歴史紀行

歴史探訪-歴史の繋がりを求めて-

2018年12月8日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

 元々神社を中心に紹介してきた"神社のある生活って"という名のサイトだったのですが、2018年に西尾市長縄町に鎮座し「稲荷社」を参拝し由緒を調べていると、元々「長縄城」という戦国時代の頃の城の鎮守社であることを知りました。そして、この稲荷社の近くには「観音寺」という寺院があり、その観音寺には「松平清康公仮葬地之碑」があり、この仮葬地には長縄城の城主だった大河内氏が関わっている可能性がある事を知ることになりました。
 これまでは、神社を紹介するブログだからとあえて寺院は参拝していなかったのですが、「松平清康」の様に聞いたことのある武将の名前が出てきたりすると、寺院も巡ってみようかなと思ってしまうのだから不思議なものです。岡崎市民としては「松平氏」は外せない所もあるので(まぁ、松平清康は安城市出身ですが・・・。)、この長縄町の稲荷社を参拝した事で、歴史の繋がりを感じて参拝していこうと思う様になり、サイト名も「あいちを巡る生活って」と変更するに至ったわけでです。
 長縄町の稲荷社から由緒などを調べて、その中で出てきた内容の繋がりを巡っていこうという企画が「歴史探訪」となります。この歴史探訪で出会ったのが2018年後半から一気に当サイトの主力コンテンツとなった「知多四国霊場」「三河新四国霊場」「三河海岸大師霊場」といった弘法大師霊場でした。まさか、神社紹介ブログがお遍路さんになるとは思ってもみなかったですが、これも縁ですから、しっかりと遍路していきたいと思います。

 繋がりを求めて色々な神社、寺院、史跡などを巡っていると、色々伏線が広がっていくように、多岐にわたる繋がりが出てきてしまい、自分でもどこに向かっているのか解らなくなりそうですので、忘備録を兼ねてまとめを作ろうと思います。

ちょこちょことアップしていきますので、お付き合いしていただければ幸いです。

令和二年(2020年) 歴史探訪企画

 令和二年の大河ドラマ「麒麟がくる」でも桶狭間の合戦のシーンが演じられるか、もしくは「今川殿が討たれただと!」といった感じで桶狭間の顛末の一報が飛び込んでくるような場面が出てくると思うので、2020年は「桶狭間の戦い」の史跡などを巡っていきたいと思います。
 まぁ、大河ドラマ云々はともかく、知多四国霊場の八十七番札所「鷲頭山長寿寺」を納経した時に、すぐ裏山が鷲津砦でして、せっかくここまで来たんだからと「鷲津砦」「丸根砦」を散策し、1年越しにその紹介記事をアップする事が出来たので、この繋がりで「桶狭間の戦い」を取り上げようと思ったのが正直なところですが・・・。

