- HOME >
- 成瀬晃
成瀬晃
愛知県岡崎市で「かばん・くつ✚革の病院ドクターレザーおかざき」を営んでいる成瀬と申します。 史跡、神社などを巡った事をなどをつぶやきつつ、お店のブログではつぶやけないような事も書いていこうかと思っています。
江戸時代に江比間の海上安全を祈願する為に勧請創建された住吉神社の紹介です。海岸と集落を一望できる場所に鎮座していおり、まさに江比間の守り神になるかと思います。
昭和二年に実施された愛知県下十名所の決定する投票戦にノミネートされ13位に選出された江比間海岸の紹介です。13位に入った事で「愛知十勝地」に選定されています。
昭和二年に行われた愛知県下新十名所を決める投票戦において322票を集めた「瀬戸萩ノ御殿」の紹介になります。明治時代に全国的に注目を集めたという禿山復旧工事の記念碑というべき場所になります。
愛知県瀬戸市にある臨済宗妙心寺派の寺院である「応夢山定光寺」の紹介になります。初代尾張藩主「徳川義直」の霊廟がある事から江戸時代には尾張藩の庇護が厚かった寺院になります。
愛知高原国定公園を形成する岩屋堂公園の中にある愛知十名所候補となった「品野岩屋の滝」の紹介です。奈良時代の名僧行基ゆかりの岩が組み合わさってできた薬師堂がその名の由来となったという岩屋堂公園は紅葉でも有名なスポットになります。
愛知県瀬戸に鎮座する曹洞宗の寺院である大龍山雲興寺の紹介です。盗難除の御利益がある「性空山神」が非常に有名な寺院になります。愛知県新十名所の投票で50万以上の票数をあつめて15位になり愛知十勝地に選定された寺院でもあります。
愛知県瀬戸市にある国の指定史跡である小長曾陶器窯跡の紹介です。室町時代の窯跡で当時の窯場がほぼ完全に保存されている貴重な史跡になります。史跡自体が東京大学の演習林に存在するのも特徴です。
2024/12/9 愛知県下新十名所
1929年(昭和四年)越戸ダムの完成によってその姿を大きく変える事になってしまった勘八狭の紹介です。ダム完成以前は鵜飼いや遊覧船が行き交い、急流下りなどが行われるなど愛知県下有数の観光地だった様です。
名古屋市昭和区の御器所地区の鎮守社となる御器所八幡宮の紹介です。室町時代には御器所西城を居城としていた佐久間氏が氏神として崇敬し造営、修造を行っていた棟札が現存しています。
名古屋開府三百年を記念して尾張徳川藩初代「徳川義直」と最後の藩主「徳川慶勝」を御祭神とした神社を新たに創建するとして愛知県と名古屋市によって造営された比較的新しい神社になります。
名古屋十名所の一番に選定された天理教愛知教務支庁の紹介になります。大正十四年に新愛知新聞社による企画で名古屋十名所を投票で決定するという企画で十五万票余りを獲得して一位に選出されています。
鶴舞公園と名古屋工業大学に挟まれる場所に位置している東海地方屈指の規模を誇る円墳となる八幡山古墳の紹介です。昭和六年に国の指定史跡となりますが、戦時中には高射砲設置の為墳丘を削られるなど紆余曲折を経て現在では削られた場所も盛土で整形され以前に近い姿を取り戻しています。
名古屋市の吹上と呼ばれる地区に鎮座する八幡社の紹介です。干拓が進む以前の名古屋はこの辺りまで入海がきていたようで、海風によって砂が舞い上げられた事から吹上と呼ばれたとか。
名古屋市内の主要駅の一つである千種駅からほど近い場所に鎮座する延喜式神名帳にもその名が綴られている高牟神社の紹介です。古代日本において有力豪族であった物部氏に縁がある神社として知られています。
古代日本の有力豪族であった物部氏所縁の神社になります。尾張国の名古屋市周辺は物部氏の領地であったとも伝えられ、神社周辺は領地経営の拠点の一つであったとも伝えられています。
慶安四年(1651年)に徳川光友によって尾張徳川藩の菩提寺として建立された浄土宗の建中寺の紹介になります。江戸時代までは歴代の尾張藩主の墓所が境内に建立されていました。