常夜燈データ
種 別 | 秋葉山三尺坊常夜燈 | 建立年月 | 平成十年 |
設置場所 | 愛知県西尾市一色町中外沢自休68 | ||
形 状 | 寺立型(寺前型) 石垣2段、基礎4段 | ||
竿部刻印 | 正面「常夜燈」 | ||
台石刻印 | 後部「厄年 平成六年、七年、八年、九年、十年」 | ||
火袋台石刻印 | なし |
常夜燈訪問記
この秋葉山三尺坊が鎮座する場所は、明治四十四年十一月二十二日に同じ中外沢に鎮座する指定村社の神明社に合祀された伊文神社、八幡社、秋葉社の跡地になります。常夜燈があるかな?という軽い気持ちで向かってみると、予想外の立派な社が鎮座しています。
ん?
"秋葉山三尺坊"と彫られていますし、掲げられている額にも"秋葉山三尺坊"となっているので、ここは秋葉神社ではなく、秋葉寺、秋葉山可睡斎の寺院系の常夜燈ですね。
元々、秋葉信仰は、神仏習合の考えの中で生まれた秋葉三尺坊大権現が祭神とされていました。それが、明治政府の神仏分離令で、秋葉大権現と三尺坊が切り離されたんです。そして、秋葉大権現は火之迦具土神となり、秋葉神社に改組されていきます。
一方、秋葉寺は三尺坊を祀っていましたが、住職の病没などで廃寺となり、三尺坊は掛川の可睡斎に移されることになります。その後、明治十三年に秋葉寺は復興しています。
ただ、三尺坊の像を見ると、見入ってしまいます。
でもかなりの三尺坊の像が展示されていました。
そもそも、自分が思うに神仏習合の考えは無理やり神と仏を結び付けた考えであり、江戸時代の頃から、地域によっては神仏分離を行っている所があったそうです。ただ、明治政府が勅令をだしてまで神仏分離を行っていくと、廃仏毀釈の風潮が高まってかなりの文化財が破却されてしまったそうです。
ここの三尺坊を見てると、どこかのお寺が管理しているというより、地元の人たちが管理しているという雰囲気で、この辺は神社の雰囲気を感じます。大切なのは、地域の安全の防火の祈りですからね。この辺は神社も寺も違いはないわけです。
ここまで社というか御堂が大きいと、常夜燈はわき役ですな・・・常夜燈紹介のカテゴリーで扱っていいんでしょうか・・・。
ストリートビューで周囲の雰囲気を感じて見て下さい。
幟立石から幟ポールに変わっていますね。
さらに、鬼瓦と懸魚を見て見ます。立派な彫刻の蕪懸魚ですね。
これからもこの地域の防火の為に見守ってくださいませ。