寺院情報
寺院名 | 医王山薬師寺 |
所在地 | 愛知県岡崎市六供本町二番地一 |
御本尊 | 薬師如来坐像 |
宗 派 | 天台宗 |
創 建 | 伝:大同三年(808年) |
札 所 | 岡崎三十六地蔵霊場 十番札所 |
御朱印 | ー |
H P | ー |
参拝日:2020年11月25日
沿革・由緒
岡崎三十六地蔵八番札所「長輝山甲山寺/紹介記事」の由緒でも述べているのですが、大同三年(808年)に伝教大師が創建に関わったとする「薬師堂」並びに六坊(東圓院、多宝坊、極楽坊、吉祥坊、花蔵坊、法寿坊)が松平清康によってえ安祥城下から岡崎城の鬼門守護として「長輝山甲山寺」に改称し岡崎城下の甲山麓に移されています。
松平清康の子「松平広忠」はなかなか子が生まれないことを憂い、碧海郡和田村の定光坊の「永玖」に鳳来寺の薬師佛に「子宝授与」の祈願させると天文十一年(1542年)に男子を授かった。この男子が後の徳川家康になります。これは永玖の祈願のおかげだとして、広忠はこの永玖の功に報いる為、天文十三年(1544年)松平家の祈願所とするべく和田村法性寺一山六坊(定光坊、杉本坊、密祥坊、中之坊、密厳坊、大圓坊)を甲山寺の地に移し、新たに護摩堂を建立、以降この護摩堂が甲山寺の惣本堂となっていきます。
松平広忠によって、新たな甲山寺の本堂となる護摩堂が建立されると、観音堂は本堂ではなくなり、甲山寺内別堂としてなってしまいます。
明治維新により、徳川幕府または岡崎藩より受けていた庇護も亡くなり、甲山寺は急速な規模の縮小を余儀なくされてしまいます。別堂となっていた薬師堂も甲山寺とは別寺となり、甲山寺の末寺となっていましたが、太平洋戦争後、寺名を薬師寺と改称しています。
松平広忠が建立した護摩堂を本堂とする長輝山甲山寺
甲山寺の一坊であった極楽坊を前身として、明治の何時頃かは不明ですが安祥城下に戻った安城毘沙門堂
霊場を行く
岡崎三十六地蔵九番札所である「記念寺/紹介記事」から歩行者専用となる路地を使って一気に甲山を降りて十番札所である「医王山薬師寺」を目指していきます。
この記事を書いている時点でスタンプラリーに使うスタンプ台などが設置されているのかは不明ですが、現在でも「おかまいり」の公式サイトが稼働している(H3.4.29現在)ので、まだスタンプラリーは実施されているのかも?。巡ってみたいと思った方は、まだスタンプラリーがやっているかどうかを岡崎市観光協会に問い合わせる事をお勧めします。
参拝記
甲山寺の門前を西に向かうと、薬師寺の境内にたどり着くことが出来ます。岡崎市史に載っている絵地図を見てみると、甲山寺の護摩堂などの堂宇と薬師堂の位置関係は現在でもそんなに違いは無いように見えます。
ちょっと見えにくいですが、護摩堂の左側の街道沿いに建っている堂宇が観音堂になるようです。
薬師寺の門前は石柱門が据えられています。境内はかなりコンパクトな寺院になります。
切妻造瓦葺平入に瓦葺の庇と切妻屋根の向拝が設けられている本堂になります。正直パッとみでは寺院に見えない造りかと思います。
岡崎三十六地蔵十番札所のスタンプ入れは境内の中央部分に設置されていました。境内には地蔵尊が安置されていない所を見ると、十番札所本尊は本堂内に安置されているのかな。
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やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。
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所在地を地図で確認
寺院名 | 医王山薬師寺 |
所在地 | 愛知県岡崎市六供本町二番地一 |
最寄駅 | 名鉄バス「本町バス停」徒歩4分 |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
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今回紹介する薬師寺は元々は甲山寺が管理する薬師堂が前身となります。この薬師堂こそが、松平清康によって安祥城下から甲山に移された「薬師堂」になります。当然、甲山寺と改称してからはこの薬師堂が甲山寺の本堂となっていたはずですが、なぜ、現在は甲山寺とは別寺となっているのか。これには、徳川家康の生誕が大きく関わってきます。