ぜひ、こちらも見て頂けたら幸いです。

歴史探訪 No.1~No.20

NO. 訪問先名 住所 歴史探訪
1 長縄稲荷社
[こちらから]
西尾市長縄町 「長縄城」の守護神だった稲荷社。廃城後は地元の人たちによって祀られてきた神社です。
⇒「長縄大河内氏
2 長縄城址
[こちらから]
西尾市長縄町 大河内氏の分家である長縄大河内氏が居城としていた長縄城址になります。
⇒「大河内氏
3 松平清康公仮葬地
[こちらから]
西尾市長縄町 長縄稲荷社の南に、森山崩れで討ち死にした松平清康公の遺骸をこの地に埋葬したという碑が建っています。
⇒「大河内小見
4 泰平山 観音寺
[こちらから]
西尾市長縄町 松平清康と彫られた五輪塔が見つかった寺院であり、吉良町駮馬から「兵道塚、徳玄塚」が移設された寺院でもあります。
⇒「大河内小見」「徳玄(富永伴五郎弟)]
・西条吉良観音十九番札所
5 寺津城址
[こちらから]
西尾市寺津町 大河内氏が築城した寺津城址。現在は浄土宗の瑞松寺の境内となっており、本堂前に石碑があります。
⇒「大河内氏」
6 寺津八幡宮
[こちらから]
西尾市寺津町 大河内顕綱が建久年間(1190―99年)に建立した寺津城鎮守神になります。
境内には「大河内氏業跡址」の石碑が建っています。
⇒「大河内氏」
7 臨済山 金剛院
[こちらから]
西尾市寺津町 寺津城主「大河内氏」の菩提寺。
西尾市の文化財指定を受けている「金剛院の宝篋印塔」があります。
・三河海岸大師六十二番札所
・西条吉良観音二番札所
・(旧)三河新四国二十九番札所
ここから三河海岸大師巡礼も始まります。
8 法海山 妙光寺
[こちらから]
西尾市寺津町 寺津八幡宮とは国道247号線を挟んで東隣に建つ寺院。寺津八幡宮の社家の渡辺氏が保管してきた「薬師如来坐像」が明治政府の神仏分離策の為、妙光寺にて安置されることに。
・三河海岸大師六十番札所
・(旧)三河新四国三十番札所
9 重蔵山 養國寺
[こちらから]
西尾市寺津町 8番「妙光寺」の本寺になります。
元の寺名は「養穀寺」、その後徳川家康によって「養国寺」に改称したそうです。
・三河海岸大師六十一番札所
・西条吉良観音三番札所
・(旧)三河新四国三十一番札所
10 巨海城址
[こちらから]
西尾市巨海町 寺津城主「大河内氏」の分家である「巨海(大河内)氏」が居城したという巨海城址。
⇒「大河内氏
11 名鉄三河線「寺津駅跡」
[こちらから]
西尾市寺津町 2004年に廃止された名鉄三河線の寺津駅跡になります。2018年5月時点ではまだホームが残っています。
寺津散策の途中に立ち寄りました。
12 竹林山 福生院
[こちらから]
西尾市巨海町 詳しい由緒は不明。現在では無住の寺院となっています。近年弘法堂を再建しています。近隣の常福寺、瑞用寺、願成寺とこの福生院の弘法堂に安置されている大師像を合わせると八十八ヶ所巡りできるそうです。
・三河海岸大師五十六番札所
⇒「ミニ四国霊場
13 八剱神社
[こちらから]
西尾市巨海町 瑞用寺の境内と接する巨海町の鎮守社になります。
天正十三年、領主榊原六郎左衛門が再興
⇒「榊原六郎左衛門」
14 海平山 瑞用寺
[こちらから]
西尾市巨海町 詳しい寺暦は火災にて焼失してしまっており、詳細は不明だそうです。福生院でもあった、ミニお遍路さんになる知多四国霊場の四十番~六十五番までが安置されています。
・三河海岸大師五十七番札所
・西条吉良観音四番札所
・(旧)三河新四国二十八番札所
⇒「ミニ四国霊場
15 常楽院焔魔堂
[こちらから]
西尾市刈宿町 瑞用寺から常福寺に向かう国道沿いにある閻魔堂。
後藤鍬五郎というコンクリート造形師の作と伝えられています。
⇒「後藤鍬五郎
16 天沢山 常福寺
[こちらから]
西尾市刈宿町 後藤鍬五郎が作成した「刈宿の大仏」で有名な寺院。
源満国が公母菩提の為に建立
ミニお遍路さんになる弘法堂があります。
・三河海岸大師五十五番札所
・西条吉良観音五番札所
・(旧)三河新四国二十七番札所
⇒「源満国」「後藤鍬五郎」「ミニ四国霊場
17 熊野神社
[こちらから]
西尾市刈宿町 源満国によって創建。
⇒「源満国
18 海会山 願成寺
[こちらから]
西尾市巨海町 吉良長氏の妻によって開創された寺院。
ミニお遍路さんの弘法堂があります。
・三河海岸大師五十八番札所
⇒「吉良長氏」 「ミニ四国霊場
19 喜楽山 福寿院
[ここから]
西尾市寺津町 9番「養国寺」の末寺として開創
・三河海岸大師五十九番札所
20 大悲院
[こちらから]
西尾市寺津町 9番「養国寺」の末寺として開創
・西条吉良観音一番札所

