火伏の神
東海地方では「火伏の神」として秋葉山信仰が根強く、現在でも町内会の役員の方が代参して「神札」を頂いてくる風習が続いている所がおおいのではないでしょか。交通機関が発達して日帰りで参拝できてしまう様になりましたが、その昔は「秋葉講」を組み、何日も泊りがけで代参していました。秋葉山に通じる道を「秋葉街道」と呼び、街道には道しるべの様に「秋葉山常夜燈」が街道沿いの村々で設けられ、宿泊施設も充実していたといいます。
また、江戸は何度も街を焼き尽くす大火に見舞われ、明治維新後の明治二年にも大火が発生した事から、明治政府は火伏の神として「秋葉大権現」を勧請し「鎮火神社」を建立します。この鎮火神社が後に「秋葉神社」に改称した事からこの地を「秋葉原」と呼ぶことになった話は有名ですよね。(現在、秋葉神社は東京都台東区松が谷に遷座しています。)
どうしても自分が愛知県に住んでいるので、東海地方中心の話になってしまいますが、全国的に見ても、京都には「愛宕信仰」の本山である「愛宕神社」が鎮座し、さらに西日本で特に信仰されているという「庚申信仰」も火伏の神として祀られています。
秋葉神社、愛宕神社の祭神は共に「火之迦具土神(ヒノカグツチ)」となっています。この神様は、古事記、日本書紀に出てくる名前が多岐にわたっています。その為、色々な神社を参拝し神社内に掲げられている由緒書きなどを読んだ時、様々な神名でかかれています。「加具土命」または「迦具土命」と記載されている神社が多く、皆様も目にしたことがあるのではと思いますが、その他には「火之夜藝速男神」、「火之炫毘古神」、「軻遇突智」、「火産霊」、「火産霊神」と呼ばれることもあります。
そんな火之迦具土神がどんな神なのか見ていくことにしましょう。
火之迦具土神とは?
その名前から創造できる様に、火の神になります。日本の神代からの歴史書である「古事記」「日本書紀」にも、記紀神話(日本神話)の中にその名が出てきます。
「古事記」には、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ;加具土命)、火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)、火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)と表記され、「日本書紀」には、軻遇突智(かぐつち)、火産霊(ほむすび)と表記されます。
以下、本サイトでは"カグツチ"と記載します。
火之迦具土神の誕生
古事記の火之迦具土神
神代に、伊邪那岐と伊邪那美の「国生み」の後の「神生み」において二神の間に生まれた最後の御子神になります。火の神であるカグツチが生まれるときに伊邪那美の陰部を焼き焦がしてしまい、伊邪那美に大怪我を負わせてしまいます。その後、病床で苦しんでいる伊邪那美からも六柱の神が生まれたとあります。
・嘔吐物から、鉱山の神とされている
金山毘古神(かなやまびこのかみ)
金山毘売神(かなやまびめのかみ)
・大便から、田畠の土の神であり、陶磁器の祖神とされている
波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)
波邇夜須毘売神(はにやすびめのかみ)
・尿から水の神とされている
彌都波能売神(みつはのめのかみ)
そして、穀物の育成の神とされている
和久産巣日神(わくむすひのかみ)
和久産巣日神からは、伊勢神宮外宮の祭神である豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)が生まれたとあります。
伊邪那美は六柱を生んだ後、やはり火傷が元で死んでしまいます。伊邪那岐は伊邪那美の死に際し涕泣し、その涙から一柱が生まれました。
・泉の湧き水の精霊神とされる
泣沢女神(ナキサワメ)
伊邪那美を埋葬した後、伊邪那岐は怒り狂い、元凶であるカグツチを"十拳剣(天之尾羽張)"で切り殺してしまった。
・十拳剣の先端からの血が岩石に落ちて生まれた三柱
石折神(いはさくのかみ)
根折神(ねさくのかみ)
