寺院紹介
寺院情報
寺院名 | 彼岸山 極楽寺 |
所在地 | 愛知県知多郡東浦町大字森岡字岡田五十一番地(GoogleMap) |
創 建 | 永享二年(1430年) |
宗 派 | 曹洞宗 |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
霊場
霊 場 | 知多四国霊場 七番札所 |
知多四国霊場
日本三大新四国霊場の一つに数えられる愛知県の知多半島全域を霊場とする八十八ヶ所の札所を遍路する弘法大師霊場になります。
当サイトの知多新四国霊場の紹介ページは「こちら」から
-
知多四国霊場
霊場情報 霊場名知多四国霊場開創年文化六年(1809年)札所数番所:88 番外:7 開山所:3 (合計:98) 霊場域名古屋市、豊明市、大府市、東浦町、半田市、阿久比町、武豊町、美浜町、南知多町、常滑 ...
続きを見る
【参考】知多四国霊場 公式HPは「こちら」から
Topics
令和五年(2023年)は「弘法大師生誕千二百五十年記念」という事で知多四国霊場では令和五年一月一日~令和六年六月三十日までの期間において記念宝印を授与して頂けるようです。
また、記念の納経帳も併せて発刊されるようです。
是非、この期間に遍路されてみては如何でしょうか?
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | ー |
町指定 | 極楽寺の楠 |
参拝情報
御朱印 | ○ |
URL | ー |
駐車場 | ○ |
参拝日 | 2018年4月25日 |
由緒・沿革
室町時代の永享二年(1430年)、玉海通公大和尚によって創建されたという。
戦国時代には武士の宿坊として使われたとも伝えれている。戦国時代、この辺りは緒川城を主城としていた水野氏が治めており、宿坊として使ったとすれば水野氏ではなかろうか。特に極楽寺の北の森岡には織田・水野連合軍と今川軍が対峙した事で有名な村木砦であり、極楽寺周辺は水野氏としても非常に重要な場所だったのではないでしょうか。
創建以降、極楽寺の住職は十七世を数えたが、明治七年(1874年)に法地開山となり、これ以降現在は五世となっている。
- 永享二年(1430年):創建
- 戦国時代:平氏の宿坊として使用される。
- 明治七年(1874年):法地開山
- 昭和五十五年(1980年):臨海寺を合併。
永享二年(1430年)に玉海通公大和尚によって開創。戦国時代に尾張、三河の境にあたるので武士の宿坊として当時小さな寺が建てられたと言い伝えられ、安政三年檀信徒の喜捨により伽藍の落成をし、明治七年法地に昇格現在に至っている。
「知多四国めぐり」より
境内に歴代住職の墓石が十七基あり開創の遠いことを物語っているが現在は五世となっている。
「知多四国めぐり」より
1874年法地開山。1980年には昔渡し船を役目としていたという臨海寺を合併。境内の薬師堂には、薬師如来・抱地蔵・秋葉権現・弘法大師を合祀し、中でも人気がある抱地蔵は、願い事を念じながら目を閉じてお地蔵様を両手で抱き上げた時、軽く感じれば願い事が成就すると言われる。
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?
知多新四国霊場を行く
知多新四国六番札所の「万年山常福寺/紹介記事」と鎮守社である「生目八幡宮/紹介記事」の参拝を終えて、大府市の隣町となる東浦町にある七番札所である「彼岸山極楽寺」を目指します。二番札所の「法蔵山極楽寺」と山号違いですが寺名は同じですので混同しちゃいそうですね。
極楽寺の近くには
この極楽寺から少し北側に行ったところに「村木砦跡」があります。天文二十三年(1554年)に勃発した村木砦を巡る「織田信長」と「今川義元」の戦いの場所です。織田氏と今川氏の戦いでは桶狭間の合戦が有名ですが、それ以外でも尾張国と三河国の間では両軍の戦いが絶えなかったそうです。
織田氏、今川氏、松平氏、水野氏・・・尾張と三河の支配権をめぐる各武将が入り乱れて混沌としていた場所が桶狭間からこの森岡地区に到る場所なんだと想像できますね。
この村木砦の戦いの痕跡については、今回の巡礼の途中では訪れることができなかったので、近いうちに訪れたいとおもっています。
参拝記
大府市から東浦町へ通じる県道50号線沿いに愛知県のスーパーであるドミー東浦店があるのですが、この店舗の裏側(西側)に極楽寺はあります。参拝者駐車場も用意されていますので、こちらに駐車して向かう事になります。
極楽寺の楠
東浦町の天然記念物に指定されている大楠がお出迎えしてくれます。東浦町のHPを確認すると樹齢は五百年を超えて、目通りの周囲が4.2mを超えているんだとか。
楠の木は巨木になりやすい木なんでしょうか。なんとなく巨木=楠or杉というイメージがあります。
境内入口
参拝した時は、四月の下旬、まさに”つつじ"のシーズン真っ只中です。とてもきれいなつつじの花が出迎えてくれました。
石段を上がった先は門前の広場みたいになっています。
ここには、何やら短歌の彫られた歌碑と独特な寺号標が据えられています。
さらに反対側にも、
「かりの世を 救いの船に 棹さして 渡れよ彼岸 極楽の寺」
極楽寺の寺名の由来になった歌なんですかね?
花壇?の柵は洋風なんですよね・・。ちょっとここが残念・・・。
山門
袖壁が設けられた薬医門になります。
両側の門柱には「暴力追放半田知多郡連絡協議会会員」が掲げられています。
そう、暴力はよろしくないです。
手水舎・水盤
木像銅葺四本柱タイプの手水舎になります。
ここの水盤は自然石をくり抜いて、青銅の竜頭の給水口が設けられています。
当然の様に、水かけ地蔵尊が安置されていますね。
本堂
この極楽寺では、本堂と大師堂が併設するかのようにすぐ隣に建っています。
寄棟造木像平入の本堂になります。
外階段の高床式なんですが、廻縁は設けられていません。
弘法堂
由緒で「薬師如来・抱地蔵・秋葉権現・弘法大師」が合祀・・・というか一堂に集められた御堂になります。このブログでは便宜上弘法堂と呼ばせて頂きます。
弘法堂は入母屋造木像妻入りで向拝が設けられています。
・
・
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師・・・」
弘法大師尊象
この極楽寺には全国行脚の時の弘法大師の姿を模した像が建てられています。
参拝を終えて
非常に綺麗につつじが咲き誇っている思い出が残っています。
武士の宿坊として使われていた歴史からも、戦国時代の動乱時期を見つめてきた寺院なんだなと思います。
この辺りは歩けば歴史の痕跡に当たりそうな感じがして散策してみたい地域ですね。
次の目的地は?
次は知多新四国霊場八番札所「上世山 伝宗院」を目指します。
所在地を地図で確認
寺院名 | 彼岸山極楽寺 |
所在地 | 愛知県知多郡東浦町大字森岡字岡田五十一番地(GoogleMap) |
最寄駅 | 鉄道:JR東海・武豊線「尾張森岡駅」徒歩6分 バス: |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。