歴史探訪 No.21~No.40

NO. 訪問先名 住所 歴史探訪
21 浄名寺
[こちらから]
西尾市徳永町 円空仏が安置されている浄土宗の寺院。
⇒「円空仏
22 立清寺(龍勢寺)
[こちらから]
西尾市徳永町 徳永城址に建つ浄土宗西山深草派の寺院。
・三河海岸大師六十三番札所
・西条吉良観音三十四番札所
・(旧)三河新四国三十二番札所
⇒「徳永城址
23 神明社
[こちらから]
西尾市徳永町 徳永城主「徳永小七郎源義雄」が創建した神社。
⇒「徳永小七郎源義雄
24 兵道塚・徳玄塚
[こちらから]
西尾市長縄城 4番「観音寺」の境内に安置されています。
藤波畷の戦いで戦死した大河内小見、徳玄(富永伴五郎弟)の石碑になります。元々は(旧)吉良町駮馬にあった物が、観音寺に移設された物になります。
⇒「大河内小見」「徳玄」「藤波畷の戦い
25 藤波畷の戦い
[こちらから]
西尾市吉良町瀬戸 吉良氏VS松平(徳川)氏の東条城攻城戦の戦い。
吉良氏の武将「富永伴五郎」が松平軍の「本田広孝」に打ち取られ、東条城が落城します。
⇒「吉良氏」「富永伴五郎」「本多広孝
26 大通院
[こちらから]
西尾市吉良町寺嶋 藤波畷の戦いで討ち死にした「富永伴五郎」をはじめとする富永氏の菩提寺。
元々は清和天皇の勅願寺であり瀬門神社の神宮寺として開山した。
・三河海岸大師八十一番札所
⇒「瀬門神社」「富永伴五郎
27 瀬門神社
[こちらから]
西尾市吉良町瀬戸 火災により寛永八年(1631年)以前の詳細は不明となっています。旧社格は郷社。
松平元康が対吉良戦の勝利を祈願したと伝えられる。
初代南極探検隊を率いた白瀬矗隊長の墓地が境内に安置されています。
⇒「白瀬矗
28 覺樹山 西林寺
[こちらから]
西尾市吉良町瀬戸 吉良氏宿老の富永氏の香華所とされる寺院。
元々白瀬矗氏がこの地で亡くなった時、西林寺に埋葬されたと言います。その後娘さんが分骨を(旧)吉良町に打診した所、初めて吉良町に白瀬隊長の墓がある事がわかったそうです。
・三河海岸大師八十四番札所
・東条吉良観音二十六番札所
⇒「白瀬矗」「富永氏
29 鎧ヶ淵・善明堤の戦い
[こちらから]
西尾市吉良町岡山
西尾市下永良町
吉良氏VS松平(徳川)氏の戦い。
この戦いで、深溝松平氏の松平好景、板倉好重が討ち死にし、中島郷が吉良氏に奪還されています。
