石折神・根折神とは
石折神
「古事記」では、「石折神(いわさくのかみ)」、「日本書紀」では、「磐裂神(いわさくのかみ)」と表記されます。
根折神
「古事記」では、「根折神(ねさくのかみ)」、「日本書紀」では、「根裂神(ねさくのかみ)」と表記されます。
以下、当サイトでは イワサクノカミ、ネサクノカミと表記します。
石折神・根折神の誕生
古事記での石折神・根折神
伊邪那岐と伊邪那美の「神生み」の最後に火之迦具土神を生んだ際、伊邪那美は大やけどを負ってしまい、病床でもがき苦しんだ後に無くなってしまいます。伊邪那岐は怒り狂って”十拳剣(天之尾羽張)”でカグツチの首を切り落として殺してしまいます。十拳剣の剣先から滴り落ちたカグツチの血が湯津石村に走り就いて化成した神が三柱あり、最初に化成した神がイワサクノカミであり、続いで化成したのがネサクノカミになります。三番目に化成した神を石筒之男神(いわつつのおのかみ)です。
日本書記での石折神・根折神
日本書紀の記述には、古事記と同じ記述の段もありますが、第五段一書(七)には、伊奘諾尊が軻遇突智を斬った時に、その血がそそいで、 天八十河にある 五百箇磐石を染めたことによって化成する。その神の名を磐裂神 、次に生まれたのが根裂神といい、その子が磐筒男神 (いわつつおのかみ)であり、磐筒女神 (いわつつめのかみ)であり、その子が経津主神(ふつぬしのかみ)です。
経津主神とは?
経津主神は「日本書紀」にしか出てこない神です。「国譲り」では、タケミカヅチノカミと共に出雲の国に降り立ち大国主命と交渉したとされています。
「古事記」では、経津主神は登場しませんが、タケミカヅチノカミと同一神であるような記述があります。「建御雷之男神またの御名、建布都神、豊布都神」と書かれています。
日本書紀では、イワサクノカミ、ネサクノカミは夫婦と記載せている説が描かれている様に、イワサクノカミは男神、ネサクノカミは女神と考えられます。
石折神・根折神の御神徳
石柝は文字通り石(岩)をも裂く程のすさまじい威力の意で、また、根拆は木の根までもを裂く程のすさまじい威力の意とされて、刀剣の神格化とみるのが一般的であるが、雷神とみる説もあります。
刀剣というより、石も砕き、木の根も砕くという事で、開拓時に使われる鍬や鋤などの農機具の象徴的な意から徐々に刀剣の意味合いが強くなっていたと思います。
建御雷神を祀る神社
栃木県下都賀郡壬生町安塚に鎮座し、磐裂根裂神社になります。恵方巻の発祥の地なんだとか?