命と分離されるのですが、元々弁財天を祀っていた所でも、この時に市杵島姫命に祭神を替えてしまう所も出たほどだそうです。明治政府が必死に区別しようとしても、結局現在でも池のほとり等に建っている神社を「弁天さん」と読んでいませんか?。それくらい神社色が強くなってしまった弁財天を本尊にしている寺院は、全国でも少数なんだと思います。

本堂

方形屋根瓦葺向拝の設けられた本堂になります。
中央に本尊である「弁財天」左側(向かって右)に「弘法大師」右側(向かって左)に「観音」が安置されています。

中央には、御本尊弁財天の扁額が掲げられています。

その左側には弘法大師と書かれた扁額が掲げられています。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

正面の小さな厨子の中に安置されているのが本尊の弁財天像なのでしょうか・・。
それとも本尊はその奥の閉じられた厨子の中?

御朱印

参拝を終えて

参拝者駐車場脇には、四十番札所への道標が建っていました。
あれ?と思われた方もいらっしゃると思います。三十七番、三十八番、三十九番、番外札所一ヶ所は海の向うに浮かんでいる篠島、日間賀島にあります。島へのアクセスは師崎港、河和港から出ている定期高速船を利用することになるのですが、時刻表とにらめっこしながら予定を組まないと、すごい時間がかかってしま事もあるそうです。

先述した篠島、日間賀島の札所巡礼はまた後日、島巡りという形で向かおうと思います。

地図で所在地を確認

寺院名 天永山 遍照寺
所在地 愛知県知多郡南知多町大字師崎字栄村十五番地
最寄駅 知多乗合バス「師崎バス停」徒歩4分

次の目的地は

知多四国巡礼4日目もここ三十六番札所「天永山 遍照寺」で終了とします。タイムリミットまでは少し余裕があるのですが、どんどん強くなる雨の為、これ以上参拝すると風邪をひきそうなので、引き返すことにしました。

途中、札所を飛ばして巡礼してしまったとはいえ、一応は知多半島の先端までやってきました。なんとなく師崎が折り返し地点の様な感じですので、行程的には後半戦かな?って感じです。実際は札所の半分も巡礼できていないわけですが・・・。この辺りは気分の問題かなと。

知多四国巡礼5日目は、2018年の夏に襲った異常な暑さの為、夏場は巡礼止めようかなと思っていたのですが、ちょっと別件で常滑方面に行く用事があった為、無理しない程度に札所を巡ることにして、六十六番札所「八景山中之坊寺/紹介記事」を目指します。

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