鎧ヶ淵の戦いが起きた場所には、吉良上野介義央が築いたとされる黄金堤があり、洪水に悩まされていた場所を豊かな田園に変えたと言います。
⇒「深溝松平氏」「板倉氏」「黄金堤
30 若宮八幡社
こちらから
西尾市吉良町寺嶋 西尾藩主太田資宗によって寛永十二年(1635年)に建立された神社。その後、黄金堤によって八千石の良田が広がる場所になったいう。
⇒「太田資宗」「黄金堤
31 室(牟呂)城址
[こちらから]
西尾市室町 東条吉良氏宿老の富永氏が居城としていた城。
家康の父「松平広忠」が三河国再入国の一歩として室城に入城したといいます。
⇒「富永氏」「松平広忠
32 神明社
[こちらから]
西尾市室町 室(牟呂)城址の蔵屋敷と呼ばれていたとされる曲輪に鎮座している神社。
⇒「室(牟呂)城址
33 林松寺
[こちらから]
西尾市室町 室(牟呂)城址の主郭となる曲輪に鎮座する寺院。
・東条吉良観音二十九番札所
⇒「室(牟呂)城址
34 東条城址
[こちらから]
西尾市吉良町駮馬 東条吉良氏の本城であり、東西吉良氏統一後の本城でもある城。
⇒「吉良氏
35 八幡社
[こちらから]
西尾市吉良町駮馬 東条城二の丸跡に鎮座する神社。
⇒「東条城址
36 渓寒山 長松寺
[こちらから]
西尾市吉良町駮馬 東条城東側に鎮座していた寺院。現在、廃寺となっています。
・三河海岸大師八十六番札所
37 嶺松山 宝光院
[こちらから]
西尾市吉良町駮馬 吉良義堯が創建した寺院。江戸時代代官だった鳥山氏によって再興される。
・三河海岸大師八十五番札所
⇒「吉良義堯」「鳥山精明
38 真珠院
[こちらから]
西尾市吉良町駮馬 松井忠次を祖とする松平周防守康爵によって建立された寺院。慈本豪英尼が住職として迎え入れらえ千日年仏を催行した事で知られています。
⇒「松井松平氏」「慈本豪英尼
39 小牧砦
[こちらから]
西尾市吉良町小牧 東条城攻城戦に際し、藤波畷の戦いで「富安伴五郎」を打ち取った「本田広孝」が気付いた砦。その後江戸時代に入り、大河内松平氏が陣屋を築く。
⇒「本田広孝」「大河内松平氏
40 精明山 宝泉寺
[こちらから]
西尾市吉良町小牧 関ヶ原合戦後から大河内松平氏が小牧陣屋を築くまでの八十年程の期間、鳥山氏が東条城址に築かれた代官所に赴任しています。その鳥山氏の菩提寺になっています。
・三河海岸大師八十番札所
⇒「鳥山氏