石筒之男神(いはつつのをのかみ)
・十拳剣の刀身の根本からの血が岩石に落ちて生まれた三柱
甕速日神(みかはやひのかみ)
樋速日神(ひはやひのかみ)
建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)
・十拳剣の柄に溜まった血が指の股から漏れて生まれた二柱
闇淤加美神(くらおかみのかみ)
闇御津羽神(くらみつはのかみ)
八柱が十拳剣より生まれ、さらにカグツチの死体からも神が生まれます。
火之迦具土の頭からは、正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)
火之迦具土の胸からは、淤縢山津見神(おどやまつみのかみ)
火之迦具土の腹からは、奥山津見神(おくやまつみのかみ)
火之迦具土の左手からは、志藝山津見神(しぎやまつみのかみ)
火之迦具土の右手からは、羽山津見神(はやまつみのかみ)
火之迦具土の陰部からは、闇山津見神(くらやまつみのかみ)
火之迦具土の左足からは、原山津見神(はらやまつみのかみ)
火之迦具土の右足からは、戸山津見神(とやまつみのかみ)
八柱がカグツチの死体から生まれます。
正直なところ、生まれてすぐ首を跳ねられて死んでしまうカグツチなんですが、他の神々が生まれた場面に比べても、かなりのページを割いて書かれています。
カグツチに起因する神々が二十三柱も生まれている所から、火という物がいかに大きい存在だったのかが判りますね。
簡単な系図を作ってみました。
日本書紀の火之迦具土神
これが「日本書紀」ではかなり異なる様子で描かれています。
様々な説が書かれていますが、その中でも第五段一書(二)の火之迦具土神にかかわる部分を紹介します。
火の神のカグツチを生んだ後に、伊邪那美が死んでしまう間に、二柱が生まれました。
土の神である埴山姫(ハニヤマヒメ)
水の神である罔象女(ミズハノメ)
その後、カグツチが埴山姫を娶って稚産霊(ワクムスヒ)が生まれた。ワクムスビの頭から蚕と桑が生まれ、へそから五穀が生まれました。
稚産霊 = 和久産巣日神で穀物育成の神とされています。
一説では、
土の神×火の神=穀物育成の神
という事で、焼畑農業的な意味合いがあると言われています。
この日本書紀の一説では、カグツチが伊邪那岐に切り殺される事がありません。実際の所、いくら火の神とは言え、切り殺されてしまう神を祭神として崇敬するより、穀物育成に続いていくとされるこちらの説のカグツチを崇敬したいですよね。
火之迦具土神の御神徳
"火"は昔も今も福にもなるし、災いにもなる物です。火を使う様になって人類の文化がスタートしたといっても過言ではないと思うんですが、今の時代の様に不燃材なんていう技術はないわけですので、一歩間違えると火事となり非常に恐怖の対象になっていくわけです。そこでカグツチを祀り火を司る神を信仰する事で、火を制御する力で防火の御神徳があると信じられてきました。
また、陶器の神とも言われていて、陶器産地の神社の祭神にもなっています。
火之迦具土神を祀る神社
静岡県浜松市天竜区に鎮座する全国の秋葉神社の総本宮
京都市右京区嵯峨愛宕町に鎮座する全国の愛宕神社の総本宮
神仏習合時代の火之迦具土神
全国的には、山岳信仰と修験道が融合して秋葉山の秋葉山三尺坊大権現、愛宕山白雲寺の愛宕太郎坊天狗が火の神として信仰を集めていました。その他、関西地方を中心に荒神として信仰を集めています。
神仏分離令と火之迦具土神
明治元年に明治政府から神仏分離令が発せられ、両社とも対応に苦慮しています。
秋葉山では、秋葉山三尺坊大権現が神格なのか仏格なのかが問題視され、明治政府は秋葉権現と三尺坊を切り離し、秋葉権現がカグツチであるとの政府からの回答でされ、秋葉神社、秋葉寺と分離させられました。
愛宕山白雲寺から歓請され全国各地では、愛宕社の名で祀られていたんですが、修験道に基づく愛宕権現は廃され、愛宕山白雲寺も廃寺に追い込まれ、強制的に愛宕神社に組織替えをされています。その際、全国の愛宕社の多くは、祭神を愛宕太郎天狗はカグツチの化身とされ、カグツチを祭神にしています。