ONE POINT
名古屋二十一大師十五番札所になっている名古屋市南区呼続に建つ「海底山地蔵院」の紹介です。この地蔵院の本尊は湯を掛けて祈願したということから「湯浴地蔵」と呼ばれるようになったという。
寺院紹介
寺院概要
寺院名 | 海底山地蔵院 |
所在地 | 名古屋市南区呼続三丁目十一番二七号 |
御由緒
愛知郡誌では創建は弘長五年(1265年)としていますが、「南区の歴史」という冊子では「寛文村々覚書」に弘長二年(1262年)に創建されたと書かれていると紹介しています。どちらにしても、鎌倉期に創建された古刹であると言えます。
「湯浴地蔵略縁起」という書物には、時は土御門天皇の御代である元久二年(1205年)五月二十四日に、「天地が振動し、海上が鳴り渡り、明星天降り光り輝く雷の如し」と何やら地震なのか火山の噴火なのか天変地異の災害が起きた様です。その七日後に愛知郡北井戸田村の海中から仏像が一尊が引き上げられ、お湯で洗った所「地蔵菩薩」が現れた。その後正応五年(1292年)に愛知郡戸部村に移れたが火災にて堂宇を焼失してしまった為、慶長五年(1600年)に現在の地に移された。
見つかった時にお湯を掛けて洗い、その後参拝者はお湯を掛けて祈願するという事で「湯浴地蔵」と呼ばれる様になったといいます。という事は、現在の様な地蔵堂ではなく、気軽にお湯を掛けられる様な造りの建物(覆堂)が建っていたのかなと思います。
地蔵院が建つ場所は、鎌倉街道と東海道が交わる場所の角に建っています。鎌倉街道を整備しなおしたのが東海道になると思うのですが、整備されたと言っても鎌倉街道が廃止されたわけでもないと思うので、主要街道同士が交わる場所は非常に多くの通行人が行き交う場所だったと思います。
地蔵院の「地蔵菩薩像」は、東海地方では珍しい鋳造による「鉄地蔵」になります。Wikipediaによると愛知県で製造が始まったという「鉄地蔵像」なんだそうです。関東方面では盛んにつくられるようになったそうですが、尾張以西の西日本ではあまり広がらなかったようです。
当地蔵院の地蔵菩薩像は、太平洋戦争の火災、伊勢湾台風の風害などで、頭部と両手を残して損失してしまい、現在は欠損部分はコンクリートで復元されているそうです。
創 建 | 弘長二年(1262年) |
宗 派 | 真言宗醍醐派 |
御本尊 | 湯浴地蔵大菩薩 |
霊 場
- 名古屋二十一大師 十五番札所
- 大名古屋八十八 四十二番札所
- 尾張新四国霊場 五番札所
- 尾張六地蔵 三番札所
湯浴地蔵は昭和二年に昭和二年に新愛知新聞社(現:中日新聞)が読書の方達からの投票によって愛知県の新しい十名所を決定しようという企画「愛知県下新十名所」において「242票」を集めて「第五十二位」になっています。
湯浴地蔵呼続 | 52位/57位 | 242票 |
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | ー |
市指定 町指定 村指定 | ー |
文化財
御朱印 | 〇 |
URL | ー |
駐車場 | 〇 |
参拝日 | 2020年2月5日 |
参拝記
名鉄「名古屋本線」の西側を並行するように走っている「旧東海道」と「鎌倉街道」が交わる交差点から地蔵堂を望みます。駐車場は境内の前の止める事ができる様です。
寺号標
寺号標というか、「湯浴地蔵尊」と本尊が彫られた石柱になります。正直この石柱以外は道路から寺号などを確認できるものがなく、本堂に掲げられている名古屋二十一大師霊場の札所案内札を見るしかないのですが、風化により読みづらいのが残念な所です。
水盤
水盤とその横に役行者像が据えられています。
その後ろにある花瓶の様な石造物は「伊藤萬蔵」という方が奉納したものです。自分はまったく存じなかったのですが、何やら東海地方を中心とした神社仏閣に様々な寄進を行った方のようです。ちょっと調べてみると、知多四国霊場の大師堂の前に据えられている線香を立てる「香台」だったり札所案内石柱なんかを数多く寄進されている様です。