歴史探訪 No.41~No.60

NO. 訪問先名 住所 歴史探訪
41 観音寺
[こちらから]
西尾市吉良町津平 天文年間方外禅師、護国禅師(大原雪斎)を請して開山とし始めて禅刹となる。小牧陣屋を気付いた松平正久(大河内松平氏)が補陀洛山観音寺として修造する。
・三河海岸大師八十七番札所
⇒「護国禅師」「大河内松平氏
42 金龍山 泉徳寺
[こちらから]
西尾市吉良町津平 詳細は不明ながら、護国禅師が開基だと伝えられている寺院。
・三河海岸大師八十二番札所
⇒「護国禅師
43 賽樹山 清海寺
[こちらから]
西尾市吉良町津平 詳細は不明。三河地震の時、本堂が倒壊したが、ギリギリの所で救出された観音像が安置されています。
・三河海岸大師八十八番札所
44 志葉都神社
[こちらから]
西尾市吉良町津平 東条城攻略戦で松井忠次によって築かれた津平砦跡に鎮座。
⇒「松井忠次
45 松平好景戦死之地碑
[こちらから]
[こちらから]
西尾市下永良町 善明堤の戦いで、中島砦に撤退する途中に吉良勢に松平好景が討ち取られた地
⇒「深溝松平氏
46 向野墓所
[こちらから]
幸田町向野 深溝松平氏の菩提寺「本光寺」が関東移封などで移転する前に鎮座していた場所。
この地に生えていた松を初代、二代目を祀る松として、瑞垣を設け大切に管理されてきた。
⇒「深溝松平氏
47 瑞雲山 本光寺
[こちらから]
幸田町深溝 深溝松平氏の菩提寺。島原藩主時代も船にて遺骸を運び、この地に埋葬していたそう。寺院の墓所だが、神式の墓石が特徴的。
⇒「深溝松平氏
48 深溝城
[こちらから]
幸田町深溝 五井松平氏の分家筋にあたる「深溝松平氏」の本城。江戸幕府開府後は、深溝松平氏の家臣であった板倉氏が治めています。
⇒「深溝松平氏」「板倉氏
49 万灯山 長圓寺
[こちらから]
西尾市貝吹町 京都所司代として有名な板倉勝重が開山した板倉一門の菩提寺になります。島原の乱で戦死した板倉重昌が藩主だった深溝藩の陣屋跡地に建つ。
・三河観音霊場三十三番札所
⇒「板倉氏
50 海性山 真如寺
[こちらから]
蒲郡市形原町 長沢松平氏の流れをくむ初代形原藩主「松平清直」が菩提寺とする。3代目無嫡子の為断絶
・三河海岸大師一番札所
・三河観音霊場十七番札所
・(旧)三河新四国別格札所
・三河新四国五十三、五十四番札所
⇒「長沢松平氏
51 行基山 實相院
[こちらから]
蒲郡市形原町 大草松平氏初代「松平光重」の四男「松平實長」が出家し開創した寺院。
・三河海岸大師二番札所
・(旧)三河新四国三番札所
・三河新四国五十五、五十六番札所
⇒「大草松平氏
52 上野山 利生院
[こちらから]
蒲郡市形原町 形原松平氏が関東移封の際、形原城に安置されていた観音像を祀る一堂を建立。
・三河海岸大師三番札所
・三河観音霊場十六番札所
・三河西国霊場十二番札所
・三河新四国五十七、五十八番札所
⇒「形原松平氏」「形原城
53 形原城
[こちらから]
蒲郡市形原町 松平信光の四男「松平佐渡守与副」が形原城を築城し以降「形原松平氏」の本城となる。元和五年(1619年)にお国替えに伴い廃城。
⇒「形原松平氏
54 法林山 光忠寺
[こちらから]
蒲郡市形原町 大草松平初代「松平光重」が兄「松平与副」の菩提を弔う為に建立した寺院。その後形原松平氏の菩提寺として初代から五代目までの墓石が安置されています。
・(旧)三河新四国四番札所
⇒「松平光重」「形原松平氏
55 西浦山 無量寺
[こちらから]
蒲郡市西浦町 天暦五年(951年)に開創した古刹にであり、大草松平氏初代「松平光重」が形原の地にいた時、寺領二十石を寄進したといいます。
がん封じ」の寺としても有名。
・三河海岸大師四番札所
・(旧)三河新四国五番札所
・三河新四国六十一、六十二番札所
・三河准四国五十四番札所
・東海三十六不動尊十九番札所
56 神田山 覚性院
[こちらから]
蒲郡市西浦町 詳細は不明ながら、各種大師霊場の札所になっています。
・三河海岸大師五番札所
・(旧)三河新四国六番札所
・三河新四国五十九、六十番札所
57 岩垣山 真相院
[こちらから]
西尾市東幡豆町 詳細は不明ですが、赤い毘沙門天の幟が印象的な寺院です。
・三河海岸大師六番札所
58 鹿川山 圓蔵院
[こちらから]
西尾市東幡豆町 現在の蒲郡に鎮座する「補陀寺」の末寺として開創された寺院。
・三河海岸大師七番札所
59 性海山 妙善寺
[こちらから]
西尾市東幡豆町 行基菩薩が開基と言われる古刹。
通称「かぼちゃ寺」
・三河海岸大師九番札所
・(旧)三河新四国七番札所
・三河新四国六十五・六十六番札所
・三河観音霊場二十番札所
・三河白寿観音霊場四番札所
60 海自山 法蔵院
[こちらから]
西尾市東幡豆町 妙善寺の末寺として開創された寺院。
・三河海岸大師十一番札所

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