難波神社(大阪市中央区)

神社情報

社 名:難波神社
鎮座地:大阪府大阪市中央区博労町4丁目1番3号
御祭神:仁徳天皇、素戔嗚尊
旧社格:府社
創 建:反正天皇元年
境内社:博労稲荷神社、金刀比羅社、十四柱相殿神社
例大祭:10月20日
御朱印:〇
H P:〇

難波神社
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参拝日:2014年7月28日

御由緒

反正天皇元年十月河内国多治比柴離宮に遷都の御時同国丹比ノ地に鎮座
朱雀天皇天慶六年九月勅命を以て摂津国大江ノ坂平野郷に遷座難波大宮と称し摂津国総社たり。
正親町天皇天平年間大阪城増築の際現今の地に移され鎮座難波宮と称す。
明治八年難波神社と改称。明治三十四年府社に列せられる。

境内由緒書きより

参拝記

大阪の梅田と難波の丁度中間くらいの場所、大阪を南北に貫く幹線「御堂筋」沿いに鎮座しています。

現在では神社の周囲はまさにビジネス街となっていて、岡崎周辺の神社のイメージが強すぎなのか「え?こんな場所に神社って鎮座してるの?」と思いつつ探し歩いていました。

江戸時代までは、境内社である「博労稲荷神社」の方が有名で、難波宮ではなく、稲荷社と呼ばれていた時期もあったんだとか。しかし、明治政府の政策もあって仁徳天皇を祀る難波神社という社名で呼ばれるようになったそうです。

境内入口

難波神社は、四方に境内入口があり、それぞれに鳥居が据えられています。

こちらが御堂筋側の境内入口。
旧社格が彫られた社号標と鳥居と由緒書き板が据えられています。
さらに難波神社を印象付けているのが、境内をぐるっと囲む玉垣が非常に高い壁の上に設けられている所ですね。そしてそれぞれの開口部には注連縄柱が設けられています。

こちらが、南側の境内入口になります。社殿の向きからここが正面側の入口になりますね。
扁額の設けられた明神鳥居と社格の彫られた社号標、そして木製の由緒書き板が据えられています。
こちらの鳥居奥の玉垣の開口部には注連縄柱が設けられていますね。

こちらが西側の境内入り口になります。
鳥居と石灯篭一対が据えられていますね。そして注連縄柱が設けられています。


写真を撮り忘れたので、ストリートビューで・・・。
こちらが境内北側、社殿裏側の境内入口になります。普段は鉄製の扉が閉められている様ですね。
鳥居、石灯篭が一対据えられています。

社号標

府社と彫られた社号標になります。
そもそも、東京府、大阪府、京都府にしか府社は存在しない為、上記三府以外に住まわれている方には馴染みのない社格ですよねえ。

手水舎・水盤

瓦葺の四本柱タイプの手水舎になります。

水盤も独特な様式をしていまして、

水が溜まって柄杓で水をすくうであろう場所には竹で蓋がされていて、二か所の切れ込みから水が流れ出ている所で水をすくう感じの水盤・・・文字にするとわかりにくいですな・・・。

あと、水盤の横にある竈の様な物・・

毎月一日と節分の日の朝に行われる”湯立神楽”で使用されるお湯をわかす竈が置かれています。

釜で湯を煮えたぎらせ、その湯を用いて神事を執り行い、無病息災や五穀豊穣などを願ったり、その年の吉兆を占う神事の総称であり、神事の際、笹や玉串に見立てた榊葉などを使用して湯を撒き、その撒かれた湯(その飛沫)を浴びると無病息災になると言われています。

湯立神楽の際、竈を置く場所がきまっているようで・・・

この手水舎の脇にある明らかに何かここで燃やしたなと分かる焦げ目のついた岩の上に竈を据えて湯を沸かすようです。なにかわかる写真とかないかなと探していたら・・・

Google 画像検索結果

まさに難波神社の湯立神楽の取り上げているブログ記事ですね。

狛犬

玉乗りとなぜか背中に子を背負っている狛犬一対になります。
大阪の狛犬は子供を背負っているスタイルが多いんですかねえ・・・。

あ、生年月日は・・・調べ忘れました。

社殿

大阪空襲で全焼し、以後仮宮だった所を昭和四十九年に再建された社殿になります。この難波神社の社殿は、非常に近代的な社殿様式になっていますね。

もう一点、拝殿の屋根なんですが、非常に複雑な屋根構成をしている所が多いですね。こういった部分にも地方ごとに特色があるんですかね。

境内社

博労稲荷神社になります。

浪速の町が栄えるに従って、船場の商家の中心となり、稲荷への信仰が篤く、古い記録にも難波神社のことを「稲荷社」「稲荷宮」としてあるものもあります。

金刀比羅社です。元々は難波神社の旅所に鎮座していたそうです。

難波神社の御旅所は、「大阪府大阪市西区南堀江1丁目26−26」にあるそうです。

稲荷社文楽座跡

江戸時代まで、難波宮は稲荷社と呼ばれていた事は前述しました。そして、その稲荷社と呼ばれていた難波宮の境内に文化八年(1811年)に植村文楽軒が人形浄瑠璃の小屋を建てます。その後、文楽座は明治五年に移転。明治十七年には文楽座とは別の彦六座が難波宮の境内で浄瑠璃の小屋を造ります。文楽座も近くの御霊神社に浄瑠璃小屋を造り対抗していき、浄瑠璃文化の人気を高めていきますが、明治三十一年、彦六座の団平が舞台で倒れてしまったため、彦六座は解散。小屋は「稲荷小屋」として色々な興行に使われていくが、明治四十五年に解体されたそうです。

現在では、国立文楽劇場が造られて、人形浄瑠璃が演じられていますね。

懸魚・鬼瓦

鰭付きの猪の目懸魚になります。金色に輝く六葉がアクセントになっていますね。
懸魚本体の造形も非常にスタイリッシュですね。

参拝を終えて

境内の四方に鳥居を設けている非常に珍しい社殿配置の神社になると思います。

この神社の神紋は花菖蒲でして、

写真の様に様々な場所で花菖蒲が植えられています。

6月8日には菖蒲神事が行われて、菖蒲を刈り取る所作のある神楽「菖蒲刈り」が二人の巫女によって舞われるそうです。

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