本堂
入母屋造瓦葺妻入りの向拝が設けられた本堂になります。本堂側面は庇が張り出し壁が設けられ増床された様な造りになっていますね。こういった造りをなんと呼称するのでしょうかね。
弘法堂
本堂に合わせる様に入母屋造瓦葺妻入りの向拝が設けられた弘法堂です。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
所在地を地図で確認
寺院名 | 海底山地蔵院 |
所在地 | 名古屋市南区呼続三丁目十一番二七号(Googlemap) |
最寄駅 | 鉄道:名古屋鉄道 名古屋本線「桜駅」徒歩5分 |
名古屋二十一大師霊場を行く
十四番札所「雲龍山喜見寺/紹介記事」の納経を終え、熱田区を後にして一路南区呼続にある十五番札所「海底山地蔵院」に向かいます。熱田から国道一号線を東に向かい、名古屋高速が上を走る「松田橋交差点」を直進し、東海道の旧道を進んでいきます。
現在ではどうも無住の寺院となってしまっているようなのですが、戦前までは非常に多くの参拝者が訪れている寺院だった様で、「大名古屋八十八ヶ所」「尾張新四国霊場」「尾張六地蔵」の札所にも選ばれています。
八事山興正寺(名古屋市昭和区八事本町) 名古屋二十一大師 二十一番札所
寺院情報 寺院名八事山興正寺所在地名古屋市昭和区八事本町七十八番地御本尊大日如来宗 派高野山真言宗創 建貞享三年(1686年)札 所名古屋二十一大師 二十一番札所大名古屋八十八 終番外札所愛知四国霊場 十五番札所知多本四国移 八十八番札所尾張三十三観音 三十三番札所城東西国観音 十二番札所なごや七福神 / 寿老人東海不動尊 三十六番札所御朱印〇H P〇 / web 参拝日:2020年2月26日 名古屋二十一大師札所一覧 大名古屋八十八ヶ所札所一覧 愛知新四国霊場札所一覧 知多本四国移霊場札所一覧 尾張三十 ...
天林山笠覆寺(名古屋市南区笠寺町) 名古屋二十一大師 十六番札所
名古屋二十一大師、尾張四観音を始めとする非常に多くの霊場の札所に名を連ねる寺院。別称「笠寺観音」と呼ばれますが、こちらの方が名が通っているかも。松平竹千代と織田信広との人質交換の地として有名です。
海底山地蔵院(名古屋市南区呼続) 名古屋二十一大師十五番札所
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雲龍山喜見寺(名古屋市熱田区神宮) 名古屋二十一大師十四番札所
寺院情報 寺院名雲龍山喜見寺所在地名古屋市熱田区神宮二丁目四番十号御本尊十一面聖観世音菩薩宗 派真言宗智山派創 建弘治二年(1556年)札 所名古屋二十一大師 十四番札所大名古屋八十八 四十八番札所熱田八大師霊場 一番札所府下三十三観音 三十二番札所御朱印〇H Pー 参拝日:2020年2月5日 名古屋二十一大師霊場 大名古屋八十八ヶ所 由緒・沿革 熱田の地を支配していた西加藤家の祖である「加藤隼人佐延隆」が弘治二年(1556年)に創建し、権大僧都「堯瑜」によって開山された寺院になります。前回紹介した「臨 ...
花林山弥勒院(名古屋市熱田区旗屋) 名古屋二十一大師十三番札所
寺院情報 寺院名花林山弥勒院所在地名古屋市熱田区旗屋二丁目二五番一三号御本尊弥勒菩薩宗 派真言宗豊山派創 建不詳札 所名古屋二十一大師 十三番札所熱田八大師霊場御朱印〇H P- 参拝日:2020年2月5日 名古屋二十一大師札所一覧 由緒・沿革 江戸時代、名古屋城三の丸には「天王社」が鎮座していました。この天王社は名古屋城築城以前からこの地に鎮座していた神社で、名古屋城築城の際、その縄張りの中に鎮座していた為、同じく名古屋城縄張り内にあった他の神社と共に遷座させようと築城奉行「佐久間政実」に神籤による神意 ...
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