金宝山地蔵院(名古屋市熱田区白鳥) 大名古屋八十八ヶ所 五十三番札所

寺院情報

寺院名金宝山地蔵院
所在地名古屋市熱田区白鳥三丁目七番十五号
御本尊地蔵菩薩
宗 派真言宗豊山派
創 建文保元年(1317年)
札 所大名古屋八十八 五十三番札所
城下二十一大師 十九番札所
熱田八大師 六番札所
御朱印
H P

参拝日:2020年2月5日

由緒・沿革

 山号は金宝山、寺号を亀命寺と言います。文保元年(1317年)、熱田神宮の祭主だった「牧権太輔奉忠」の後室(法号「勝佛」)が冥福の為に旗屋村に開基して、全海法印を請じて開山した寺院になります。また、牧権太輔奉忠は鎌倉殿と所縁があり、後室は「力王子」の称号を、そして旗屋村に寺地を給わっています。
 熱田神宮の祭主の為に建立された寺院という事で、かなり大きく、伽藍が整備された寺院だった様ですが、時代が進むにつれ徐々に衰退したと言います。天正四年(1576年)、亀命寺八世政堯法印が現在の地に移転し中興開山としています。
 明治時代の廃仏毀釈の流れの中衰退し、太平洋戦争による空襲により伽藍は焼失してしまい、現在では寺院らしい遺構は残っていないようです。

絹本著色騎馬武者像(伝足利尊氏像)

分類国・重要文化財
種別絵画
所在地名古屋市博物館(寄託)
所有者等地蔵院
指定(登録)年明治42年(1909)
時代室町

一幅 絹本着色 97.0×56.3cm
騎馬武者姿の出陣影形式の肖像である。飾りを付けた白馬に乗り、赤地に金襴の桐紋の直垂に、胸と腋・脛に紺糸の具足をつけ背に箙を負い、弓を左脇に抱えて、右手で手綱を握る姿。兜はなく、烏帽子をしっかり着けている。馬は首をあげ、顔を正面向きにし、右前足と左後ろ足を曲げている。やや右を向いた卵形の輪郭の顔は、端があがった眉と、くっきりと輪郭を描いた上下瞼のなかの大きな黒目が寄せられている目が特徴的で若々しい。像主は足利尊氏の肖像として長く伝来されているが、像の装束は『蔭涼軒日録』長享元年(1489) 9月12日の記録、記録にある足利義尚(1465~89)23歳の六角高頼征伐に近江坂本への出陣時の行粧に一致する。

文化財ナビ愛知より

 地蔵院が創建された時、白山社が勧請され鎮守社として境内に鎮座していたと言います。天正四年(1576年)地蔵院が現在の地に移転した時、白山社は移転しなかったといいます。この白山社は現在の名古屋市熱田区木之免町に鎮座する白山社になるようです。地蔵院は今の地より少し海沿いに元々建っていた事になりますね。

名古屋二十一大師霊場を行くー寄り道遍ー

 名古屋二十一大師十四番札所「雲龍山喜見寺/紹介記事」へ向かう前に、熱田神宮の東側に点在している名古屋二十一大師霊場以外の弘法大師霊場の札所を巡っていこうと思います。熱田神宮に弘法大師が参篭し護摩行を行ったという事もあり、弘法大師霊場の札所となっている寺院が数多くあります。今や廃れてしまった霊場とはなっていますが、ぜひとも名古屋二十一大師の遍路に合わせて巡ってほしい場所ですね。
 今回は、由緒でも紹介した国の重要文化財である「絹本著色騎馬武者像」を所有する「金宝山地蔵院」を訪れてみたいと思います。なにやら、その昔は真言宗の道場としてこの辺りの真言宗の寺院の顔役だったとも言われています。

参拝記

 熱田神宮の西側を南北に走る国道22号線から西側に一本入った市道沿いに「地蔵院」があるはずなのですが・・・・。

 寺院らしい遺構は全く残っていません。石仏とかでも残ってないかなと思ったのですが、それもありませんでした。廃寺となってしまったのでしょうか・・・。

しかし、

柵の所には、小さいながらも「地蔵院」という表札が掲げられていました。
という事は、奥に見える建物に本尊が奉安されているのかな?

 ネットでは、熱田区にあった寺院という風に、過去形で表現されていて、あたかも廃寺となっているといった感じでしたが、表札が残っている事から寺院としての遺構はほぼなくなってしまっていますが、現在でも存続している寺院であることがわかっただけ一安心です。

地図で所在地を確認

寺院名金宝山地蔵院
所在地名古屋市熱田区白鳥三丁目七番十五号
最寄駅名古屋市営地下鉄名城線「伝馬町駅」1番出口徒歩8分

次の目的地は?

名古屋二一大師を行く

 名古屋二一大師霊場一四番札所「雲龍山喜見寺」を納経します。この喜見寺は住職が不在の事が多いという事で、十三番「弥勒院」にて納経印を置いて頂けます。

名古屋二一大師を行く-寄道遍-

 大名古屋八十八ヶ所五十一番札所になる「青松山宝持院」を参拝します。

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