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東岳山長久寺(名古屋市東区白壁) 名古屋二十一大師六番札所

2020年3月24日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名東岳山長久寺
所在地名古屋市東区白壁三丁目二四番地四七号
御本尊不動明王
宗 派真言宗智山派
創 建慶長六年(1601年)
札 所名古屋二十一大師 六番札所
大名古屋八十八 二十四番札所
金城二十一大師 十六番札所
尾張四国霊場 十八番札所
東海不動尊 七番札所
御朱印
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参拝日:2019年1月29日

名古屋二十一大師札所一覧

由緒・沿革

 武蔵国忍藩十万石の藩主だった「松平忠吉」が関ヶ原の合戦での武功により、慶長五年(1600年)清州藩五十二万石の藩主として清州城に移封されます。忠吉は忍藩主の頃から崇敬していた各寺院の住職を移封の翌年に清州城下に迎え入れ、寺院を建立しています。
 武蔵国長久寺から「重敒」を招き、清州城の東北に位置する鬼門の守護として武蔵国長久寺と同名の「東岳山長久寺」を建立開山しています。

松平忠吉の清州移封に伴い、住職を招き建立された寺院は下記の通り
一、興国山大光院/紹介記事
一、東岳山長久寺
一、大雄山正覚寺 慶長遷府(清州越し)の際に寺名を「性高院」と改称

 慶長十五年(1610年)名古屋城築城に伴う慶長遷府(清州越し)により、現在の地に移設され、尾張徳川家の祈願所となり、以来三百五十年以上法灯を保っていると言われています。

 またここ長久寺は、野呂瀬家の菩提寺となっています。自分も正直存じていなかったのですが、尾張藩設立当初、初代藩主徳川義直の下で勘定奉行を勤めた「野呂瀬主税」を祖とする尾張藩士になるようです。この野呂瀬主税が屋敷を構えた場所は現在では「カトリック主税町教会」となっているのですが、この周辺を「主税町」と呼んでいます。

長久寺は一乗院といい、東岳山と号す。東区長久寺町の北側にあり。境内は三千五百四十七坪四合八勺あり。常法談林六等にして京都智積院の末寺なり。初め松平忠吉、武蔵忍城にあり、同所の長久寺を以て祈願所としたり。慶長五年忠吉清州に遷るにいたり、六年当時長久寺第四世の住僧重敒を招き、清州城の北東に一寺を建立し、今の名を付し、鬼門の鎮護となす。十三年二世宝辨継ぎ、十五年今の地に移す。八世尭雅、護摩堂本堂を再建す。天明五年正月類火に罹り、総門に左右高塀、門番、弁才天宮、八幡宮、同拝殿、稲荷宮、絵馬堂を除きて他は悉く焼失す。以来再建に従事せられ、寛政六年より七年をもって護摩堂、渡り廊下、浴油所、客殿、玄関渡り廊下、土蔵、物置、護摩堂本堂、中門、両脇高塀、総門内東側高塀等の新築を落成す。明治四年七月、藩応の布告により一時小学校となる。代々野呂瀬家の菩提所にして今に至れり。本尊は木造不動明王立像なり。毎月二十八日護摩講の組織ありて之を修行す。寺領は慶長十一年七月、忠吉より春日井郡寺野町の内にて百石を賜り。

「名古屋市史」より

名古屋二十一大師霊場を行く

 八番札所「降華山常光院/紹介記事」の納経とすぐ隣に鎮座する「山田天満宮/紹介記事」の参拝を終え、国道19号線を道なりに南下し、「徳川二丁目交差点」を右折してしばらく走ると左手に見えてくる名古屋二十一大師六番札所「東岳山長久寺」を目指します。長久寺は「芳野二交差点」の角に建っていますが、気付かずに交差点を走り抜けた場合、長久寺のすぐ隣にはキリスト教系の「金城学園中等部」があり、学校らしき建物が左手に見えてしまったら行き過ぎという事です。(自分は思いっきりバイクで通り過ぎて、あれ?長久寺どこ?と一瞬迷ってしまったのは内緒です。)

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参拝記

芳野二交差点」から長久寺を望むと、こんな感じの石垣でかさ上げされた境内に塀が見えるのですが、交差点からわかる部分には「長久寺」わかるものは設置されていないので注意してください。(まぁ、交差点の標識を見落とさなければ問題ないのですが・・・。)

山門

 「長久寺」の山門は清州越しによって移築された薬医門になります。Web上では清州城の門が移築されたという情報もありますが、名古屋市史等を読んでもそのような事は出てこない為、真偽の程は不明ながら、清州にあった時の山門をこちらに移築したと考えた方が妥当なのかなとは思います。

寺号標

宗派、山号、寺号が彫られた「寺号標」になります。
前面道路の交通量が多く、更に歩道がある為、こんな窮屈なアングルでしか撮影できませんでした。

手水舎

木像瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。水盤の横には水かけ地蔵が安置されています。

庚申堂

 こちらの庚申堂に奉安されている「庚申塔」は寛文八年(1668年)に武家からの寄進されたそうです。「六臂青面金剛」が彫られたものとしては名古屋市内最古のものだそうで名古屋市有形民俗文化財に指定されているそうです。

 青面金剛像の下には三猿(みざる、きかざる、いわざる)が彫られています。庚申信仰では「猿」が庚申の使いとされ、こうした庚申像に三猿を合わせて彫っている所が多くあります。三猿といえば「日光東照宮」が有名ですが、あちらの三猿も庚申信仰に基づいて彫られた物なんですよ。

大師堂

 庫裏と並んで立っているので一瞬本堂かなと思ったのですが、その前に「大師堂」という看板があって、こちらが名古屋二十一大師札所本尊の弘法大師像が奉安されている寛政六年(1794年)に建立された大師堂になります。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

こちらの大師堂には、今どきの装備なのか、屋根に太陽光パネルが設置されていました。瓦葺ではなく銅葺の屋根だったので、太陽光パネルも設置しやすかったのでしょうけど、他の寺院ではまず見かけないですよね・・・本堂に太陽光パネル・・・。

本堂

 寄棟造瓦葺平入の唐破風が設けられた向拝のある本堂になります。大屋根が一枚というか、途中で段差があるこういった屋根の様式は何と呼ぶんですかね。
 中央に本尊である不動明王が奉安され、向かって右側には聖観世音菩薩像が奉安されているそうです。

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所在地を地図で確認

寺院名東岳山長久寺
所在地名古屋市東区白壁三丁目二四番地四七
最寄駅名古屋鉄道 瀬戸線「尼ヶ坂駅」徒歩4分

次の目的地は?

名古屋二一大師を行く

名古屋二十一番大師を行く-3日目-も最後の納経先となる七番札所「長尾山東界寺」を参拝します。

名古屋二一大師を行く-寄道遍-

長久寺から少し北側に行った所に鎮座している式内社「片山神社/参拝記事」を参拝していきます。

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