矢作川鵜の首狭窄部と鵜の首橋(愛知県豊田市秋葉町-能見町)

 愛知家の西三河地方を流れる矢作川には鵜の首狭窄部と呼ばれる川幅が狭まっている部分が豊田市秋葉町と能見町の間に存在し、その狭窄部に「鵜の首橋」という非常に小さな橋が架かっています。橋上では車同士がすれ違う事が出来きない非常に狭い橋になっていて、ほぼ地元の方専用と言っても過言ではないだろうなと思える橋になります。
 この「鵜の首橋」は矢作川の狭窄部「鵜の首」に架かる橋になります。

河川の狭窄部とは?

国土交通省によると、河川の狭窄部とは「川幅がせばまった部分(河川の断面積が小さい)のことで,一般的には洪水の流れの障害となっている部分」の事を指すそうです。

この狭窄部の定義を意識しながら、鵜の首部分の航空写真(Googlemap)を見てみます。

 矢作川の流れが大きく左、右と蛇行して鵜の首橋が架かる場所を辺りから再び右(南側)に流れているのがわかります。こんな感じで河川の川幅が狭くなりながら蛇行している場所は増水時に河川の流れを阻害して滞留を起こし、氾濫の切っ掛けとなってしまう事が全国的に発生しているんだとか。(平成十二年の東海豪雨時、狭窄部「鵜の首」において河川滞留におこり、上流部にて氾濫が発生。また、令和元年の台風19号の河川氾濫においても、原因の一つに狭窄部での滞留が上げられるそうです。)

 国土交通省の矢作川を紹介するページに平成十二年の東海豪雨時に鵜の首狭窄部において滞留し堤防を越水氾濫した時の航空写真がありました。中央上部には建設中の豊田スタジアムが移っていますね。写真には写っていませんが南に600mの所に「鵜の首」があり、此処から矢作川の上流の水位が急激に上昇し氾濫したといいます。

 令和二年、国土交通省中部地方整備局が「矢作川鵜の首地区水位低下対策事業」に取り掛かると発表しました。簡単に言えば、狭窄部となっている矢作川右岸を掘削して川幅を広げ、蛇行をなだらかにするという事の様です。

 この発表を見た時、もしかしたら鵜の首と言われている狭窄部に架かる「鵜の首橋」が廃止されるのでは?という事でした。正直、今までこの「鵜の首橋」を通った事もなければ、鵜の首と呼ばれている事もこの時知った訳ですが、以前、自分が牛乳屋に勤めていて給食センターに調理用牛乳などを配送している時に、矢作川左岸を川に沿って走る県道340号線を使っていたのですが、この時結構な台数の車が細い路地に入っていくので、何だろうと気にしていたら、めっちゃ細い橋が架かっているのがわかりました。これが「鵜の首橋」だった訳です。この時は、「なんでこんなほっそい橋渡っているんだ?」と思っていたんですよね。が、今回よくよく地図を眺めていると、岡崎市から矢作川の左岸側を北上して、鵜の首橋を渡れば、今度は右岸側の堤防道路を使って一気に豊田市街を抜ける事が出来るみたいなんです。まあ、当時この道を知っていてもトラックでは鵜の首橋を通行する事が出来なかったので、全く役に立たない情報だったわけですが。

 そんな、かすかな記憶に残っていた「鵜の首橋」ですが、もしかしたらなくなってしまうかも?なんて情報を見てしまったら近くまで行ってみたいと思うのが人の常?

 という事で、2020年4月22日、世間では「コロナ禍」が蔓延し、不要不急の外出は控える様にと緊急事態宣言まで飛び出している中、食料や昼食を持参し、間違いなく他人とは接する事がない様に企画し、今回「鵜の首橋を見にこう」を決行しました。いつもは私一人で動いているのですが、今回は自粛要請以降、ほぼ家の中に閉じ込められて日に日にイライラが募っている我が息子も同行しております。息子曰く「絶対についてく!」なんだそうです。自粛もいいけど、こうして人と接しない様に外にでて太陽を浴びるのも絶対に必要な事だと思います。

 長興寺グランドの駐車場に車を停めさせて頂き、300m程の距離にある「鵜の首橋」を目指して歩いていきます。矢作川右岸側の鵜の首と言われている場所はこんな感じです。直線で2km以内に天下の「トヨタ自動車」の本社があるとは思えない雰囲気です。
 上り坂を登りきると、

 こんな感じで直線の下り坂が続き、その先に赤い塗られたトラス橋である「鵜の首橋」が見えます。この下り坂で横をむくと、実はこの道は川岸になる部分を切り通して作られた事がわかります。

 矢作川がここで蛇行していたのは、岩盤に沿って流れていたからなんでしょうね。そう考えると、鵜の首の狭窄部は、ここまで長い年月をかけて岩盤を削ってここまで川幅を広げたんだと考えた方がいいのかもしれませんね。

 橋桁が組まれている感じの橋を「トラス橋」と呼ぶらしいくらいの知識しか持ち合わせていないので、どんな橋なのか説明を省きますが、ともかく非常に橋幅が狭いのは見てわかって頂けるかと思います。
 最初は息子とこの橋を渡って大願まで行こうと思っていたのですが、正直車と歩行者がすれ違うのも大変危険な感じだったので、断念することしました。

橋の欄干の端部にには「うのくびばし」「昭和三十七年十二月架設」のプレートがはめ込まれています。そうか、この橋昭和三十七年にできたのか・・・。もっと古いのかなと思っていたのですが・・・ん?それでもほぼ60年経過しているわけですか・・・。

 明治期に掛けられたコンクリート造りの橋が現役だったりしますが、コンクリート造りの橋って寿命は何年ぐらいなんですかねえ。

 鵜の首部分の矢作川右岸は竹林になっています。今の時期(四月)はタケノコが旬ですねえ。もうちょっと山側にいくと、その地域の農家さんが設置している野菜の無人販売所にタケノコが並んだりします。新鮮なタケノコは灰汁抜きして、刺身で頂きたいですね。

 国都交通省と豊田市の発表だと、狭窄部となっている川底を削るのと同時に右岸側(写真を撮っている地点)をかなり削り取る計画になっています。いつから工事が始まるのかは不明ですが、工事が始まると同時に橋は通行止めになるのかもしれませんね。もしかしたら、自分の予想が外れて普通に橋は残ってるという可能性も0ではないですが、どうなんでしょうね・・・。

 橋を間近で見れたので、車が止めていある駐車場に戻ります。橋側から道路を見ると、橋への接続道路が岩盤を切り通して作られたことがよくわかりますな。普段は当たり前すぎて殆ど意識する事はないのですが、実は豊田市、岡崎市、西尾市、幸田町は濃尾平野の東端に位置しているので、山が近いのです。

 今回訪れた「鵜の首」も丁度平野部と山間部が交わる様な場所で、丁度そこを矢作川が貫くように流れている訳です。長い歴史の中で矢作川の流れも変わり、何時しか現在の流れになったとは思うのですが、それ以前はもう少し西側を流れていたのではないかなと思います。

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