知多四国八十八ヶ所 知多郡美浜町

乳寶山 報恩寺(知多郡美浜町奥田) 知多四国霊場 五十七番札所

2019年4月16日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

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寺院情報

寺院名 乳寶山 報恩寺
所在地 愛知県知多郡美浜町奥田会下前三十九番地
御本尊 西方如来
宗 派 曹洞宗
創 建 文治元年(1185年)
札 所 知多四国霊場 五十七番札所
愛知梅花観音 二十二番札所
知多百観音  六十九番札所
御朱印
H P

参拝日:2018年10月24日

知多新四国霊場公式ホームページのご紹介


http://chita88.jp/

沿革・由緒

奥田村字會下前に在り。境内壹千九百四坪。曹洞宗。常滑村天澤院末。
寺伝に云う初め真言宗にして文治元年鎌田正清其乳母乳寶貞哺大禅定尼の爲めに建立する所是の寺号の由て起る所以なり。永正十二年緒川城主水野貞守其の父の爲めに再建し雲関和尚を以て中興開山として今の宗派に改める。

愛知県知多郡誌」より

 乳寶山 報恩寺は御本尊を再訪如来(阿弥陀如来)とし、源義朝公の乳母で、鎌田兵衛政清(義朝の重臣で義朝を謀殺した長田忠致の娘婿)の母が政清の菩提を弔う為に建立した寺。
当時は天台宗で、大己貴(おおむなち)神社の北にあった。その後。室町後期(永正年間)緒川城主水野貞守の嫡男、賢昌公が現在地に移転再建し、曹洞宗に改宗し現在に至る。

境内縁起板」より

知多四国霊場を行く

名古屋鉄道知多新線「知多奥田駅」が最寄りの駅になります。地図を見て頂くとわかりますが、日本福祉大学のキャンパスのすぐ西側にあるのが報恩寺になります。

駐車場はかなり広めに用意されているので、安心して参拝することができるかと思います。


管理人が行く知多四国霊場巡礼の旅

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参拝記

「知多奥田駅」から西に進み、美浜町立奥田小学校近くに上記ストリートビューの交差点が出てきます。国道247号線の「中奥田交差点」からは東に進むと上記交差点に出てきます。この三差路を道なりに進む(左方面に進む)と、知多奥田駅にたどり着き、右側の路地を進んでいくと名鉄知多新線をアンダーパスしすぐに報恩寺が見えてきます。

知多四国霊場五十五番札所の「法山寺」からですと、違うルートのが距離的には近いかな?と思うのですが、コンビニに立ち寄ったりしていたら国道247号線から向かった方が近かったので、こちらのルートで参拝していく事になりました。

石柱門

駐車場に車を停めると、すぐに目に入ってくる石柱門になります。
「曹洞宗 報恩禅寺」「知多四国五十七番」と彫られていますね。禅宗の寺院を参拝していると、ここ報恩時の様に、寺号に「禅」という文字が入ったりしていますね。報恩時が正式名称なのか、報恩禅寺が正式名称なのかは不明なのですが、他の禅宗の寺院でも両方の寺号が使われていたりしますね。

そうそう、ここ報恩時の山号なんですが、明治時代に書かれた「知多郡誌」や境内に掲げられていた縁起を見ていると「乳寶山」なんですが、という山号が用いられて紹介されている事もあるんですよね・・・。由緒を見る限り「乳寶山」のはずなのですが、どこから「孔雀山」が出てきたのか・・・。孔雀山でもいいのかすらわかりません・・・。なにが正解なんでしょうかね?

手水舎・水盤

銅葺木造四本柱タイプの手水舎になります。
柱の転びがついているのと、屋根が銅葺で且簡素な造りになっているので、腰高な感じはしませんね。

水盤に彫られている「退凡水」とはどういった意味なんでしょうかね?

本堂

入母屋造平入の本堂になります。そういえば久しぶりに向拝が設けられていない本堂に出会った気がします。
向拝がない方が本堂前面に柱が設けられないので本堂が大きく見える気がします。

大師堂

本堂左手にある大師堂になります。
宝形造瓦葺唐破風の向拝が設けられた様式になっています。

大師堂の前に掲げられた幟を見て頂くとわかると思いますが、この大師堂の中には、弘法大師像の他に梅花観音霊場の札所本尊である観世音菩薩像が奉安されています。

大師堂の中は土間が設けられていて、中で納経することができます。
これでしたら雨が降っていてもゆっくり納経できますね。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

納経していると、なにやら足元の方から「ガサガサ」という音がしていました。なんだろう?と思ってかがみ込んで奥の方を見ていると・・・

蟹!カニ!かに!

この報恩時が建っている場所から考えるに、「サワガニ」だとは思うのですが、何故にこんな所に?

報恩寺と弘法大師に纏わる伝説で、この報恩寺周辺は井戸が無く、雨水を貯めて飲用水にしていた事から、弘法大師がこの地を訪れた際、法恩寺の裏山にて金剛杖で示した場所から水が湧き出たといいます。今でも水が出ているとか。

もしかしたら、その井戸周辺に住んでいるサワガニだったのかもしれませんね。

御朱印

参拝を終えて

大師堂の脇には、修行大師の石造が安置されていました。
弘法大師と井戸の伝説は何度も聞いたことがあります。地政学に精通していて地下水がどのあたりを流れているか判断できていたんでしょうねえ・・・。しかしどこでそんな知識を身に着けたのか・・・。

次の目的地は

法恩寺を後にして、由緒にも出たきた「大己貴神社」を参拝していきます。

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